2024年6月6日木曜日

「イエス様、天に帰られる」(日曜日のお話の要約)

主の昇天主日礼拝(2024年5月12日)(白)

使徒言行録1章1~11節(213) 

エフェソの信徒への手紙1章15~23節(352)

ルカによる福音書24章44~53節(161)


 イエス様が十字架にかかった直後、弟子たちはイエス様を死刑にした権力者達を恐れ、仲間の家に閉じこもって鍵をかけていました。そこにへ突然、蘇ったイエス様が会いに来てくださったのです。怯えた弟子たちにイエス様は変わらない態度で接してくださり、弟子たちの心は開かれ、復活の出来事を受け入れたのでした。


 イエス様はそれ以降、使徒言行録に書かれているように、40日にわたって神の国について人々に教えらます。しかしそれはイエス様が天に帰られるまでの短い間の出来事で、再び別れの時がやってきます。父なる神が乙女マリアに託され、ベツレヘムに生まれたイエス様は、ご自分のなすべきことを全て成し遂げ、父なる神の御元に戻られるのです。イエス様の人としての地上生涯は終わろうとしていました。


 人々はエルサレム郊外のベタニアに集められ、今まさにお別れの時を迎えていました。そのような時に弟子たちがイエス様に投げかけた問いは「主よ、イスラエルのために国を立て直してくださるのは、この時ですか」というものでした。この時になっても、弟子たちはイエス様の目的を勘違いしたままでした。


 イエス様の時代から1000年前、イスラエルは王国として建国され、二代めのダビデ王が周辺の国々を制圧し、息子のソロモン王が神殿を建てました。そのわずか80年が、イスラエルの歴史の中で最も輝いた時代でした。イスラエルの人々はいつの時代も「ダビデ王」のように神に愛された力強いカリスマ指導者が現れることを望み、「ダビデの時代」のように、強い王国を取り戻すことを望みました。


 この考え方は現代のイスラエルの中にも根深くあるのでしょう。イスラエルが今の土地にこだわり続け、さまざまな紛争のもとになってきたのも、この思想が根底にあるから、と言えるかもしれません。


 この当時のイエス様の弟子たちもまた同じ望みを抱き、イエス様ならローマ帝国を追い出して王となり、イスラエルを地上における「神の国」としてくださると信じていたのです。この勘違いが、結局イエス様を十字架にかけることに結びついたというのに、弟子たちは本質的なところがまだわかっていませんでした。


 しかしイエス様はそんな弟子たちを責めようとはなさいませんでした。イエス様は「あなたたちの力はイスラエルという地域に限定されるものではない」と言われます。「あなたたちのやることはイスラエルの立て直しではなく、地の果てまで、世界中の人々にイエス様の愛を伝え、神の国に導くことなのだ」と言われたのです。そう話し終えられると、イエス様は弟子たちを残して、天に上げられます。この時の弟子たちはまだ「古いイスラエル」の考え方を引きずっていました。彼らがイエス様の真意を悟り、世界中の人々と平和な関係を築くことを祈り、宣教する「新しいイスラエル人」に生まれ変わるまで、もう少し時間が必要だったのです。


 ところで、本日読みましたルカ福音書の終わりと使徒言行録の始まりは重複しています。どちらも著者はルカで、ルカ福音書を第一巻、使徒言行録を第二巻として書き表し、テオフィロという身分の高い外国人に献上したのです。ルカ自身もユダヤ人ではありません。ルカ福音書と使徒言行録の存在そのものが、すでにキリスト教が国境も民族も超えて広がり始めていたことの証しだと言えるでしょう。


 使徒言行録にはイエスの昇天が本当に起こった出来事としてリアルに描かれています。イエスは人々の見ている前でゆっくりと地面から離れ、天に昇り始めます。弟子たちは、心が引き裂かれるほどに寂しい思いをしたことでしょう。イエス様が雲に隠れて見えなくなっても、いつまでも天を見つめていると御使いが声をかけます。「なぜ天を見上げて立っているのか。あなた方から離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる。」


 御使いは、イエス様は再び戻ってこられる、と約束します。イエス様が再び地上に来られることを「再臨」と呼びます。これについては別の機会に詳しくお話しすることにして、イエス様は戻ってくるまでの間、ご自分に代わる存在が来られると約束してくださったことに注目しましょう。


 ヨハネ福音書の14章18節には「わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あたながたのところに戻って来る。」と言われました。また同じく26節では「父が私の名によってお遣わしになる聖霊が、あなた方に全てのことを教え、私が話したことをことごとく思い起こさせてくださる。」ともおっしゃいます。


 つまり、ご自身がいつ戻ってくるかは明かせないが、あなたたちはもう私のものなのだから、一人ぼっちにすることは絶対にない、聖霊という神様は私と同等の力を持ち、この方といることは私といることと同じなのだ、と約束してくださるのです。その聖霊が送られたのが昇天日から10日後、聖霊降臨日の出来事となのです。聖霊なる神は目に見えなくとも、信仰を持つ人、一人一人と共にいてくださることを心に刻んでおきましょう。


 イエス様が肉体を持って地上におられた時は、「イエス様はどこ?」と尋ねられて、人々は「ガリラヤにいます」「エルサレムにいます」と具体的な場所を言いました、天に帰られた今は場所に縛られることなく、どこにでも、そして私たち一人ひとりと共におられるのです。神様はどこにおられるのか、イエス様は本当に私たちの祈りに耳を傾けてくださっているのか、と思うこともあるでしょう。しかしイエス様はどこ?と聞かれれて、「今ここに、私と共に」と答えことができる喜びを、私たち一人ひとりが持っているのです。イエス様はわたしたちから遠く離れ去ってしまったのではなく、いつも共におられると信じ、さらに祈りを熱くしてまいりましょう。  

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