2019年8月26日月曜日

神ご自身に生かされる(日曜礼拝のお話の要約)

聖霊降臨後第10主日礼拝(緑) (2019年8月18日)
エレミヤ23:23-29 ヘブル 12:1-13 ルカ12:49-53

 本日の福音書には「分裂をもたらす」というタイトルが付けられています。イエス様に従うことで幸せになるのでは無く、親子が分裂するなんてありえない、と思われるでしょうか。しかし、私たちがイエス様に従う生き方を貫こうとする時、多かれ少なかれ、「分裂」というものを経験することがあるのです。
 家族一族の中で、自分が初めてのクリスチャンとなるとき、反対を受けた、という経験をお持ちの方もおられるはずです。職場仲間で日曜日にみんなで出かけよう、と誘われ、断ることで同僚との間に亀裂が入った経験をお持ちの方もおられるでしょう。
 ここ飯田でも、地域のお祭りの時期ともなれば、ご近所さん、地域の方々と宗教感覚を巡って、「分裂」と呼ぶには大げさかもしれませんが、軋轢を経験される方もおられるでしょう。
 
 キリスト教は、2000年前に生まれましたが、その母体は古代の中近東で生まれたユダヤ教です。天地を作られた唯一の神だけを信じ、律法を柱として厳格な掟とともに何世紀もの間ユダヤ人に信じられて来た民族宗教です。
 しかしイエス様は、このユダヤ教が儀式優先、形だけになっていることや、祭司たちが宗教者として堕落していることなどをきびしく批判し、神様の愛の本質を語られました。そしてそれを信じる人々が次々と救われたのです
 ところがイスラエルの指導者たちは、イエス様を生かしておくと国が混乱に陥ると考え、イエス様を捕えて一方的に裁き、ローマ人の総督に彼を処刑するように求めたのです。
 こうしてイエス様は十字架の上で命を落とされました。が、イエス様が復活されたことによって、全ての人が等しく神様から愛されているという教えや、罪からの解放、いたずらに死を恐れなくてもよい、ということなどなどはもっと具体的に、もっと明らかにされました。イエス・キリストを信じる人々は神の国、天国への希望が与えられたのです。

 こうしてキリスト教はユダヤ教から分裂して誕生したわけです。そもそもの最初から「分裂」がつきものだったとも言えるでしょう。

 キリスト教が誕生した本当の初期、12弟子達が生きていた時代、ユダヤ教から改宗したユダヤ人キリスト者と、そのほかの宗教から改宗した異邦人キリスト者の間で、またまた対立と分裂が起きたのです。
 ほかの宗教から改宗した異邦人たちの行いは、律法をきっちり守って生きてきたユダヤ人キリスト者と大きく異なっていました。双方のグループは同じイエス様を信じているにも関わらず、なかなか理解し合うことができず、初期の指導者たちは本当に苦労したようです。

 そういったことを超えてヨーロッパ最大の宗教となった後も、ローマ・カトリックの考え方に異議を唱えたルター派の人々との間に、分裂が起きます。これもまた、同じキリスト教を信じていながら起きた分裂でした。
 
 他の宗教を信じている方々との分裂、同じクリスチャン同士に起きる分裂。どうしてこのような事が起こるのかと、悲しくなることもあるでしょう。しかしこれはおそらく、人間が自分の主張を通そうという性質を持っている限り、終わらない出来事なのだと思います。
 もしルターが強い権力を持った教皇たちの顔色を伺うばかりだったら宗教改革は起こらなかったでしょう。その結果、キリスト教はもっと堕落したものになっていたかもしれません。分裂は悲しい事だけれど、必要な時もあるのです。イエス様により正しく従おうとする人々と、このままでいいじゃないかと考える人々の間に、今この瞬間も分裂が生じるかもしれません。

 だからと言って、理解し合えない相手を「消えてしまえ」と呪い、対立する相手をこの世から滅ぼそうと考えるのは明らかに間違っています。イエス様はそのようなことを望んではいません。イエス様は折に触れ「あなたがたに平和があるように」とおっしゃっておられます。イエス様は心から平和を望んでおられる方なのです。

 イエス様は、信仰を持ったがゆえに、相容れない相手が出てくることは予測しておられました。それでも、イエス様の救いを信じるか信じないかは二つに一つで、どっちでもいいや、というのは信仰ではありません。

 そのことをご存知の上で、自分たちが生きているこの世界が無意味な分裂によって崩壊することのないように、「平和があるように」と望んでおられるのです。私たちはそのために、イエス様から与えられた信仰を用いていく使命があるのです。

 この世の裁きを恐れないで、真実の平和を求め、祈り、頭を使う。
 神ご自身に生かされるものであることに、私たちの信仰があり、喜びがあり、本当の愛があるのです。



18日の礼拝もゆり組の部屋で行いました。
礼拝の後は冷房の効いた涼しい部屋で
流しそうめんで愛餐会です

2019年8月17日土曜日

全てを神に帰すとは(日曜礼拝のお話の要約)

