2024年6月16日日曜日

「レバノン杉と湖畔の黄色い花」(日曜日のお話の要約)

聖霊降臨後第4主日礼拝(2024年6月16日)(緑)

エゼキエル書 17章22-24節(1320) 

コリントの信徒への手紙Ⅱ 5章6-17節(330)

マルコによる福音書 4章26-34節(68)


 本日、読みましたエゼキエル書に「レバノン杉」という単語が登場します。現在では伐採されすぎて、レバノン杉の森は消滅し、レバノン等のごく一部の地域で保護扱いされているとのことですが、古代は中東一帯に広く自生していました。


 紀元前900年代、イスラエルの神殿が建設されるとき、神殿の材料として高級建材のレバノン杉が用いられることになったのです。ダビデ王が周辺諸国の敵を退け、イスラエルが安定期を迎えた時、ダビデ王は神殿を作ることを思い立ちます。自分はレバノン杉の家に住んでいるのに、神様にはきちんとした家がないことが気になったからです。


 しかし神様は預言者を通して、ダビデではなく、その息子のソロモンに神殿を建てさせるようお命じになりました。そこでダビデは材料だけでも準備しておこうと、周辺諸国に協力させてレバノン杉を運ばせた話が有名です。


 そして先ほど読んでいただいたエゼキエル書17章には、神様が「高いレバノン杉の梢を切り取って植え、その若枝を折ってイスラエルの高い山に移し植え」ます。そうすると、「あらゆる鳥がそのもとに宿り、翼のあるものはすべてその枝の陰に住むようになる」というのです。


 エゼキエル書が書かれた当時、イスラエルはバビロニア帝国との戦いに敗れ、主だった人々はバビロンに強制的に移住させられました。エゼキエルは故郷に戻れないイスラエルの人々の指導者として活動し、人々が信仰を失わないよう、預言者として神様の言葉を伝える役割を負っていました。


 ここで記されている「レバノン杉」とは、不遇な状態となって他国に生きることになっても、高い山に移し植えられたレバノン杉が再び栄えるように、イスラエルの人々も再び新しい国を作っていくことができる、そのように神様が導いてくださっている、その希望の言葉なのです。


 一方イエス様はマルコ福音書で「からし種」を例えになさって「どんな種よりも小さいが、成長すれば葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る」とおっしゃいます。これは明らかにエゼキエル書からの引用で「あらゆる鳥がそのもとに宿り、翼のあるものはすべてその枝の陰に住むようになる」という御言葉を、人々に意識させるものです。「レバノン杉」をあえて「からし種」の話に再構築なさったのです。


 この時のイエス様は「神の国とはどのようなところか」というテーマでお話をされていました。そして、かつてダビデ王が権力に物を言わせ、エルサレムの神殿建築のためにの各地から捧げさせたレバノン杉、誰もが認める高級木材によって作られた神殿を引き合いに出されました。そして、自分達の身の回りにある、平凡で小さなからし種であっても、レバノン杉の神殿にも勝る神の国をこの地上に生み出せるのだ、とお告げになったのです。


 そしてその影に巣を作る空の鳥とは、喜んでみ言葉を受け入れ、イエス様の元に集う人々のことです。ユダヤ人も異邦人も、金持ちも貧しいものも、共に神様の救いに預かれる世界をイエス様は語っておられるのです。「天の国」は小さな種が大きく成長するように全世界の人々のために成長していく、と語られるのです。


 聖書のからし種に該当する植物は諸説あるようですが、黒ガラシと言われる植物の種、という説が有力です。一粒わずが0.5ミリ程度ですが、成長すると3メートル近くになるアブラナ科の植物で、野菜やハーブとして用いられます。


 わたしは教会学校の時分に先生から「粉のように小さなからし種」の種を見せてもらいましたが、強い印象はありませんでした。しかし聖書の世界を知りたくてイスラエル旅行に行った19歳の3月、印象を変える出来事がありました。


 何日目にかに、ガリラヤ湖のクルージングが予定されていたものの、その日は天候が悪く、嵐が起こり雹も降り出しました。しかしガイドさんが真顔で「イエス様は嵐を静める方だから大丈夫」と、予定通り決行することになりました。そしてガリラヤ湖のカモメに餌付けできるからと、ホテルのパンを持たせてくれました。波の荒いガリラヤ湖で船に揺られながら、船についてくるカモメに向かってパンを投げると、上手に空中でキャッチし、食べるのです。その姿に一同拍手喝采です。


 やがて大群だったカモメは一羽になり、最後のパンのひとかけらを投げると、それをぱくついて、もうないと分かると、岸部の方へと帰っていきました。飛び去るカモメを目で追っていると、雲の隙間からさっと日の光が差し込み、岸部が明るく照らされ始めました。


 光の当たっているところを見てみると、背の高い、菜の花のような黄色い花が、日差しに導かれて広がるように咲き進んでいくように見えました。誰かの「ほら、あれがからし種の花だよ」という言葉を耳にし、飛んで行ったカモメが美しい世界に辿りついたように感じました。その時、これがイエス様の言われる神の国、天国だとさえ思えたのです。


 私たち今、飯田ルーテル教会という舟に乗る乗組員の一人です。今は人の集まることの少ない嵐の時代に突入しているかも知れません。そのような中、この舟は改めて新しい航海に出発することとなりました。イエス様の望まれる神の宮、教会とは、レバノン杉のように高級な材料によってのみ作られるのではなく、出だしは小さく平凡でも、やがて大きくなる可能性を秘め、そこに集うならば御言葉による喜びと平安が与えられ、イエス様のお守りのうちにあらゆる心配から遠ざけてくれるからし種のよう。そのような教会になると思うのです。


 完璧完全ではなくても、互いに罪の赦しを覚え、御心に添った神の宮であるこの教会をこれからより一層大切にして参りましょう。



まだ梅雨入りもしていないというのに
真夏日が続いています
強い西陽に照らされながら紫陽花が健気に咲き始めました
その横のブリキのカエルは一年中傘を刺していますが
こんなに似合わないお天気もないように思えてしまいます




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