聖餐式・聖霊降臨後第2主日礼拝(2026年6月7日)(緑)
ホセア書 5:15~6:6 ローマ 4:13~25
マタイによる福音書 9:9~13、18~26
みなさんは中近東に旅行したことがあるでしょうか。大雑把にいうと一部の地域を除いて熱くて乾燥しています。イエス様の故郷であるイスラエルは雨季と乾季に分かれていて4月から10月の半年は雨がほとんど降らない乾季にあたります。地面はひび割れ、草は枯れ、川は干上がり、ただの溝のようになります。
そしてようやく乾季が終わる頃、突然、空が暗くなり、激しい雨が降ることがあります。その雨が流れ込む谷川を、「ワジ(Wadi)」と呼びます。イスラエルは生き生き残るために知恵を用いて文明を発展させ、こうした自然現象を利用して巨大な水タンクを地下につくり、それを吸い上げるポンプを開発し、国家運営に役立てました。
普段は乾き切って命の危険さえ感じる場所が、一気に水で満たされ、大地に命が戻っていく。イスラエルの人々にとって、雨は単なる天気ではなく、生きるための恵みそのものでした。
ところで本日読んで頂いたホセア書6章には「偽りの悔い改め」と小見出しがつけられています。3節には、「主は必ず来られる。夜明けのように、降りそそぐ雨のように。」と記されています。美しい聖句のように思えますが、神様はそこに込められた表面的で自分中心の底の浅い信仰を見抜き、「お前たちの信仰はすぐに消え失せてしまう」と嘆かれるのです。
ホセア書は少々異色の預言書です。神様がホセアという預言者に向かって、不貞を働く女性ゴメルを妻としてめとるよう命じる所から始まります。ゴメルは他の男性の元へ去りますが、ホセアは再び彼女を連れ戻し、愛し続けます。
先に種明かしをしますと、この「裏切り続ける妻ゴメル」とは、神様の恵みを忘れて他の神々の元に走り恩恵を得ようとする人々のことで、「それでも愛し続ける夫」とは、どんなに裏切られても、一度愛した人間を守り、破滅から救い出そうとする神様の赦しの愛を表しています。
神様は、ご自分をもっともっと知って、もっともっと信じて頼ってもらうことを望まれます。「たまには礼拝に行かないとなあ」と義務的な気持ちで礼拝に来たり献金をしたりする。あるいは「クリスチャンになっても良いことがないなあ」とぼやく。そういったことが神様は辛くてしょうがないのです。
「わたしが喜ぶのは愛であって、いけにえではない」という神様のメッセージは切実です。神様は心のこもらない礼拝出席や形式的な祈りではなく、ご自分と信徒の間に繋がりを欲しておられるのです。
さて、もう一つの聖書日課、マタイ福音書を見てまいりましょう。複数の登場人物とイエス様の関わりが記されています。徴税人マタイ、死んだ娘の命を取り戻したいと願うユダヤ教の指導者、12年間病に苦しみ続けた女性の3人です。
まず徴税人マタイについてですが、この職業はローマ帝国のために仲間のユダヤ人から税金を搾取し、余分に徴収した金は自分の懐に入れるという悪どい働き方をしていました。そのため罪人とみなされ、社会から排除されていました。
しかしイエス様はマタイに向かってただ一言、「わたしに従いなさい」と語りかけ、マタイは立ち上がってイエス様に従ったのです。イエス様は宗教的・社会的境界を越えて、マタイを招き、彼はそれに応えたのでした。
しかし周囲の人々、特に宗教指導者たちは納得しません。そこでイエス様はホセア書6章6節から「私が求めるのは哀れみであって、生贄ではない」と引用され、神様は罪人マタイを憐れみ、癒すためにご自分の元に招いたのだとはっきり示されたのです。
次に登場するのはユダヤ教の指導者と12年間病に苦しみ続けた女性です。彼女は不正出血が続く婦人科系の病に12年も苦しんでいました。この病は宗教的に「汚れている」と定められ、周囲の人間も「触ったら汚れる」と信じていましたから、病の苦しみだけでなく、孤独にも耐えてきました。そして最後のチャンスとばかりに人混みに紛れ、そっとイエス様の服の房に触れたのです。
イエス様だから感じ取れた、ごく僅かな接触だったのでしょう。しかしイエス様はご自分に向けられた彼女の切実な願いを感じ取られ、「娘よ、安心しなさい」と語りかけ、癒されたのです。
そしてこの出来事を挟み込むように、指導者の娘の出来事が記されています。この指導者はイエス様が女の病を癒すために立ち止まっておられる間、まだかまだかと待っていたことでしょう。それでも「俺の方が身分が高い、俺の方が先だ」などと言い出して場を乱すようなことはせず、ただ信仰によって自分の番が来るのを待ったのです。
こうして彼の信仰は報いられ、娘は命を取り戻します。
神様は、民族、律法、社会的地位、清浄・不浄、罪人・義人という区分を越えて、人を招きます。イエス様は私たちが勝手に築いてしまった思い込みという境界を越え、神様の愛を示すのです。
長く信仰生活を送っていると、それそれの教会内での常識や、組織でとしての振る舞いに縛られやすくなります。教会は「義務の共同体」ではなく、「恵みの共同体」であることを忘れてしまい、神様が示してくださる優先順位がわからなくなって、大きな恵みを受けそびれることになります。
この渇いた時代に私に恵みの雨を降らせ、次にすることを示してくださる神様に素直に応えてまいりましょう。幼児が傘もささずに、雨に打たれて喜ぶように。私たちはその恵みの雨の中にいるのです。
6月14日は礼拝堂の改修が終わって一周年の記念礼拝を行います
礼拝ではルーテルキッズバンドの賛美があります
礼拝後はレトルトカレーを持ち寄って食事会(愛餐会)を行います
食物アレルギーのお友達への配慮のため
大鍋でカレーを作ることは致しません
別々だけど、一緒
そういう愛餐も良いでしょう?
その前日、6月13日は土曜学校です
聖句は創世記の天地創造から
「見よ、それは極めて良かった
工作は紙を切って貼ってステンドグラス風
今回は雨傘スタイル
ある程度こちらで準備はしますが
枠を含めて必要なものを自分達で切ってもらう予定です
牧師が「雨傘カエル」と命名
何やら人の名前のようです
参加してくれるお友達はどんな「雨傘カエル」を
作ってくれるでしょうか