聖霊降臨後第9主日礼拝(緑) (2019年8月11日)
コヘレト2:18-26 コロサイ 3:5-17 ルカ12:13-21

 本日の福音書では、ある人がイエス様に「私に遺産を分けてくれるよう兄弟に言ってください」と願い出ます。イスラエルの文化を知らなければ筋違いのように言える話ですが、この国では、宗教家が律法に基づいて判断するのが普通でした。彼はイエス様を立派な宗教家の一人と見込んで頼んできたようです。実際には筋違いでもなんでもなく、イエス様が周囲からどれほど尊敬を受けていたかを示す出来事でもあったわけです。
 しかしイエス様はこの男性から持ちかけられた話をあっさりと退けられます。ご自分は、この世において裁判官や調停人をするために来られたのではない、と言われたのです。イエス様は自分に話を持ちかけた男性が「金さえ手に入れば、その他のことはどうでも良い」と考えるような、危険な精神状態にあることを見抜いておられたのです。この男性が、少しでも多く財産を獲得できなければ生きていくことができない、と考えている様を見て取られたのでしょう。

 イエス様は財産にまつわる一つのたとえ話をされました。『畑が大豊作で、今持っている倉では入りきらないと知った金持ちが、喜んで古い倉を壊し、大きな新しい倉を建てて、これで残りの人生安泰だ、と安堵した夜、ぽっくり死んでしまった』というたとえ話です。
 蔵を建てることが悪いのではありません。ただこの金持ちは、飢饉への備えというより、この蓄えさえあれば、もはや神様の導きも教えも必要ない、と考えるようになっているのです。そのような精神状態をイエス様は「愚か」と言われるのです。幸福の絶頂にある時、彼は死を迎えます。

 イエス様は、この世の富は人が幸せに生きていくことに直接関係はない、と言われます。自分の安心のために富を蓄えても、神様に背を向けて生きていくなら、その人生は虚しくあっけないものだ、と言われるのです。
 イエス様は、人が心の底から恐れなく生きるには、何より神様の愛が必要だ、とお教えになりました。ただし、22節には「イエスは弟子たちに言われた」と書き始められています。ここからは、「なんとなくええ話を聞きたい」という人にではなく、イエス様に従って生きようと決心した人々に語りかけられておられるのです。言い換えるならば、神様と正しい関係を築きたいと願っている私たちに向かって、積極的な心構えと秘訣について語っておられるわけです。

 イエス様は、「悩んでも仕方のないことを思い悩むな」と言われます。あなた方の父は、何があなたに必要なのかすべてわかっていらっしゃるのだから、先回りして思い悩んだり恐れたりしないで神様を信頼しなさい、と言われるのです。
 「ただ、神の国を求めなさい。そうすれば、これらのものは加えて与えられる」とイエス様は宣言されます。とても有名な御言葉ですが、この御言葉をすんなり信じられたら苦労はしない、と心の中でつぶやく方もたくさんおられるでしょう。ただ、そんな風に開き直ってしまうのはイエス様の弟子にふさわしい態度ではないのです。

 ルカ福音書18章には、有名な「金持ちの青年」のお話があります。彼は永遠の命を受け継ぎたくてその方法をイエス様に尋ねます。するとイエス様は、持っている全てを売り払い私に従いなさい」と言われます。彼は財産を放棄することができず、悲しみながらイエス様の元を立ち去るのです。
 私たちが、思い煩わない生活を求めながらも、イエス様の言葉に従いきれないなら、この青年と同じだ、ということになります。一度イエス様についていく、と決めたなら、神様を信じ、次々襲いかかってくる不安を振り払いながら歩んでいくのです。もちろん簡単なことではありません。簡単でないところを、あえて歩むところに信仰を持って生きることの意味があるのです。

 信仰を持たない人から見れば、呑気な楽天家のように見えるかもしれません。しかし歯を食いしばってでも呑気な楽天家であり続ける努力を続けるとき、「神に栄光を帰す」という出来事が、この地上に起こるのです。
 イエス様と共に生きる人々は、なんと脳天気なのだろう、と呆れられることもあるかも知れませんが、それこそが、私たちに与えられた恵みであり、財産なのです。
 不確かで不安に満ちた今の世の中であるからこそ、私たちは神様に栄光を帰しながら、一人一人の生き方に信仰と誇りを覚えて歩んで参りましょう。


大好きな五平餅でほっと一息


2019年8月11日日曜日

ゆり組さんのお部屋で礼拝です

飯田は連日、日中の気温が35度を超えています。
先週の礼拝の時、クーラーのない礼拝堂で過ごすことに、ちょっと身の危険を感じました。高齢の信徒さんも多いので、なおさら熱中症が心配です。

ということで、試験的に幼稚園の一室をお借りして主日礼拝をすることに。

昨夜、礼拝堂からいろんなものを運び込んで並べてみました
(子ども達の書いた絵などはもちろんそのままです)





