三位一体主日礼拝(2026年5月31日)(白)甲府は代読/飯田は説教
創世記 1: 1~2:4a 2コリント 13:11~13
マタイによる福音書 28:16~20
月曜日の朝、園児たちと実習生が広い園庭でタイヤ遊びをしていました。幼稚園で園児の送迎に使っているバスのタイヤをオールシーズンタイプに交換し、保管していた8個ほどの夏用タイヤが不要になったので、別の用途に使うことになったのです。
この日は1日だけ特別な遊び道具として使って良いことになり、転がしたり、またいだり、くぐったり、運んだりと、手が汚れるのも構わず、大盛り上がりの遊具として使われた後、タイヤは積み重ねられて土を入れられ、花壇となりました。
タイヤはただの“輪っか”にすぎませんが、子どもたちの手にかかると、遊びはどんどん広がっていきます。その姿を見ながら、ふと心に浮かんだのは、聖霊を受けて動き出した弟子たちの姿でした。
牧師になる勉強をしていた時に、神学生同士の会話の中で「信仰を持つことは、この世でタイヤを持つことと同じだ」という言葉を聞いたことを思い出しました。
2000年前、ローマ帝国が領土を広げていくと、まず軍隊が通るための道と乗り物が整備され、やがて商人や一般人など多くの人々が利用するようになります。徒歩中心の生活から乗り物社会が構築されていき、キリスト教の伝道は飛躍的に発展した。そんな話を思い出しました。
タイヤはそこにあるだけでは動きません。しかし、使いこなすと、工夫とアイデアで、行ける場所が広がり、世界が変わります。
さて、今日の最初の聖書箇所、創世記1章には、神が混沌の中に秩序を与え、すべてのものに役割を与えていく姿が描かれています。
光には「昼をつかさどる」役割を。天体には「時を示す」役割を。生き物には「地を満たす」役割を。そして人には「地を治め、いのちを育む」役割が与えられました。
神様はただ世界を作ったのではなく、作られた世界に意味と使命を与え、そこに住むものたちに、これから後も末長く役割を継続していくことを望まれたのです。
園児達がタイヤに興味を示し、手にした瞬間、遊びが始まるように、神様が私たちに命を与えた瞬間、私たちの「役割」も始まります。特にキリスト者として聖霊の力をいただき、新しく生まれ変わった者たちは、イエス様からそれぞれに大切な役割を与えられているのです。
三位一体の神は、大いなる、ただ一つの愛を持って、三つの働きで私たちを包んでおられます。父なる神はいのちを与え、世界に役割を与える方。子なるイエス・キリストは信仰に生きる私たちに寄り添い、使命を示す方。そして聖霊なる神は使命を与えられた私たちに、それを果たそうとする力を与え、動き出す勇気を与える方です。
園児のタイヤ遊びに重ねるなら、父なる神がタイヤそのものを与え、子なるキリストが遊び方を示して「あなたならできるからやってごらん」と励し、聖霊なる神は実際に動き出す力を与えてくださるのです。
信仰とは、神から託された“タイヤ”を受け取り、キリストに励まされ、聖霊の力で動き出すことです。
本日読みましたマタイ福音書には復活のイエス様が弟子たちに言われた御言葉が記されています。「行って、すべての民を弟子にしなさい」。これは「座って待つ信仰」ではなく、動き出す信仰への招きです。
弟子たちは、神様から「タイヤ」を受け取ると、聖霊に促されるままに歩き、船に乗り、世界へと転がり出しました。転んでも、つまずいても、互いに励まし合いながら福音を運び、人々に伝えました。人類は全て神様の元に平等であること、助け合い、許し合い、話し合い、祈り合い、争いや喧嘩を可能な限り避けて、新しい世界を創っていくことが託されていると話して回ったのです。
園児たちがタイヤを押したり転がしたりしている時、誰も泣くことはなく、争うことなく、ただただお互いにその扱いを学びながら、笑いながら、協力しながら、飽きることなく遊び続けました。そして最後にそのタイヤはブランコ脇に置かれて積み重ねられ、土を入れられ、花壇になりました。
弟子たちもまた、たとえ命の危機にあっても、神に託された役割を果たすためにそ歩み続けたのです。
宣教者パウロはコリントの教会にこう語ります。「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同とともにあるように」。牧師たちは祝福の時にこの言葉をよく用います。三位一体の神の働きをそのまま表した祝福の言葉です。キリストの恵みが私たちを招き、父なる神の愛が私たちを包み、 聖霊の交わりが、私たちをつなぎ、支える。
こども達の遊びが一人では成りたたず、友だちや先生との“交わり”があって初めて遊びは豊かになります。信仰の歩みも同じです。私たちはひとりぼっちでは信仰を成立させるのは難しいのものです。三位一体の神を信じる私たちは、神様が自ら集められたその交わりの中で、自信を持って、前へ進むのです。
繰り返しになりますが、今日の礼拝で読みました聖書箇所は、共通してこう私たちに示しています。神様は私たちに役割を与える方。キリストは私たちを動き出す使命へと送り出す方。聖霊は私たちを支え、つなぎ、導く方。これから先、信仰に悩む時、この三位一体の神が私たちを愛しておられることを、繰り返し思い出してください。
私たちは、この時代、この場所において、神様から託された“信仰というタイヤ”を持っています。誰かを励ますために、小さな奉仕をするために、祈りを届けるために、平和をつくるために、あなたの方法で転がしていくのです。幼児であれ高齢者であれ、体の自由が効かない方であれ、命ある限り、あなたにしかできない役割は必ずあるのです。



