2022年12月26日月曜日

「クリスマスの光」(日曜日のお話の要約)

主の降誕礼拝(白)(2022年12月25日)
イザヤ書 52章7-10節(1148)ヨハネ福音書 1章1-14節(163)


 みなさん、クリスマスおめでとうございます。

 昨夜はこの場所でクリスマスイブ礼拝を行い、「世界ではじめのクリスマス」と題して、イエス様が生まれた夜のお話をいたしました。
 イエス様がお生まれになった「世界ではじめのクリスマス」は2000年前の出来事ですが、日本で最初に祝われたクリスマスは、いつだったでしょうか。答えは今から470年前、西暦1552年、安土・桃山時代のことです。

 日本に初めてキリスト教を伝えた宣教師、フランシスコ・ザビエルが、山口県に滞在中、人々を集めてお祝いしたと言われています。1560年には、京都で、100人の日本人キリスト教信者が集まり、クリスマス礼拝が行われたとも記されています。
 戦国時代、合戦の最中、緊張感高まる中で織田信長と松永久秀があえて戦を止めてクリスマス停戦を行ったと言う出来事をご存知かもしれません。戦国武将の中でトップの人気を誇る織田信長は、短気で、無慈悲な一面も持っていたと言われます。しかし、最近の歴史研究や考察では、信長は天下人になることを願ったが、その動機の中には戦のない世界を作りたいという思いがあったのではないか、とも言われています。その手段の一つとして日本にキリスト教を取り入れることを認めたのかもしれません。

 しかしその後、支配者が代わり、鎖国政策が敷かれ、キリスト教も厳しい禁教令の下で、クリスマス礼拝やパーティどころではなく、日本のキリスト教はほとんど途絶えてしまいましたから、クリスマスのお祝いが再開されるのは明治時代まで待たなくてはなリませんでした。

 調べてみますと1874年の築地で、日本人がクリスマス会を開いた記録があります。とはいえ、その研究者によると、これ以降のクリスマス会は華やかに祝われるにしても、キリスト教からきっちり宗教部分を除いて定着していったそうです。日本のクリスマスが、クリスマスからキリスト教を抜いて、まるでサンタクロースのお祝いのようになってしまったのは、かなり早い時代だったのです。

 さて、本日のヨハネによる福音書は、イエス様のお弟子さんの一人、ゼベタイの子ヨハネによって書かれました。ヨハネは中心的な弟子の中で一番若く、見た目も美しかったようです。しかしイエス様から「雷の子」というあだ名つけられました。それは彼が短気で喧嘩っ早く、イエス様に失礼な振舞をした町を「焼き滅ぼしましょう」などと口走る物騒な性格だったからです。
 また、彼の兄もイエス様の近くで学ぶ弟子の一人でしたが、救い主としてのイエス様の働きを十分には理解できず、二人してイエス様の前に進み出て「イエス様が救い主としてユダヤの王様になられるときには、自分たちをその片腕にしてください」と願い出ます。
 彼らの母親はイエス様の弟子たちのお世話をするために一緒に旅をしていましたが、彼女もまた「息子たちを重要な地位につけてほしい」と願い出たことが他の福音書に書かれています。要するに、この一家はイエス様のことが大好きで弟子としてお役に立つことを喜んでいましたが、本当のところでイエス様のお考えを理解していなかったのです。

 ヨハネはイエス様の弟子とはいえ、短気で、けんか早く、打算的な面のある、ごく普通の青年でした。ですから、イエス様が国のトップの人々の罠にかけられて捕らえられ、十字架で亡くなった時、真っ先に逃げ出してもおかしくありませんでした。確かに、イエス様の弟子の多くは自分が逮捕されるのを恐れて、逃げ出しました。そんな中で、ヨハネだけはわずかの女性の弟子やイエス様の母マリアと共に、十字架のそばで息を引き取るイエス様を見守ったのです。

 十字架の死から三日ののち、イエス様は復活し、ご自分を見捨てて逃げた弟子たちのところに行ってお赦しになりました。それは、人間がどれほど醜く弱い心を持っていても神様は変わらず愛してくださることをはっきりと伝えるためです。
 そしてこの教えを信じて生きるものは、地上の命が尽きた時、神の国に受け入れられて永遠の命が与えられると語られ、神様の元に、天国に帰って行かれたのです。

