2021年3月30日火曜日

主の晩餐(日曜日のお話の要約)

四旬節第5主日礼拝(2021年3月28日)

イザヤ書 50章4-5節 フィリピの信徒への手紙 2章5-8節 

マルコによる福音書14章22-26節


 イエス様が十字架にかかられる前の夜、弟子たちと食事をした場面は「最後の晩餐」と呼ばれ、たくさんの画家が描いています。なかでも本日の週報の表紙に掲載したレオナルド・ダ・ビンチの作品が一番有名でしょう。

 この晩餐は、マルコによる福音書では「過越の食事」と書かれています。神様がモーセを通してユダヤ人をエジプトの奴隷生活から解放してくださったことを記念する食事で、通常は家族や親戚の単位で行わましたが、この時はイエス様が12弟子を集められ、自ら家長の役を務められました。

 しかし一同が席に着き食事を始めた時、イエス様は驚きの発言をなさいます。「あなた方の一人で、私と一緒に食事をしている者が私を裏切ろうとしている」と言われたのです。私たちは「ああ、ユダのことね」と思いますが、何も知らない他の弟子たちは驚き、心を痛め、代わる代わる「私じゃないですよね」と確認し始めます。彼らは何故、そんなことを確認する必要があったのでしょうか。


 弟子たちは、この3年半、イエス様と共に神様の教えを正しく人々に伝え、懸命に宣教活動を行いました。失敗して叱られることもありましたが、もともと彼らは素朴で純粋な信仰を持っていたのです。しかしイエス様が数々の奇跡を行い、ファリサイ人たちを論破して多くの人々から支持されるお姿を見ているうちに、弟子たちの中に野心が生まれて来ます。イエス様に新しい王様になっていただき、自分たちは家臣として出世したい。そのような思いが弟子たちの言動の端々に伺えるようになっていきました。弟子たちにとって、イエス様がどんな思いを持って日々過ごしておられるかは次第にどうでも良くなって行ったのです。


 おさらいのようになりますが、イエス様の時代のイスラエルは、圧倒的な力を持つローマ帝国に支配されていました。とは言えユダヤ教の神殿は健在で、宗教の自由もある程度与えられていました。多くの人々はイスラエルが独立国に戻ることをほとんど諦め、ローマに支配されながら信仰生活を続ける方法や、民族を保つ方法などを考え、妥協していきました。

 その一方で、ユダヤ民族の独立を望む集団も存在しました。イエス様の弟子の多くはガリラヤ地方出身ですが、この土地はもともと血の気の多い人が多く、ガリラヤといえば、ローマやヘロデ王への反乱が起きる不穏な地域になっていたようです。ですからイエス様の弟子たちも、イエス様を指導者にして戦いを起こし、自由を勝ち取る考え方に抵抗がなかったのでしょう。

 会計係りのイスカリオテのユダはガリラヤ出身ではありませんが、ガリラヤ出身の弟子たちと同様、イエス様がイスラエルの新しい王様になると信じて来たはずです。それなのにこのところイエス様は、革命どころかご自分が十字架で死ぬことばかりを強調されます。ユダは「ローマを倒さないイエス様は救い主ではない」と思ったのでしょうか。もはやこの先生には用はない、権力者たちがイエスの命を狙っているなら銀貨30枚で売ってしまおう、と考えたのかもしれません。

 マタイ福音書27章には、イエス様が逮捕された後、ユダは自らの行いを悔いて、祭司長たちから受け取った銀貨を神殿に投げ込み、首を吊って自殺したと記されています。なんとも悲しい結末です。

 ほかの弟子たちは流石にユダのようなことを考えていたわけではありませんが、イエス様が「裏切り者がいる」と言われた時、自分たちがイエス様の教えをきちんと理解していない「裏切り者」であることに気づいたはずです。ですから彼らは衝撃を受けたのでしょう。


