2022年12月26日月曜日

「クリスマスの光」(日曜日のお話の要約)

主の降誕礼拝(白)(2022年12月25日)
イザヤ書 52章7-10節(1148)ヨハネ福音書 1章1-14節(163)


 みなさん、クリスマスおめでとうございます。

 昨夜はこの場所でクリスマスイブ礼拝を行い、「世界ではじめのクリスマス」と題して、イエス様が生まれた夜のお話をいたしました。
 イエス様がお生まれになった「世界ではじめのクリスマス」は2000年前の出来事ですが、日本で最初に祝われたクリスマスは、いつだったでしょうか。答えは今から470年前、西暦1552年、安土・桃山時代のことです。

 日本に初めてキリスト教を伝えた宣教師、フランシスコ・ザビエルが、山口県に滞在中、人々を集めてお祝いしたと言われています。1560年には、京都で、100人の日本人キリスト教信者が集まり、クリスマス礼拝が行われたとも記されています。
 戦国時代、合戦の最中、緊張感高まる中で織田信長と松永久秀があえて戦を止めてクリスマス停戦を行ったと言う出来事をご存知かもしれません。戦国武将の中でトップの人気を誇る織田信長は、短気で、無慈悲な一面も持っていたと言われます。しかし、最近の歴史研究や考察では、信長は天下人になることを願ったが、その動機の中には戦のない世界を作りたいという思いがあったのではないか、とも言われています。その手段の一つとして日本にキリスト教を取り入れることを認めたのかもしれません。

 しかしその後、支配者が代わり、鎖国政策が敷かれ、キリスト教も厳しい禁教令の下で、クリスマス礼拝やパーティどころではなく、日本のキリスト教はほとんど途絶えてしまいましたから、クリスマスのお祝いが再開されるのは明治時代まで待たなくてはなリませんでした。

 調べてみますと1874年の築地で、日本人がクリスマス会を開いた記録があります。とはいえ、その研究者によると、これ以降のクリスマス会は華やかに祝われるにしても、キリスト教からきっちり宗教部分を除いて定着していったそうです。日本のクリスマスが、クリスマスからキリスト教を抜いて、まるでサンタクロースのお祝いのようになってしまったのは、かなり早い時代だったのです。

 さて、本日のヨハネによる福音書は、イエス様のお弟子さんの一人、ゼベタイの子ヨハネによって書かれました。ヨハネは中心的な弟子の中で一番若く、見た目も美しかったようです。しかしイエス様から「雷の子」というあだ名つけられました。それは彼が短気で喧嘩っ早く、イエス様に失礼な振舞をした町を「焼き滅ぼしましょう」などと口走る物騒な性格だったからです。
 また、彼の兄もイエス様の近くで学ぶ弟子の一人でしたが、救い主としてのイエス様の働きを十分には理解できず、二人してイエス様の前に進み出て「イエス様が救い主としてユダヤの王様になられるときには、自分たちをその片腕にしてください」と願い出ます。
 彼らの母親はイエス様の弟子たちのお世話をするために一緒に旅をしていましたが、彼女もまた「息子たちを重要な地位につけてほしい」と願い出たことが他の福音書に書かれています。要するに、この一家はイエス様のことが大好きで弟子としてお役に立つことを喜んでいましたが、本当のところでイエス様のお考えを理解していなかったのです。

 ヨハネはイエス様の弟子とはいえ、短気で、けんか早く、打算的な面のある、ごく普通の青年でした。ですから、イエス様が国のトップの人々の罠にかけられて捕らえられ、十字架で亡くなった時、真っ先に逃げ出してもおかしくありませんでした。確かに、イエス様の弟子の多くは自分が逮捕されるのを恐れて、逃げ出しました。そんな中で、ヨハネだけはわずかの女性の弟子やイエス様の母マリアと共に、十字架のそばで息を引き取るイエス様を見守ったのです。