 ヨハネはこのイエス様の教えをしっかりと受け止め、キリストの教えを伝える伝道者となります。彼は理解の遅い人にも愛を込めて優しく教えました。もう、前のような「雷の子」ではありません。いつの間にか「愛の人」と呼ばれるようになりりました。それはイエス様に赦され愛され、人を本当に愛することを知ったからです。

 イエス様の愛によって成長したヨハネは、イエス様がご覧になったようにこの社会を見つめました。この世には以前の自分のように、自己中心的な人々が溢れていて、傷つき傷つけられながら生きているのです。誰かを心から信用することも頼ることもできなくて、孤独に苦しんでいるのです。ヨハネにはそれが見えました。だからこそ、自分に与えられたイエス様の愛、命の光を伝えようとしました。

 旧約聖書の創世記には、人間はもともと神様に愛を込めて作られた存在だと書かれています。ヨハネが、それが本当のことだとはっきりわかったのはイエス様のお導きでした。
 最初の人アダムとエバは自分から神様を裏切り、楽園から出ていかなくてはならなかったけれど、神様は変わらず人間を愛していること。それを伝えるためにイエス様はこの世に来られたこと。イエス様のおっしゃることを信じれば、この世の人生を終えた後、神様が天の御国に召されていくのだということ。
 イエス様はそれら全てのメッセージを人々に伝えるために、お生まれになった、まことの救い主なのだ、とヨハネは伝えたのです。イエス様のお誕生を大いに喜ぶのは、そのためなのです。

 ヨハネは自分の福音書の第一章に、創世記の始まりと対になるような表現で、イエス様は暗闇に輝く光だと書きました。光というのは、昼間は明るく私たちを照らしていても気にも止めませんが、周りが暗ければ暗いほど必要です。
 人生が順調な時、それが当たり前だと思っている時は、光がそばにあっても気がつきません。しかし何かに失敗して、自分はだめだ、まるで深い闇の中をひとりぼっちで彷徨っているようだと思った時、光の存在を求めます。そして、自分を照らす光がどれほどありがたいか知るのです。ヨハネはイエス様こそ、人の心の暗闇に差し込む光だと告げるのです。

 イエス・キリストの誕生を覚えるクリスマス。小さい子どもも、おじいさんもおばあさんも、病気の人も、何か失敗してクヨクヨしている人も、イエス様は全ての人に関わってくださり、共に歩いてくださいます。この方の誕生を私たちは心から喜び、全ての人に伝えましょう。
 イエス様、まことの救い主の光は、全ての人を照らすのです。 


みなさま、24日、25日はどのようにお過ごしでしたか?
飯田は24日未明より雪が降り始め
朝6時には教会周辺でも15センチほど積もっていました。




大急ぎで雪かきを開始しましたが次々降ってきます。
一旦諦めて見守っていますと、陽が差し始め気温も上がって
かなり解けてくれました。
ホワイトクリスマスも良いのですが
教会に車で来る人がほとんどで、あまりひどいと
礼拝出席の妨げになります
思ったよりも気温が上がったイブの夜
無事にイブ礼拝が行われました




25日は日差しも暖かく、礼拝の時間には
8度近くまで上がり、換気をするのも楽でした


こども聖歌隊は「サンタが町にやってきた」の替え歌で
「イエス様がお生まれだ」を手話を交えて元気に賛美



メンバーのお母さんはベーシスト!


リーベクワイヤの皆様
二日連続のご奉仕ありがとうございました


コロナ禍の影響で2日とも愛餐はできませんでしたが
飯田教会なりの工夫で和やかに過ごし
集まった皆様とともにイエス様のご降誕をお祝いしました

記念撮影の後、代議員さんから
礼拝出席の皆様にプレゼントが配られました




2022年12月18日日曜日

「インマヌエル預言」(日曜日のお話の要約)

待降節第4主日礼拝(紫)(2022年12月25日)
イザヤ書7章10-16節(1071) マタイ福音書1章18-25節(1)

 本日の説教題である「インマヌエル預言」とは、旧約聖書から新約聖書へと続く大切なメッセージです。「インマヌエル」とは「インマヌ」、つまり「われらとともにいる」という言葉と、神様を表す「エル」を組み合わせた名前で、「神はわれらとともにいる」という意味があります。 

 インマヌエルという名前が聖書に最初に登場するのはイザヤ書7章14節で、「乙女が身ごもって男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ」という記述です。これは「インマヌエル」という名前の赤ちゃんが生まれる、という意味ではありません。「神様はわれらとともにいてくださる」と証明する人物がやがて乙女から生まれる、という預言なのです。 