 イエス様が捕えられ、十字架に掛かり、命を落とされるまであとわずかです。弟子たちを教育し直す時間などありません。それでもイエス様ご自身は、これも神の時だと受け止められました。神様のご計画は、十字架の死と復活を通して、死の向こう側にある神の国への希望を与えることです。イエス様はその教えをご自分からから引き継ぐのはこの弟子たちであると信じておられました。今の彼らがどれほど未熟で理解が浅くても、イエス様は彼らを愛しておられたのです。

 そのようなイエス様の想いのこもった最後の晩餐は、今私たちが行なっている聖餐式の原型となりました。イエス様は「取りなさい。これはわたしの体である」と言われ、また杯を取り上げて「これは多くの人のために流されるの契約の血である」と語られ、新たな意味をお与えになったのです。

 聖餐式についてはパウロがコリントの信徒への手紙第一11章で「誰でも、自分をよく確かめた上で、そのパンを食べ、その杯から飲むべきです」と語っています。「自分をよく確かめた上で」というのは大切なことです。最後の晩餐の席上で「裏切り者がいる」と言われて弟子たちがおののき、結果として自分自身の心と向き合ったように、私たちも、自分がイエス様のお心を理解し行動しようとしているか、未熟であれば未熟なりに、聖餐をいただく前に吟味しなくてはならないのです。


 最後になりますが、500年前、ダビンチが最後の晩餐を描いた中世のキリスト教の世界では「キリストは笑わなかった」と決めつけられており、修道院では笑顔や笑い声などもってのほかだったそうです。その修道院に飾られるために描かれたからでしょう、最後の晩餐のイエス様の口は閉じ、何か悲しげな表情に見えまます。しかし最新の修復技術を使った結果、もともとダビンチの描いたイエス様の口は開いており、弟子たちに語り掛け、喜びを持って、御自身の受難を教える姿が描かれていることがわかったのです。

 イエス様は私たちのために、十字架の死を目の前にしても神様を信じて微笑み、朽ちないパンと罪の赦しを告げる杯を差し出してくださったのです。この恵みを覚えつつ、主の復活と永遠の命に備え、私たちの聖餐式に与って参りましょう。 


礼拝堂の横、歩道に面した細長い花壇も
花盛りになって来ました
毎年この時期になると
「冬に勝利した」とばかりに
咲き誇る花々を見るのが楽しみです
特にこの冬は飯田でもマイナス7度を記録しましたから
ダメになった植物もありましたが
多くがたくましく花を咲かせてくれました

アルメリア
蕾がついたまま冬を越し、鮮やかに咲きました
真冬、何度も蕾をカットしようと思ったのですが
切らなくて本当に良かったです

ムスカリ
厳寒時に葉が枯れたようになり
開花は無理かと思いましたが
なんのその
暖かくなった途端にあっという間に咲きました

細長い通路なので
体をねじ込んで手入れをしなくてはなりませんが
道ゆくみなさんに喜んでもらえるので
励みになります(牧師夫人談)


2021年3月23日火曜日

一粒の麦として(日曜日のお話の要約)

四旬節第5主日礼拝(2021年3月21日)

エレミヤ書31章34節 ヘブライ書5章8-10節 ヨハネ福音書12章20-26節


 「一粒の麦」という言葉は「人を幸福にするためにみずからを犠牲にする人」を例えることがあります。このイメージは、聖書の、本日読みましたヨハネ福音書12章24節から出ていると考えて差し支えないでしょう。

 イエス様は十字架にかかって、たったお一人で尊い命を落とされました。しかしその教えは弟子たちを通して広がりました。その様は、たった一粒の麦が地に巻かれた後、数年後には黄金に輝く麦畑に広がるように、世界中の民族を超えてキリスト教会として結実し、私たち自身もそこで養われるようになったのです。


 「一粒の麦」のたとえが語られたのは過越祭と言われるユダヤ教の3大祭の時でした。ギリシャ人達が12弟子の一人フィリポのところにやって来て「イエス様にお目にかかりたいのです」と申し出たことが発端となっています。

 この時期にエルサレムにいたこのギリシア人達は、単なる観光ではなく、神殿の神様を礼拝をするために来ていました。彼らは、当時すでにギリシア語に翻訳されて知識層に読まれていた聖書を読み、ユダヤ教に改宗を希望した、あるいはすでに改宗した熱心な地位のあるギリシア人だったのでしょう。

