2024年7月15日月曜日

「正義の主」(日曜日のお話の要約)

聖霊降臨後第8主日礼拝(2024年7月14日)(緑)

アモス書 7章7-15節(1438) 

エフェソの信徒への手紙 1章3-14節(352)

マルコによる福音書 6章14-29節(71)


 本日の福音書には「洗礼者ヨハネ殺される」という物騒な小見出しが付けられています。この直前の出来事は、イエス様が12の
弟子を各地に派遣し、まず伝道の成功を収めたという記録です。


 その次にいきなりヘロデ王が登場するのです。このヘロデ王は、イエス様が赤ちゃんの時暗殺しようとしたヘロデ大王ではなく、その息子です。父親に比べて政治手腕も威厳もだいぶ劣りますが、残忍な性格だけはしっかり受け継いだようです。


 14節に「イエスの名が知れ渡ったので」とあるのは、弟子の派遣がうまくいって話題になった結果「ヘロデ王の耳にも入った」ということなのでしょう。のどかな町々を嬉しげに歩く弟子達にオーバーラップするかのように、ヘロデ王の暗い眼差しが、そこに大写しにされる、身の毛もよだつ映像が頭に浮かびます。


 マルコによる福音書のこの急展開は、当時の文学的水準としてかなり高い表現だと評価されています。この力の入れようから、著者であるマルコがキリスト者に読み取って欲しいことがあったのだとはっきり分かります。王様を中心とした国の中枢、国民の憧れと尊敬の的となるべき場所が堕落し、正義は失われ、その上、清く正しく生きようとする人々に容赦なく牙を向くことを、この福音書は記しているのです。


 この箇所を詳しく見てみると、ヘロデ王が自分の兄弟のヘロデ・フィリポから妻ヘロデヤを奪った、つまり、略奪結婚したことがわかります。これは明らかな律法違反でした。王様自ら、イスラエルの要である律法を犯したのです。しかし律法学者も神殿の司祭も面と向かって側近であるに関わらず指摘することはありませんでした。


 そこに登場したのが洗礼者ヨハネです。言うまでもなく、彼はイエス様に洗礼を授けた預言者であり、イスラエルの人々が神様の前に清く正しく生きられるよう厳しく教え、悔い改めを進めた人物です。ヘロデとへロディアの関係は、「律法に許されていない」と恐れることなく糾弾したのです。


 ヘロデは俗な言い方をすれば「ヨハネのファン」だった、と言えるでしょう。ヨハネが正しい聖なる人であることを知っていて、厳しい指摘をされてもその教えに喜んで耳を傾ける、という矛盾した態度をとっていたのです。


 一方妻となったへロディアは、権力欲しさに王としてのヘロデの妻となり、せっかく手に入れた自分の地位を台無しにしようとするヨハネを憎んだのです。ヘロデ王はヘロディアがヨハネを憎み、殺そうとしているのを知っていたので、自分の権力や立場を使って、洗礼者ヨハネを保護しました。もしへロディアがヨハネに何かすれば、ヨハネを預言者として尊敬しているイスラエル国民から反発されるのは免れない、とも思っていたのでしょう。


 しかし、ヨハネを亡き者にしようと狙い続けてきたヘロディアに絶好のチャンスが訪れます。ヘロデのための誕生日会が行われ、イスラエルを牛耳る高官や将校、そしてガリラヤの権力者が集められました。これは国の政治のガス抜きのように、時には犯罪者に恩赦を与えて、政治家として度量の広いところをアピールする機会でもありました。


 へロディアはこの機会を利用したのです。そのためにまだ少女であった自分の娘を利用し、洗礼者ヨハネを死刑にする計画を実行に移すのです。自分の娘に誕生の祝福のいかがわしい踊りを踊らせ、ヘロデ王から「何か欲しいものがあれば遠慮なく言いなさい」という言葉を引き出します。何も知らないまま母親に「何をおねだりしましょうか」と尋ねてきた娘に、「ヨハネの首をください」と願わせたのです。


 このあたりは19世紀末のアイルランドの作家オスカー・ワイルドが「サロメ」という戯曲に大幅に脚色して描いています。聖書では少女の名前は出てきませんが、ワイルドは彼女に「サロメ」と名付けます。「サロメ」は人気のある戯曲で、世界中で繰り返し上演されているので、知っている方もおられるでしょう。ワイルドの戯曲は大胆に脚色されているとはいえ、人間関係や権力争い、愛憎劇などが盛り込まれた内容であることは聖書のこの箇所と同じです。


 ただ、ここで私たちが本来目を向けなければならないのは、政治家達や少女の動向ではなく、無残にも「犬死」してしまったように見える洗礼者ヨハネのことです。国の中枢に巣食う悪党達によって、神様から遣わされた洗礼者ヨハネは殺されてしまったのです。


 洗礼者ヨハネは、イエス・キリストの先駆けと言われています。それは、その死においても、「いずれイエス様も同じように権力者の身勝手によって殺される」と暗示していると言っていいでしょう。


 ヨハネの人生は、その誕生、宣教、そして死を迎えるまでまで、イエス様の少しだけ先を歩みながら、「次の展開はこうだよ」と教えるガイド役でもあったのです。

 さて、このエピソードを挟んで、再びイエス様の弟子たちが登場します。弟子達は、自分達の成功体験をイエス様の元に集って分かち合うのです。


 ヨハネがヘロデ王に殺されたことを、この時の弟子たちがどの程度知っていたかは定かではありません。しかし弟子たちも、ただ呑気に宣教活動をしていたわけではなく、イエス様の教えや業が、権力者から目の敵にされる場合があることに気づいていましたし、ふざけた人々によって、時には命を失うこともある、とわかり始めていたでしょう。


 イエス様の教えを守り、「神様は今のイスラエルの堕落を悲しんでおられる」と宣言するなら、確かに洗礼者ヨハネと同じように命を落としかねません。そしてイエス様もまた、一度はそのようにして十字架につかれます。弟子たちは一度は怯え、気力を失い、宣教を放棄します。しかし、イエス様が三日後に復活された事実が、再び弟子たちを厳しい宣教の現場に押し出していったのです。


 その結果、弟子たちの多くが殉教して行きましたが、社会は緩やかに変わっていきました。そうした歴史を私たちは知っています。神様は聖書を通して、人間の醜さも美しさも読めるようにしてくださいました。ですから、聖書は綺麗事だけが書き並べられている書物ではありません。


 人間に弱さや醜さがあるからこそ、イエス様の愛と正義をこの私が示して学び続けることが必要なのです。イエス様はご自分が殉教してまでも、世界が変化し、救われることを望んでおられるのです。私たちの正義の主であるイエス様は、愛によって救われ、愛によって救うものになって欲しい、それが正義の主の思いなのです。



赤い屋根の園舎の後ろに
ネットに覆われた新園舎が立ち上がっています
今週には関係者が中に入ることが許されます
牧師もヘルメットをかぶって行ってきます




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