礼拝中の写真がないのは残念ですが、本日出席された皆さんから好評をいただきました。

保育室のテーブルをお借りすると、式文も大型聖書も賛美歌も週報も、無理なく乗せられるので、なかなか使い勝手が良さそうです

保育室にはオルガンはないので、奏楽はヒムプレイヤーで流す予定でしたが、オルガニストのO姉妹が急遽この部屋のピアノを使って弾いてくださいました。
感謝です

2019年8月6日火曜日

祈りに感謝を込めて(日曜礼拝のお話の要約)

聖霊降臨後第8主日礼拝・聖餐式(緑) (2019年8月4日)
創世記18:16-33 コロサイ 2:6-15 ルカ11:1-13

 本日の聖書箇所でイエス様の弟子が「私たちに祈りを教えてください」と教えを請います。ユダヤ人である彼らは幼い時から祈り方を学んでいましたが、尊敬するイエス様から改めて教えていただくことを願ったのです。
 ユダヤ人に関する資料を読んでいた時、「ユダヤ人は朝目覚め、まだ体を動かさないうちに、命を与え意識を回復させてくださった偉大な神に感謝する。」という文章を読んだことがあります。祈り始めの神様への呼びかけには、相当重々しく、尊敬の念を失礼のないように表す言葉が選ばれたような印象を受けます。
 それに対し、イエス様は本日のルカ福音書で、ただシンプルに「父よ」と祈り出すよう教えられています。

 「お父さん」と口にすれば、血縁関係である父、あるいは育ての父のイメージが先行するでしょう。人間である父には時に悪い思い出もあり、素直に「お父さん」と呼びかけられないこともあると思います。しかし、イエス様は「父といえば主なる神」である、と真っ先にイメージできるようになるまで神を信じ、頼り、慕いなさい、と言われるのです。そして神様ご自身が、そのように信頼に満ちた私たちの呼びかけを待っておられるのだと、教えられるのです。
  
 私たちは、祈りが叶えられないと、知らず知らずのうちに私の祈りなんて聞かれていない、という気持ちに陥ります。そしていつの間にか祈りに対する情熱も失っていきます。確かに嫌なこと、辛いこと、裏切られることは私たちの人生に数限りなくあり、奈落の底に突き落とされるような体験をすれば、愛されているというより呪われているのではないか、とさえ思ってしまいます。到底感謝などできるはずもなく、神様の存在はどんどん遠いものになっていきます。

 しかし、そんな気持ちに陥る誘惑は絶対に退けなくてはなりません。「お父さん」は今日も最善のものを私に与えてくださるためにこの目覚めをくださった。毎朝そんな風に素直に感謝できるなら、どれほど豊かな人生でしょうか。
 新たに与えられた命に感謝をし、苦しい時は神様に向かって泣き、信頼を寄せる父がおられることに心から感謝する。それが聖霊をいただいている人の生き方なのです。いえ、私たちに内住しておられる聖霊なる神がそうさせてくださるのです。
 私たちはもっと無邪気に神様に祈り求めて良いのです。私たちに今必要でなければ、神様の方で退けられます。最初からかしこまって「正解」とは何か、祈る前に答えを出してから求める必要などないのです。

 人間が必死に「良い子」になって神様を愛されようとするのではなく、そもそも人間は神様から愛されている存在であり、良きものを与えたい気持ちに満ちておられる、とイエス様は教えてくださいました。
 無条件で愛されていることに感謝し「お父さん」と素直に祈る者であり続けましょう。


またまた桃をいただきました
礼拝の後、先日の土曜学校の真似をしてかき氷を作り
たっぷり桃を乗せてみんなでいただきました
季節の実りを神様に感謝します!
(かき氷はあっという間に食べてしまって
写真がありません)

2019年8月5日月曜日

8月の土曜学校を行いました

8月3日(土) 9:30-11:30
土曜学校(土曜日の教会学校)4回目です

夏休み真っ只中
市内で様々な催し物が行われているので
参加してくれるお友達は少ないかな?と思ってましたら

お友達が7名
大人5名
それにボランティアで幼稚園の職業体験(?)をしている
中学生が2名、全面協力してくれました

まず礼拝からスタート
海にちなんで
「ヨナ」と「嵐よしずまれ」を合体させた
聖書の紙芝居でした
神様はいつも私たちを見ていてくださることや
ピンチの時は迷っていないでイエス様にお祈りすること
感謝することを学びました

お話の後はフルーツたっぷりかき氷
お友達も機械を使ってゴリゴリ





クラフトはおはじきを使ったサンキャッチャーでした





綺麗で涼しそうなサンキャッチャーができました
おうちに飾ってね

次は9月7日の予定です
クラフトは「かわいいポンコツロボットを作ろう」
みんな来てね
このロボットはマスコットです
残念ながら動きませんが
廃材などを利用して楽しく作りましょう