 このギリシア人達は、エルサレムに来てイエス様の教えを耳にし、さらに心を揺さぶられたのでしょう。いい加減な気持ちでイエス様にお会いしたいと言ったのではなかったのです。フィリポとアンデレも、ギリシア人達の真剣さが理解できたからこそイエス様に取次ぎを買って出ました。


 しかしイエス様と異邦人を引き合わせようとするのは、実に大胆な行動でした。というのは、この時までイエス様はわずかな例外を除いて、異邦人との関わりを避けておられたからです。聖書には異邦人との関わりがたくさんあるような気がしますが、それはむしろ特殊な事例としてはっきり書かれていたからです。イエス様ご自身が弟子達に「異邦人の道に行くな。むしろイスラエルの家の失われた羊の家に行け」と教えておられるように、イエス様はまずユダヤ人に神様の教えを正しく伝え直すことに重点を置いて来られました。

 フィリポとアンデレも今までイエス様の教えを忠実に守っていました。もともと異邦人との接点を嫌うユダヤ人の彼らが、自発的に異邦人をイエス様の元に導こうとしました。これはイエス様にとって本当は喜ばしい変化であり、重大な宣教の転機を意味する出来事であったのです。


 ある神学者がこの出来事を指して「神の国がユダヤ人から異邦人に移ることの序曲ともいうべきものであった」と語っていますが、まさに私もそう思います。

 この時、イエス様は十字架の死を目前にして、エルサレムにロバの子に乗って入って来られたばかりでした。人々はシュロの葉を打ち振り、イエス様を「ユダヤ人の王」として歓迎しました。弟子たちはそのお姿を見て心から誇らしく思い、「うちの先生は本当に世界に通用する王様なのだ」と高揚した気持ちになったことでしょう。ですから、ギリシア人に頼まれた時「ついにギリシア人までがイエス様のところに教えを請いに来たのだ」と嬉しくなったのではないでしょうか。


 イエス様はそんな二人に対して、まず「人の子が栄光を受ける時が来た」と話し出されました。「時が来た」というのは、聖書独特言い回しで、「イエス様が神様の御計画通り、十字架につく、その時が来た」という意味です。しかし、フィリポとアンデレはお言葉を取り違えて「そろそろローマを打ち破り、イスラエルの王国を解き放つ時が来たのだ」とワクワクしたでしょう。そんな彼らに向かって、イエス様は「一粒の麦」のたとえを話されたのです。


 ご自分が十字架にかかり、身代わりとなって命を落とすことで、ご自分を信じる人々の罪は赦され、神様と和解できる。やがて地上の命が尽きるとき、彼らは神の国に迎え入れられ永遠の命を得ることができる。しかしそのためにはご自身はどうしても死ななければならない。

 この時、イエス様の語る「一粒の麦」という御言葉の意味を弟子達が理解したとは到底思えません。なぜなら彼らは十字架にかかったイエス様を一度は見捨てて逃げ出すからです。しかし使徒言行録には、この後弟子達が迫害を受けながらも宣教活動を様子がはっきりと記されています。やがて地中海沿岸の町々に信徒の群れが生まれ、教会が建てられ、ユダヤ人以外の人々も信仰者とになりました。あの時、イエス様が十字架に着く直前にギリシア人とお会いになったかならなかったかは、聖書にははっきりとは記されていませんが、その後には明確にギリシヤ人に対する救いの道は開かれて行ったのです。


 イエス様の教えが広まっていった結果として一粒の麦から生まれた新たな麦として私たちも生きています。異邦の民、異邦人にも、神様の教え、言葉、そして、イエス様の存在を伝える使命を持っているのです。私たちは、一人一人がキリストの麦として、キリストに結ばれて、自分が何のために生きて、死ぬのかをいつもしっかりと捉えていなくてはなりません。

 これからも、私たちはこの教会で礼拝を守りつつ、この場から新たに一粒の麦として歩むものが起こることを信じつつ、イエス・キリストに倣い、その教えをこの地に根付かせるよう深め続けてまいりましょう。 