 イザヤ書が記されたのは紀元前700年頃で、まだギリシャもローマも存在せず、アッシリヤという大国が周辺を支配していました。イスラエルはと言いますと、北と南に分かれて敵対関係にあり、北側の王国イスラエルは、まさにアッシリヤによって滅ぼされようとしていました。  南側はユダ王国と言いますが、こちらも常に不安定な状況にありました。国王のアハズは、アッシリアに逆らわないことを示すため、アッシリアの神々を自らの国に導入して神殿を建て、宗教儀式も導入しました。父なる神様の存在をないがしろにしたのです。

  歴史はややこしいもので、ユダ王国が国を守るためにアッシリアに擦り寄る反面、アッシリアに反発する国々が立ち上がります。そして「共にアッシリアと戦おう、反アッシリアの同盟を組もう」と持ちかけてきたのです。しかしアハズ王はこれを断ったため、今度は反アッシリアの同盟軍が「ならばお前も敵だ」とばかりに押し寄せてきます。 
 今日の聖書箇所は、同盟軍に震え上がったアハズ王に対し、イザヤが投げかけた言葉です。イザヤは「反アッシリア同盟軍は壊滅するから大丈夫だ。神様は力強くあなたを守るから、神様だけを信じなさい」と呼びかけるのです。ところがアハズ王はアッシリアの軍事力が自分たちを守ってくれると考え、神様に立ち返ろうとはしませんでした。 

 この時ユダ王国はなんとか救われましたが、アハズ王の後を受けた王様たちも神様に絶対的な信頼を置こうとはせず、軍事費を増強させたり、周辺の国々と無意味な同盟を結んでは裏切られ、を繰り返します。 

 イザヤをはじめとして多くの預言者は、神様がもっとも悲しまれるのは「不信の罪」だとメッセージし、神を信頼しない罪を指摘し続けましたが、王様も民衆も純粋な信仰に立ち返ることはありませんでした。その結果として、結局200年足らずの間に、新たに台頭したバビロニア帝国との戦いに敗れ、国土は蹂躙され、人々は捕囚され、神殿も焼かれてしまったのでした。 

 しかし神様はイスラエルの民を見捨てることはなさいませんでした。バビロニア帝国に連れ去られた民衆は、神様の奇跡によってやがて祖国に帰ることができました。祖国に戻った民衆は神殿を再建し、律法を重視し、一見信仰深く神様中心の国を作り上げたかに見えました。しかし結局は肝心なところで神を頼らず、信頼せず、人間の浅知恵で行動した結果、ペルシャ、ギリシャ、ローマによって次々と支配されることとなってしまったのです。

  とはいえ、彼らは聖書を大切にする伝統だけは失わず、どのような状況に陥っても子どもたちに聖書教育を与え続けました。それで、イザヤ書もまた大切に受け継がれ「インマヌエル預言」は「イスラエルを救う救い主が来てくださる」という神様からの約束として受け継がれていきました。

  旧約聖書と新約聖書を結ぶ一番初めの書、マタイ福音書は長い長い系図からスタートします。そしてその系図の直後に、イエス・キリストの誕生予告が記されています。ヨセフの夢の中に天使が現れ、改めて「インマヌエル預言」を告げています。その時ヨセフはマリアの「謎」の妊娠を知り、不貞を疑って夫となることを躊躇していました。しかしマリアの胎にインマヌエルなる神が宿られたことを信じたヨセフは予定通り彼女を妻として迎え入れるのです。

  こうして誕生されたイエス様は、神様の御用を果たすために罪人と呼ばれる人々と交流をし、荒んだ人生に生きる人々を悔い改めに導き、病を癒やされました。十字架の死に至るまで神様を信頼する姿勢は変わることなく、強烈な痛みや屈辱を耐え忍ばれ、神様が人々をどれほど大切に思っておられるかを伝え続けました。  やがてイエス様が復活し天に帰って行かれた後、キリスト教が様々な民族の間に広がって行くにつれ、「インマヌエル預言」はクリスマスストーリーの印象的な出来事の一つとして多くの民族が読み、愛する場面となっていきました。

  そして人々はついに「インマヌエル」とは「イスラエル民族の救い主」という枠を超えた存在であると理解するようになります。「神様はどのような民族であれ、どのような立場であれ、われらとともにいてくださる」と信じることができるようになったのです。 

