復活節第5主日礼拝(2026年5月2・3日)(白)
使徒言行録 7:55–60 (新) 1ペトロ2:2–10(新431)
ヨハネによる福音書 14:1–14(新)
私達は毎日のように、何かしら「今のままでいいのだろうか」「本当にこの道で合っているのだろうか」「もっと別の道があったのではないか」と、心配事や不安に振り回されます。そんな私たちに、聖書は「唯一の道」について教えてくれます。それを上手に受け止めることができれば人生は豊かになります。
先日のこと、平日の昼間に、近所に住むある人が教会にやってきました。私はその方のことを、心の中で「ザアカイ」さんみたいだなと思っています。と言いますのも、ご自分の背の低さに劣等感に思っているのか、どでかいBMWに乗って、教会の駐車場にぶんぶん音を響かせて駐車するのです。歩いて数分のところに家があるのに、です。
最初は「幼稚園の子ども達が自分に挨拶をしてくれる」と、感謝の電話を幼稚園に頂きました。先日は、家の倉の整理をしていたら、1996年、つまり30年前に配られた、幼稚園と会堂の完成記念の文鎮が出てきた、と教会を訪れました。
その方は25年前に、東京から飯田に戻ってきたそうです。彼の思い出話をまとめますと、飯田ルーテル幼稚園を卒園したが、これは親が先見の明があり、小さい時から海外に目を向けるように育ててくれた、おそらく親はここの教会の礼拝に出席していたようだが、いつのころからか行かなくなり、俺も大人になって、いいとこの大学を出て、商社マンとなり、イタリアやフランスなどの企業と貿易を行った。そこで知ったことは、日本人はなんと了見が狭いことか、ということだった。
けれども、母親が認知症になった為に、父親から強く飯田に帰るよういわれ、東京での仕事を全部やめて、介護しながら株で儲けて生きていこうと決めた。その後両親は他界したので、今は日本人の心の在り方や、飯田の歴史を深掘りしながら、これからの生き方を誰かに伝えていければと思っている。と、おっしゃいました。
それならキリスト教を信じてみませんか、と言ってみますと、その辺りは日本人の常套句で、「日本は仏教国だから」と言ってみたり、「釈迦や仏陀の伝記や本を読んでみたが、すべては弟子が作った組織運営の教えで、本心はそこにない」等、自慢げに語られました。
「受けるより与えるが幸い」という聖句や、イエス様の招きに応じられなかった「金持ちの男」の話が私の頭の中で巡りましたが、1時間半ほど話し合った後、最後に「先生、今度はうちに来てください。車は2台止められます。」と誘われました。
「すぐそこやん、歩いていくわ」と思いつつ、やっぱりこの人は「ザアカイ」さんタイプで、救いを求めつつも素直になれず、同じようなところをぐるぐる回っているのだな、とも感じられました。
本日読みましたヨハネ福音書からは、弟子たちがイエス様のお言葉に大きな不安を感じて迷いが生じている様子がわかります。イエス様が「去っていく」と告げられたからです。
一番弟子のペトロは「なぜ今ついて行けないのですか、あなたのためなら命を捨てます」とまで言いますが、私たちはこの時点でのペトロの覚悟がまだまだ甘かったことを知っています。
そんな彼らに向かってイエス様は言われます。「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしを信じなさい。」(ヨハネ14:1)
さらにイエス様はこう断言されます。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通してでなければ、誰も父のもとに行くことができない。」(同14:6)ペトロの手紙では、私たちが「霊的な家」であり、イエス様を土台とした「生きた石」だと教えています。
イエス様はご自分を「道」であるとおっしゃり、あなたが出会った人々を私のところに案内するだけでいい、と言われます。しかし道案内する人が道をよく知らなければ一緒に迷ってしまい、いつまで経っても目的地には辿り着きません。そんな自信のなさから伝道に腰がひけているならば、もう一度素直になって御言葉を学ぶ必要があるのです。
もちろん、どれほど学んでも終わりはありませんし、自分自身の力や、身につけた学問で人を救うのではないけれど、イエス様の御言葉に正しく耳を傾け、日々学び続けることで得られるものは大きいのです。
今の日本は、江戸時代のような世界に例を見ないような徹底した迫害もなく、戦時中のような外国文化排斥に伴うキリスト教追放の動きもありません。しかし表立って行われないからこそ恐ろしく、外部からも、内部からも見えない迫害が私たちクリスチャンを取り囲んでいます。家族、親戚、ご近所、会社、そうした人々の冷たく白けた目と向き合うことの悲しさ恐ろしさを感じたことのない方はおられないでしょう。
しかし、その中にも必ず、先ほどの「ご近所のザアカイさん」のような、救いを求めてうろうろしている方はおられるのです。
使徒言行録では、ステファノが石打ちの刑で殺される場面が描かれています。しかし、彼は死の恐怖の中でも、天を見上げ、イエス様が神の右に立っておられるのを見て、平安を保ちました。彼を支えたのは、イエス様が唯一の命の道であるという確信でした。
私たちの伝道も、厳しい状況があるかもしれません。しかし、主が共におられ、主こそが「道」であることを信頼するなら、私たちには必ず平安が与えられます。
どんな時も「あなたは愛されている」「神様に大切にされている」と伝えるには、あなたが本気で思っていなくてはなりません。教会だけのクリスチャンではなく、生活のすべてでキリスト者であることを誇りとし、イエス様にある「唯一の道」へ案内する伝道の働きを、いつまでも私たちが担えることを喜びといたしましょう。
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| 昨年苗で何株か購入したすずらん 牧師館の庭で一株だけ花が咲きました 何年か経って増えたら 教会の植え込みに移植しようかと思っています |
さて、みなさん連休はいかがお過ごしですか?
朝比奈牧師は昨日の土曜日、ピンチヒッターで
夫妻で甲府教会の礼拝に行ってきました
妻は礼拝に出席するだけで何の役割もありませんが
甲府のみなさんとお会いしたい、と
母をデイケアにお願いしてついてきました
甲府の礼拝はこの春から土曜の午前11時になったので
朝8時に飯田を出て、ひどい渋滞に引っかかることもなく
夕方には戻ってきました
金曜日は土砂降りの雨と雷のひどいお天気でしたが
土曜日はスッキリ晴れて
富士山もはっきり見えました
なぜ日本人は富士山を見ると
嬉しくなるのでしょう
(日本人に限らない?)
双葉サービスエリアで休憩した時
また何枚も写真を撮ってしまいました
甲府教会の方によると
平地で雨が降っている時は富士山頂は雪
最近の暖かさで溶けていた雪が
再び降ったのでと良い眺めだったでしょう?
とのことでした
なるほどです!
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| 連休が終われば土曜学校の お楽しみが待ってますよ ぜひおいでください |