先週の金曜日、幼稚園の年長クラス「ゆり組さん」一同と
担任のまゆり先生が幼稚園の真向かいにあるおしゃれなカフェで
お茶会を開きました
牧師夫妻もご相伴に預かりました



フルーツをあしらった可愛らしいマフィン
よく見ると「ご卒園おめでとう」の旗


担任のまゆり先生





ここは酒蔵をリノベーションした広々したカフェで天井も高く

園児お馴染みのファミレスとは一味違います

みんなちょっとおしゃれをして参加


飯田では今、しばらく陽性者が出ていないので

思い切って行うことができました

コロナの影響で何かと行事に制限のあった年長さんたち

良い思い出になってくれたらいいな

2021年3月16日火曜日

永遠の命(日曜日のお話の要約)

四旬節第4主日礼拝(2021年3月14日)
民数記21章4-9節 エフェソ2章1-10節 ヨハネ福音書3章11-21節

 「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された」と言うイエス様のみ言葉は、「ニコデモ」という人物との会話の中で語られています。ニコデモはファリサイ派の一員で、長い間、民衆に信仰や聖書、律法を教える立場として生きてきました。また、議員として国を支える立場でもありました。それゆえ、今イスラエルとユダヤ教が陥っている堕落した有様をよく知る人物でした。
 社会的立場のあるニコデモは、今のイスラエルや自分の人生を憂えていたのでしょう。しかし一介の教師のイエス様に人生の道を尋ねにいったと噂になったら困る、と思ったでしょうか、人目を忍んで夜間にイエス様の元を訪れたのです。

 ニコデモはイエス様に対し「あなたは神様と共におられる特別な人物です」と礼儀正しく挨拶します。しかしそれに対してイエス様は「人は新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない」とお答えになりました。何か噛み合わない会話です。
 しかしこれは「神様のことが分かりたい、神様のことが知りたいなら、新たに生まれなければならない」と言う意味で、ニコデモの心に刺さる一言だったのです。ニコデモは高齢者ですあったと思われます。ですから、イエス様から「そのあなたが新たに生まれなさい」と言われた時、いわゆる「もうお迎えが近い」自分に向かってなんと残酷なことをおっしゃるのだろう、と感じたのです。それで思わず「もう一回母親のお腹に入って生まれ直せと言うのですか」と、言い返してしまったのでしょう。
 するとイエス様は今度は「水と霊によって生まれ直しなさい」と言われます。キリスト者である私たちは「これは『洗礼を受けて新しい人生に踏み出せ』と言っておられるのだな」と漠然とわかりますが、この時のニコデモにはさっぱりわかりません。
 怪訝な顔をしたままのニコデモに対し、イエス様は今度は新しく生まれさせる「霊」のことを、風にたとえて語られました。「風」という言葉は、実は「霊」と同じ言葉です。「風は思いのままに吹く」、つまり霊は自由に働かれるので、わたしたちがその働きを把握したり予想したりは出来ない、ということです。
 信仰というものは神様が全くの自由な御意志によって人間の心に与えられた賜物であって、ニコデモが救いを求めるてイエス様のところに来て跪いているのなら、ニコデモ自身は全く気づいていなくても、神様の霊が信仰の道へと招いている証しである、と言われているようです。

 さて、続けてイエス様は14節で「モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられなければならない」とおっしゃいました。民数記に記録されている出来事を指しています。私たちには唐突に思えますが、ニコデモにとっては得意分野です。イエス様はニコデモがわかりやすいように、旧約聖書から引用されたのでしょう。
 イエス様の時代から1200年も前、イスラエルの民は奴隷状態だったエジプトから約束の地に向かって脱出します。リーダーは神様に任命されたモーセでした。脱出の旅は辛く厳しく、多くの民衆が不満を言ってモーセに逆らいました。このことが神様の怒りを買い、神様を信じない不信仰な人々として炎の蛇に噛み殺されてしまいます。
 恐れをなした民衆はモーセと神様の前に、神様を信じず不満を漏らした罪を悔い改めます。モーセがこれを聞き入れ神様に祈ると、神様から「青銅の蛇を作り、旗竿の先に掲げるように、それを見たら、助かる」と約束をいただきます。それ以来、旅の中で蛇が人を噛んでも、青銅の蛇を仰ぐと助かるようになった、と言う記録です。