 クリスマスは何世紀にもわたって預言され続けたインマヌエルなる神、イエス様のお誕生を喜ぶ日です。かけがえのない家族や友人と過ごす時間は大切ですが、それだけに流されないで、イエス様があらゆる人々を愛されたように、人生に打ちひしがれた人々に出会ったなら、愛を持って接し、神様が共におられることを伝え、祈ることは忘れないでください。あなたが必死で努力しても、その言葉に素直に耳を傾けてくれないかもしれませんし、空しくそこでは終わってしまうように思えるかもしれない。けれども、その言葉は必ずどこかで希望になるのです。


1月7日のどよう学校で制作する予定の
「ぽんぽんうさぎ」です
ふわふわした暖かそうな動物を作ることに決め
あれこれ試作していたら
いつの間にかうさぎができていました
干支を意識したわけではなかったのですが…
長い耳や小道具のにんじんが
子どもたちの「工作心」を
刺激してくれることを願いつつ



2022年12月12日月曜日

「天国の開国」(日曜のお話の要約)

 待降節第3主日礼拝(紫)(2022年12月11日)短縮
イザヤ書35章1-10節(1116)マタイ福音書11章2-11節(3)

 本日の福音書には、先週に引き続いて洗礼者ヨハネが登場します。ヨハネはヨルダン側の岸辺でイエス様と出会い、この方こそ「救い主」であると確信します。

 ヨハネは神様に忠実に生きるために俗世を離れ、荒野で禁欲的な生活を送ってきました。誰とも馴れ合わず、相手が誰であろうが神様の御心から外れていると思われる人には悔い改めを迫り、厳しい言葉を語りました。その結果として、時の領主ヘロデを批判した罪で捉えられ牢に繋がれました。

 ヨハネを新しい時代のリーダーだと考えていた人々は大いに失望しますが、その後を受けるようにイエス様が宣教を開始されます。そのお言葉と行動には素晴らしい力が宿っていましたから人々は喜んでイエス様の教えを聞こうと集まりました。


 ただ、イエス様の生活はヨハネの禁欲的な態度とは対照的でした。イエス様は、相手が罪人と呼ばれる徴税人であろうと招かれれば一切気にせず招待に応じ、共に食卓を囲んで楽しく飲み食いなさいました。ヨハネの厳しい教えに従おうと考えていた人々には奇妙に映ったことでしょう。民衆は洗礼者ヨハネの教えに留まるべきか、それともイエス様の教えに従っていくべきか、大いに戸惑ったのです。


 民衆にとっては、ヨハネもイエス様も、イスラエルの社会を大きく変革させる指導者でした。この二人のどちらかの行動一つで国が変わる、と考えました。

 イスラエルは古くから宗教指導者が政治家も兼ねる宗教国家でしたが、イエス様の時代、そういった人々の多くは堕落したり支配国であるローマに擦り寄ったりしていました。その有り様を内心嘆いていた人々は、ヨハネかイエス様によってイスラエルをあるべき姿に戻してもらえるかもしれない、と考えました。


 イスラエルは紀元前1000年前のダビデの時代が絶頂期でした。ユダヤ人なら誰でも、その時代への強い憧れがあったのです。人々はどちらかがリーダーとなってローマを追い払ってくれれば、ダビデ王の時代のような神様中心の強い独立国に戻れるに違いない、と期待を抱いたのです。イスラエルの人々にとって宗教リーダーとはそこまで大きな役割を負う存在だったのです。


 私たち日本に住む人間には想像できないほどの使命の違いですが、宗教家にしろ政治家にしろ、どんなに良き指導者が現れたとしても、その人たちに責任を押し付けて自分はしんどい役目を負うことをせず、ただ利益を与えられることだけを待ち望むなら、国は一時的に良くなったとしても、あっという間に元の混沌とした状態に戻ってしまうでしょう。


 イエスはそのような人間のそういった良くない性質を十分ご存知でした。その上で、そのような人々を厳しく断罪したヨハネとは異なり、むしろそういった底辺の人々のところにご自分から出向かれました。そのため、エリート的な人々や真面目が取り柄のような人々から誤解され悪い噂を流されましたが、少しも気になさいませんでした。


 ヨハネの言うように潔癖には生きられない、と諦めていた人たちにとって、イエス様は親しみやすく、それでいて大切な教えを教えてくれる素晴らしい教師となりました。その上、癒しの奇跡を行われたので、民衆はイエス様にどんどん惹きつけられていきました。