 十字架の死から三日ののち、イエス様は復活し、ご自分を見捨てて逃げた弟子たちのところに行ってお赦しになりました。それは、人間がどれほど醜く弱い心を持っていても神様は変わらず愛してくださることをはっきりと伝えるためです。
 そしてこの教えを信じて生きるものは、地上の命が尽きた時、神の国に受け入れられて永遠の命が与えられると語られ、神様の元に、天国に帰って行かれたのです。

 ヨハネはこのイエス様の教えをしっかりと受け止め、キリストの教えを伝える伝道者となります。彼は理解の遅い人にも愛を込めて優しく教えました。もう、前のような「雷の子」ではありません。いつの間にか「愛の人」と呼ばれるようになりりました。それはイエス様に赦され愛され、人を本当に愛することを知ったからです。

 イエス様の愛によって成長したヨハネは、イエス様がご覧になったようにこの社会を見つめました。この世には以前の自分のように、自己中心的な人々が溢れていて、傷つき傷つけられながら生きているのです。誰かを心から信用することも頼ることもできなくて、孤独に苦しんでいるのです。ヨハネにはそれが見えました。だからこそ、自分に与えられたイエス様の愛、命の光を伝えようとしました。

 旧約聖書の創世記には、人間はもともと神様に愛を込めて作られた存在だと書かれています。ヨハネが、それが本当のことだとはっきりわかったのはイエス様のお導きでした。
 最初の人アダムとエバは自分から神様を裏切り、楽園から出ていかなくてはならなかったけれど、神様は変わらず人間を愛していること。それを伝えるためにイエス様はこの世に来られたこと。イエス様のおっしゃることを信じれば、この世の人生を終えた後、神様が天の御国に召されていくのだということ。
 イエス様はそれら全てのメッセージを人々に伝えるために、お生まれになった、まことの救い主なのだ、とヨハネは伝えたのです。イエス様のお誕生を大いに喜ぶのは、そのためなのです。

 ヨハネは自分の福音書の第一章に、創世記の始まりと対になるような表現で、イエス様は暗闇に輝く光だと書きました。光というのは、昼間は明るく私たちを照らしていても気にも止めませんが、周りが暗ければ暗いほど必要です。
 人生が順調な時、それが当たり前だと思っている時は、光がそばにあっても気がつきません。しかし何かに失敗して、自分はだめだ、まるで深い闇の中をひとりぼっちで彷徨っているようだと思った時、光の存在を求めます。そして、自分を照らす光がどれほどありがたいか知るのです。ヨハネはイエス様こそ、人の心の暗闇に差し込む光だと告げるのです。

 イエス・キリストの誕生を覚えるクリスマス。小さい子どもも、おじいさんもおばあさんも、病気の人も、何か失敗してクヨクヨしている人も、イエス様は全ての人に関わってくださり、共に歩いてくださいます。この方の誕生を私たちは心から喜び、全ての人に伝えましょう。
 イエス様、まことの救い主の光は、全ての人を照らすのです。 


みなさま、24日、25日はどのようにお過ごしでしたか?
飯田は24日未明より雪が降り始め
朝6時には教会周辺でも15センチほど積もっていました。




大急ぎで雪かきを開始しましたが次々降ってきます。
一旦諦めて見守っていますと、陽が差し始め気温も上がって
かなり解けてくれました。
ホワイトクリスマスも良いのですが
教会に車で来る人がほとんどで、あまりひどいと
礼拝出席の妨げになります
思ったよりも気温が上がったイブの夜
無事にイブ礼拝が行われました




25日は日差しも暖かく、礼拝の時間には
8度近くまで上がり、換気をするのも楽でした


こども聖歌隊は「サンタが町にやってきた」の替え歌で
「イエス様がお生まれだ」を手話を交えて元気に賛美



メンバーのお母さんはベーシスト!


リーベクワイヤの皆様
二日連続のご奉仕ありがとうございました


コロナ禍の影響で2日とも愛餐はできませんでしたが
飯田教会なりの工夫で和やかに過ごし
集まった皆様とともにイエス様のご降誕をお祝いしました

記念撮影の後、代議員さんから
礼拝出席の皆様にプレゼントが配られました




0 件のコメント:

コメントを投稿