 イエス様は、蛇にかまれて毒が回って死ぬはずの者が、青銅の蛇を見上げて命を得た出来事を引用し、ご自分がやがて十字架に上げられる出来事と重ね合わせて語られたのです。
 イエス様にとって今のニコデモは、蛇に噛まれた傷口を押さえ、絶望して泣き叫ぶ民衆と同じでした。だからこそ、今、自分の傷口からいったん目を離して、青銅の蛇を見つめなさい、とイエス様は言われました。青銅の蛇に例えられたもの、すなわちイエス・キリストを見上げなさい、と言われたのです。

 ニコデモ、あなたは自分の過去の失敗、罪深さ、弱さ、そう言った傷口ばかり眺めて苦しんでいるが、そこから目を離し、十字架の私を信頼して見つめなさい、そうすればあなたは命を得る。私がそれを保証する、と言われたのです。

 そして青銅の蛇の例えに続いて「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。」と語られます。自分一人で絶望して悲しむのではなく、神様があなたを愛していることを信じなさい。私は旗竿の上に掲げられた青銅の蛇のように惨めな姿で十字架にかかるが、これは神様の尊いお約束なのだ、と言われるのです。

 イエス様は、人々から「神に見捨てられ十字架で死んだのだ」と嘲られても、なおも神様にその命を委る信仰を貫き、これはあなたたちを救うためですよと約束してくださいました。イエス様との約束ゆえに、神様は私たちのことを愛してくださいます。私たちは2度と神様から見放されることはないのです。そして、この世の命が尽きた時、神の国に迎え入れられ、永遠の命が与えられる扉が開かれているのです。
 一人の滅びも喜ばれない神様は、イエス様の御業を通して世を救い、人々に天国、神の国、永遠の命をお与えになったのです。

 最後になりますが、ヨハネ福音書にはもう一度ニコデモの名前が登場します。19章39節です。イエス様が十字架の上で息を引き取られ、身近な弟子たちが恐怖で一度は逃げ去ってしまった時、ニコデモは「アリマタヤのヨセフ」と共にイエス様のお身体を清め、埋葬したのです。そこにはかつて過去の自分を憐れみ絶望していた老人の姿はなく、確信を持ってイエス様を信じ、歩む一人の信仰者がいたのです。ニコデモは確実に神の国に向かって歩み、神様に迎え入れられました。

 私たちも、過去の傷口を、罪を、不信仰を振り返って悲しむのではなく、イエス様が十字架の上で命を捨ててまで切り開いてくださった天国への道を、永遠の命の道を、確かな足取りで歩んでまいりましょう。

土曜日に久しぶりに開催できた土曜学校の一コマです
完成したペープサートや
ハンベルマン を手にして
ポーズをとる仲良し姉妹のNちゃんとMちゃん


2021年3月9日火曜日

宮清め(日曜日のお話の要約)

聖餐式・四旬節第3主日礼拝(2021年3月7日)
出エジプト20章1-3節 Ⅰコリント1章20-21節 ヨハネ福音書2章13-22節


 イスラエルの首都エルサレムはユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三大宗教の聖地と言われます。宗教の違いでしょっちゅう争っているイメージがありますので、3つの宗教は元をたどれば同じ神を崇めています、と説明すると混乱する方が多いでしょう。


 簡単に説明しますと、紀元前13世紀くらいに、まずユダヤ教が誕生します。創世記に登場する信仰の父アブラハムが、息子イサクを捧げようとした岩の上に、のちに神殿が建てられました。この神殿は紀元70年にローマ帝国によって壊されましたが、現在でも神殿の西側の壁だけは残っています。これが「嘆きの壁」と呼ばれるもので、熱心なユダヤ教徒たちはここで祈りを捧げています。