 ヨハネは、牢に繋がれていましたが、看守や自分の弟子からイエス様の噂を聞いたのでしょう。イエス様のところに人を遣わして、「来るべき方」つまり「救い主」はあなたなのでしょうか、と問いかけたのです。


 これは不思議な問いかけです。先にお話ししたように、ヨハネはヨルダン側の岸辺でイエス様がヨハネから洗礼を受けることを望んだ時「私こそあなたから洗礼を受けるべきだ」と辞退しようとしたほどです。ヨハネはこの時イエス様がメシアであることを確信していたはずです。

 ヨハネが本当に疑ったのか、念押しだったのかはよくわかりません。ヨハネに問いかけに関して、イエス様のお答えは今日の福音書に記されているように少し遠回しだったからです。


 イエス様は要約すれば「私のしていることを見れば、メシアかどうかわかるはずだ」とお答えになってヨハネの弟子たちを帰されます。

 その後、ご自分の話を聞きに集まっていた他の人々を前に、ヨハネの働きを非常に高く評価されました。ただしそのお言葉の中に感じられるのは、まことの救い主であるご自分が来られたのだから、ヨハネの果たすべき役割は終わった、ということでした。


 洗礼者ヨハネは、自分勝手な生き方をしてきた者でも、その罪に気づくなら神様は裁かないで赦してくださると教え、迷いつつも自分の元にやってきた人々に悔い改めの洗礼を授けました。そうすることで本来なら神の国に入れる資格がないと思い込んでいた者たちにも天国の門が開いた、まさに天国が開国したのです。


 それでも、世の中には悔い改めようとしない人々は大勢いました。「どうせ自分なんて」と考えている人々です。しかしイエス様は天国の間口が限りなく広く、天国がどれほど豊かであることを示すために、民衆の中に入りこまれたのです。何度も言うようですが、イエス様はこの世の罪人と語らい、共に食事をし、大酒飲みの大ぐらいと揶揄されても、この世で生きづらさを抱えながら開き直っている人々と親しく交流し、天国が彼らの生きる希望、生きる目的になるよう、全力で関わられたのです。ここに、愛の姿勢があるのです。


 私たちは、イエス様が示してくださった天国に至る広き門を知っています。そのイエ様の誕生を喜び、告げ広める者として招かれているのです。クリスマスを前にしたこの季節、私たちは改めてイエス様の生き方に学んで参りましょう。



飯田教会には立派なネイティビティはありませんが
小さくて質素なこのセット、
ファーストクリスマスの情景のようで
結構気に入っています
今年も礼拝堂の正面で
静かにクリスマスの訪れを知らせてくれています





2022年12月5日月曜日

「洗礼者ヨハネ」(日曜日のお話の要約)

待降節第2主日礼拝(紫)(2022124日)
イザヤ書111-5節(1078) マタイ福音書 31-6節(3


 これからの1年、私たちはマタイによる福音書を通して御言葉を聞いて参ります。マタイによる福音書の特徴は、著者であるマタイが徴税人出身だった、という経歴のユニークさにあります。彼は大金を叩いてローマの犬となり、税金を集める立場を獲得しました。同じユダヤ人から裏切り者、罪人と罵られても金儲けをやめられなかったのに、イエス様に招かれた時、富やローマの後ろ盾をあっさり捨て、弟子となって従う道を選んだのです。

 そのマタイが「キリストの言葉と行いはこの世の全ての民族の知恵や知識に優る」と確信して書き上げたイエス様の伝記がこの福音書なのです。ですからマタイはイエス様誕生の際、異教徒である占星術の学者たちが東の国から訪問し、ひれ伏して礼拝した、とあえて記すのです。


 イスラエルは長い歴史の中でたびたび戦いに敗れますが、神様の愛の前に悔い改め、奇跡的な復活を遂げます。それはひとえに神様の側の哀れみによるのですが、そこを過信してしまうのが人の悲しさです。


 イエス様がお生まれになった当時、ユダヤは宗教と政治が一体となった宗教国家でした。主流派は神殿を司っていたサドカイ派と、聖書と律法の教えを重んじるファリサイ派でした。しかし彼らは神様からご覧になれば見当違いの信仰生活を送っていました。