 一方、キリスト教はユダヤ教の歴史とダブッて1世紀に誕生します。イエス様が十字架に架けられた「ゴルゴタの丘」に建設されたのが聖墳墓教会で、今も世界中から巡礼訪れて礼拝が行われています。


 最後に7世紀になって、ムハンマドが天使ガブリエルから神の言葉を授かったところから始まるのがイスラム教です。イスラム教では、神のことをアッラーといいますが、ユダヤ教とキリスト教と同じ神様です。イスラム教の開祖ムハンマドはアブラハムがイサクを捧げようとした「聖なる岩」の上に手をついて、そこから天に上がっていきました。イスラム教徒たちはこの聖なる岩を丸い屋根で覆い、「岩のドーム」としました。 

 それぞれの宗教の指導者たちがこの場所の権利を巡って争うのは、単にその場所でお祈りしたい、と言う単純な理由ではなく、そこに自分たちの宗教の神殿を建設したいからのようです。


 さて、紀元前1000年ごろソロモン王の時代に、まずユダヤ教はここに神殿を建設します。それは実に豪華で素晴らしい神殿でした。しかし建築を指揮したソロモン王は決して驕らず、謙虚な祈りを捧げています(列王記上8章)。「神は果たして地上にお住まいになるでしょうか。天も天の天もあなたをお納めすることができません。私が建てたこの神殿など、なおふさわしくありません」。

 要約しますと「どんなに立派でも人間の建てた神殿などに神様がお住まいにならないのはわかっています。しかしどうかこの神殿に目を注ぎ、ここで捧げられる祈りを聞いてください」と言うのです。そして「これから先、神様に罪を犯した者達が罪から離れて立ち返るなら正しい道に導き返してください」と続けます。大切なのは「悔い改めた私たちがここで神様に祈るなら、どうか聞いてください」つまり「悔い改め」が重要だなのです。「立派な神殿を作ってそこで祈れば、祈りが聞かれる」と言うのは間違いです。


 しかし旧約聖書を読んでいくと、と次第に勘違いが起きていることがわかります。豪華な神殿に仕える祭司は驕り高ぶり、民衆も「立派な神殿があれば神様の守りがもらえる」と言う風に変わってしまいます。肝心の「悔い改め」がどこかに行ってしまうのです。何度か宗教改革も起きましたが、愚かな間違いは繰り返されました。イエス様の時代もやはり、祭司は堕落し、人々は勘違いした信仰の真っ只中にあったのです。


 イエス様の宮清めの出来事は、そのような状況を背景としていました。この時エルサレムでは過越の祭りのが行われており、熱心な人々がエルサレム全土から神殿に巡礼にやってきました。イエス様もガリラヤ地方から弟子たちと共にエルサレムへ行かれたと思われます。しかしそこでイエス様がご覧になったのは、祈りの場とはかけ離れた神殿の有様でした。そこでイエス様は縄で鞭を作り、両替商も動物達も追い払ってしまわれました。


 この場所では、献げものを購入したり、神殿献金専用のコインと交換する取引所が作られ、多額の手数料を取る不正な商人が商売をしていました。しかし、神殿に仕える祭司たちは不正なやり方を注意するどころか、商人に場所を貸すことで儲けていたのです。

 遠方からやってくる人々の熱心な信仰を利用して金儲けし、なんとも思わない人々の姿は、イエス様の目にどれほど悲しく映ったでしょうか。神様への信仰を平気で悪用する人々をイエス様はそのままにすることはできませんでした。イエス様は神様の悲しみや怒りを代弁して、大暴れなさったのです。


 ところでこの場になぜ牛や羊、鳩がいたのでしょうか。再び旧約聖書に戻りますと、レビ記に「焼き尽くす献げ物」の規定があります。動物に自分の罪の身代わりとなってもらい規定に応じて牛や羊、鳩を神殿で屠って祭壇で完全に焼き尽くして神様に献げます。するとそれは「香ばしいかおり」として天へと昇っていきます。神様がその香りを嗅がれる時、罪の許しを乞うて礼拝する人間をご覧になります。その人間の信仰を神様は受け入れ、罪を赦して下さるのです。


 私たちの文化から見れば、奇妙で肉がもったいない、と思いますよね。イスラエルにもそう思う人がいたかもしれません。レビ記には「焼き尽くす献げ物」の他に「和解の捧げ物」というのがあり、願いが叶った時に感謝の思いを込めて動物の一部が焼かれて神様に献げられ、一部は祭司が食べ、さらに一部を献げた人が食べることができます。神様を囲んで、喜びいっぱいの感謝の焼肉パーティのようです。

 しかし祭司たちの中から、もっといい肉を食べたいという欲張りが出てきます。(サムエル記上2章)人間の食い意地や罪深さはどうしようもありません。神様はやっぱり全部焼くよう定めればよかった、と思われたかもしれません。やがて神様は罪の赦しのために肉を焼いて捧げるのではなく、他の方法を人間にお示しになるのです。


 思い出していただきたいのですが、洗礼者ヨハネはイエス様と出会った時、「見よ、神の小羊」と呼んでいます。これは、イエス様に神殿で捧げられる罪の赦しの犠牲の子羊を重ね合わせたからです。イエス様はヨハネの言葉通り、ご自分の命を十字架の上で犠牲として神様に差し出し、私たちの罪を全て取り去ってくださったのです。そのお姿はまさに罪を贖う神の子羊でした。


 この出来事以降、イエス様が自分の罪の身代わりとなって死んでくださったのだ、そう信じる時、私たちの悔い改めの思いは神様に受け入れられ、新しい人生に導いていただけようになりました。ここにキリスト教の大切なポイントがあるのです

 一人一人は罪深い人間であるにも関わらず、神様は召し出してくださいます。罪に陥った時にはイエス様が私たちの心のうちを宮清めしてくださることを固く信じ、神の民として新たな歩みを進めて参りましょう。





今年も教会の皆さんと一緒に
辰野までセツブンソウを見に行ってきました
少し足を伸ばして福寿草も見ることができました
感染対策に気を配りながらの小旅行でしたが
どんなに冬が厳しくても
春は必ず来るよ、と自然が告げているようでした

2021年3月2日火曜日

望みを抱いて、信じ(日曜日のお話の要約)

 四旬節第2主日礼拝(2021年2月28日)
創世記17章1-2節 ロマ4章17-18節 マルコ福音書8章31-38節

 イエス様が天に帰られた後、キリスト教の初期に全く異なるタイプの二人の伝道者が宣教を牽引しました。元ファリサイ派のインテリで、キリスト教の迫害者から熱心な伝道者に変えられたパウロと、イエス様の一番弟子でガリラヤ湖の漁師だったペトロです。


 本日の福音書は、イエス様の一番弟子だったペトロが、イエス様から叱られているところです。ペトロについてもう少し詳しくお話ししておくと、彼の生まれはガリラヤ湖の沿岸のベトサイダでした。ガリラヤ湖周辺は異郷の地とも呼ばれ、ユダヤ人以外の出入りも多い土地でしたが、ペトロは一人のユダヤ人として国を憂いていた骨太の男性でした。

 やがてイエス様がガリラヤで宣教を開始された時、ペトロは一番最初に兄弟のアンデレと共に弟子として迎えらます。それ以来ペトロは3年半の間、イエス様の一番近くで様々な教えを聞き、奇跡を目の当たりにし、イエス様こそイスラエル全土が待ち望んだ救い主だと確信したのです。

 そのイエス様が弟子たちに向かって、ご自分の受難の予告をされるのです。3日後復活するともおっしゃいましたが「殺される」とはっきり言われてしまうと、一番弟子としては我慢できないでしょう。「イエス様は神の子なのだから、御自分を邪魔する人々は滅ぼして理想の世界を作ってください」そんな激しい思いがペトロの心の中に湧き上がったでしょう。だからこそイエス様はペトロに「サタンひきさがれ、あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている」と叱られたのです。