 サドカイ派は神殿と儀式さえ守っていれば神様が守ってくれると教えていましたし、ファリサイ派は律法を守ることを何より重視しました。この二つのグループはライバル関係で、決して仲が良いとは言えませんでしたが、熱心に信仰生活を送っている自分たちを神様が滅ぼすわけがない、という考え方は共通していました。


 彼らが謙虚になってじっくり旧約聖書を読んだなら、自分たちの態度が神様を悲しませていることに気づいたかもしれません。しかし民衆を指導する立場の彼らは、言うなればふんぞり返って人々から尊敬されることを好んでいましたから、謙虚になることはありませんでした。


 しかし彼らがいくら「我が国は大丈夫だ」と言っても、庶民は盲目的にそれを信じることはできませんでしたから、従来の指導に嫌気がさし、ひたすら神様の教えに従った生活がしたいと望んだ人々もいました。荒野で集団生活し、霊性を高め、時に断食しつつ、「神殿に過剰に頼らなくても神様に仕えることはできる」と信じて神の御心に生きようとしました。その人々ははエッセネ派と呼ばれました。

 洗礼者ヨハネもエッセネ派の一員として俗世から離れていましたが、ある時神様の召しを受けて、荒野から「悔い改めよ、天の国は近づいた」と叫び始めます。彼は神様の御言葉をいただいて、それが民衆にどれほど耳の痛いことであっても伝える役目をおったのです。


 ヨハネの厳しい声はイスラエル全土のユダヤ教徒の人々の耳に届きます。これは社会に大きな波紋を投げかけました。

 ヨハネの「悔い改めよ」の一言は「自分はこれでいいのか?」と悩んでいた多くの人々の心に突き刺さりました。ユダヤ民族は古代から非常に聡明な民族だと言われていました。幼い頃から聖書に基づいた教育を受け、読み書きもできました。そんな彼らでしたから、ヨハネの言葉を聞いた時、自分が神様に向き合わず、表面的な信仰生活に終始していたことに気づき、続々とヨハネの元に来て自分の行いを悔い改め、その証としての洗礼を受けたのです。


 私たちは、イエス様は何でも赦してくださる、となんとなく甘く見て、悔い改めの祈りや行動を改めることを、あまり大切に捉えていないこともあります。しかし、ヨハネの語る「悔い改めよ」とは、これから天国に勝るとも劣らない場所を地上に創っていくから、あなたがたはそれに備えなさい、というものなのです。そのためにまず罪を告白し、洗礼を受け、天国の実現のために真剣に信仰に歩みなさい、という招きだったのです。「神の国」というのは観念的なものではなく、神様がご自分を信じる者たち一人一人を用いて、作り出してくださるものなのです。


 洗礼者ヨハネは「自分がその神の国を作り出す存在だ」とは決して言わず、後から来られる方がその国を作るための準備をしているに過ぎない、と語りました。後から来られる方、とは言うまでもなくイエス様のことです。

 イエス様は、神の国、遥か高みに鎮座して「私を礼拝しろ」と命令する神ではありません。神であるにもかかわらず人として生まれ、かといって特に目立つお姿でもなく、ただ人としてのすべての苦難や悲しみを知り尽くした上で、一人一人に関わってくださる。そして、わたしを用いて、導いてくださることを約束してくださる方なのです。


 私たちはそのイエス様に招かれました。イエス様が地上にお生まれになってから2000年以上が経ちましたが、イエス様は始まりの時から何一つ変わっておられません。マタイ福音書を記したマタイが、富も地位も捨ててイエス様に付き従ったように、私たちもイエス様の地上でのご誕生を喜び、出会ってくださったことに感謝し、その方に倣うことを喜びとすることができるのです。


 世界にあるキリスト教会は、時に権力に囚われ大きな間違いを犯します。イエス様への謙虚な信仰がぼやけてしまえば、クリスチャンといえどもいつ世の中に流されてしまうかわかりません。だからこそ私たちは神様が示してくださった愛と寄り添いの世界こそが、神様が喜ばれる世界であることを心に刻み、心が迷うときには「悔い改めよ」のヨハネの声を心に響かせながら、イエス様とともに歩んで参りましょう。


アドベントに入る直前に牧師が新型コロナに感染したため
何かと予定が狂い、礼拝堂の模様替えも
大幅に遅れてしまいました
なんとかツリーもクランツも飾り終え
ほっと一息ついた時の写真です
飯田教会は古く小さいのですが
写真写りは悪くない…と思っています
いかがでしょう(^▽^)