 仮にこの叱責がなかったら、ペトロであっても、理想を追求するためなら相手を叩き潰しても構わない、と言う情熱を信仰だと勘違いし続けたかもしれません。イエス様はペトロの暴走しやすい気質を見抜かれ、早い段階で思い留まらせてくださったのです。ペトロは元々親分肌で情に厚く、周囲から信頼される人物でしたが、のちには異なる立場や考え方の人々にも伝道していきます。彼の気質を生かした上で、さらに成長させるためにも、この叱責の意味はあったのです。


 さて、もう一人の伝道者パウロは、ファリサイ派のエリートでした。自らを厳しく律し先祖から伝えられてきた神の教え、律法を正しく守ることこそ神様に喜ばれることだと信じて疑いませんでした。パウロは、キリスト教徒を撲滅することこそ神様に喜ばれることだと信じ、ダマスコと言う土地まで追いかけていきます。しかしその途中でイエス様の声を聞き、天からの光に照らされて失明してしまいます。自分のしてきたことは間違いだったと悟ったパウロは激しく悩みます。

 そんな彼のところに、神の霊に導かれたアナニヤというクリスチャンが訪れ、見えなくなった目を癒してくれます。この体験を通してパウロは劇的な回心を遂げ、キリスト教の宣教者になったのです。パウロはイエス様を信じたことによって、もともと持っていた深い聖書知識に新しい理解を与えられました。回心後はそれを生かして情熱的に宣教を行う人となったのです。


 キリスト教を代表するペトロにしても、パウロにしても、イエス様から一度は叱られているというのは、興味深い出来事です。その叱責が深い信仰理解へとつながることは庶民的なペトロであっても、エリートのパウロであっても同じなのです。


 彼らがイエス様から召し出しを受けてから2000年の時が流れました。ペテロやパウロが伝道して生まれたイスラエルや地中海の教会は、今日建築物としては残っていません。殆どは世の情勢に巻き込まれて消えていきました。単なる観光客としてその土地を歩くだけなら、「虚しいなあ」と思うかもしれません。しかしパウロやペトロの作り上げた教会がそこに無くなった今も、イエス様の教えは聖書に刻まれて、世界に広がり続けてます。


 彼らが思う描くことさえなかった、日本に住む私達が時を超えて彼らの信仰を受け継いでいることこそ大いなる奇跡であり、神様のご計画なのです。

 本日のローマ信徒への手紙4章18節には「彼は希望するすべもなかった時に、なおも望みを抱いた」とあります。ここに登場するアブラハムは創世記で神様から子孫を与えると言う約束をいただきながら、子どものないまま99歳の老人になってしましました。しかし彼は望みを抱き続け、やがて息子が与えられ、その子孫からイスラエル人が誕生し、その血筋はやがてイエス様の誕生へとつながりました。それゆえにアブラハムは信仰の父と呼ばれるようになりました。


 ここで120年の歩みを続けた私たちの教会は、本教会から援助を受けてきた立場で、新しい会堂建築のための積み立てもできませんでした。日に日に古びていく教会堂を目の当たりにしながら、諦めが先に立つ日々だったかもしれません。しかしそんな私達をイエス様は目覚めよと叱咤され、今までとは違う、新たな信仰の道を歩むよう導いておられます。


 私たちの世代は今、ここにもう一度信仰の宮を建設しようとしています。一人一人が新しい礼拝堂で過ごす時間はわずかかもしれませんし、あるいはせっかく新築しても、私たちの次の世代はあるのか、と暗い思いが頭をよぎるかもしれません。

 しかし、私たちもまた、アブラハムのように望みを抱いて信じ、神様がここに起こしてくださる信仰の群れを、夢見るものでありたいのです。

一人一人の夢が確かな確信に変わるためには、揺るぎない信仰が必要です。今日もみ言葉に励まされながら、ともに進んで参りましょう。



ここに載せる写真を探してみましたが
この一週間はあまり出歩かなかったせいか
いい感じの写真がありませんでした
この写真は昨年の3月11日に
隣の空き地で撮ったものです
昨年は暖冬だったのだなと、
改めて思います

東日本大震災から間も無く10年
覚えて祈ります