2024年12月29日日曜日

「少年イエス」(日曜日のお話の要約)

誕節第一主日礼拝(2024年12月29日)(白)

サムエル記上2章18-20、26節 コロサイの信徒への手紙3章12-17節

ルカによる福音書 2章41-52節


 本日の福音書の箇所は「少年イエス」です。ルカによる福音書にだけ書かれているイエス伝で、何が起こったかが細かく記されています。この箇所のまとめとして、「母はこれらの事をみな心に留めていた。」という言葉が出て来ます。


 簡単に言うと、イエス様を普通の子ども扱いをしていた母マリアの反省が感じられるのです。イエス様は神の子、この世に救い主としてやって来た、ということを、マリアはすっかりと忘れていた、と言う意味なのです。


 このとき、イエス様一家はナザレからエルサレムまで歩いてきたのですが、直線距離で100キロほどで、当時あった道を使えばおおよそ130キロだっただそうで、決して平坦ではない道を2、3日かけて歩いたと思われます。


 この過越し祭は毎年4月ごろに行われ、ユダヤの国の内外から、多くの人たちがエルサレムに巡礼する大イベントです。21世紀の今も、各家庭で形を変えて受け継がれ、大切な祭りとされているようです。ヨセフとマリアも、貧しいながらも、巡礼の旅に参加していました。過越し祭への参加は町を挙げての大イベントですので、ナザレの町ご一行として、キャラバンを組みます。


 ユダヤでは男性は13歳、女性は12歳から大人の仲間入りです。そうなると律法に従い、男女分かれて旅をしますが、イエス様はこのときまだ12歳、子供と見做されていましらので、父母どちらと一緒に移動しても良かったようです。


 さて、イエス様のお誕生は神様身が綿密な計算を持ってタイミングを選ばれたにもかかわらず、母マリアでさえも、そのような計画をすっかり忘れていたようです。イエス様の後に生まれた弟や妹の子育てをしているうちに、イエス様を普通の子どもと感じはじめ、神様のご計画をすっかり忘れてしまったのかもしれません。


 ですから、この出来事はイエス様が生涯神の子であったことを、にもう一度明らかに示すことであり、イエス様のストーリーを読むすべての人に、忘れてはならない出来事として心に留めて欲しい。著者であるルカはそう願っているのです。


 「少年イエス」様は来年の成人を前に12歳の少年としてのびのびと過ごしておられました。そののびのびしたところは驚くほどで、両親の心配をよそに、神殿で学者たちの真ん中に座って全く遠慮することなく、話を聞いたり質問したりしておられたのです。その場で聞いていた人は皆、イエスの賢い受け答えに驚いていた、と記されています。


 この時のイエス様は、ギリギリ成人の年齢に達していない、ただの子どもに過ぎません。しかし、イエス様は神様の心を持っているので、学者たちの知識に臆することなどありません。大人の間違いを指摘するだけのやっかいな子どもではなく、長年学者たちが抱え込んだ矛盾や表面的なごまかしなどを見抜き、どこが間違っているのかを旧約聖書から紐解いていかれたに違いありません。


 ところで、プライドの高い律法学者とただの「少年イエス」様が、ここまでとことん話し合うことができたのはなぜだったのでしょう。


 この時代、大きな文化の流れがイスラエルに向かって押し寄せていました。南からはエジプト文明が、北からはヘレニズム文化が押し寄せていました。イエス様がお住まいだったナザレの町は、ガリラヤ湖から10キロほど離れていたので、さまざまな文化の影響を受けつつも、必要のないところは受け入れないという取捨選択ができたようです。つまりナザレという街は、新しい文化、外国の文化について判断力が身についた土地です。


 マタイによる福音書では、イエス様自身も幼い時にヘロデ大王に命を狙われ、大王が死ぬまではエジプトに避難していましたが、エジプトの風習に染まることなく、ナザレから帰ったのちも、一人のユダヤ教徒として、エルサレム神殿に巡礼をする風習にはすんなりと入っていけました。しかし、さまざまな民族の、神様への考え方の違い、信仰の姿勢などをその目でご覧になったことでしょう。


 イエス様の辿った12年間の歩みは、ユダヤ社会しか知らない薄っぺらい優等生的なものではなく、年齢に合わない苦労や深い理解力を覗かせ、さまざまな角度からユダヤ社会と聖書を捉える力に、律法学者達は舌を巻いたのです。こんな少年がいるのなら、ユダヤの社会もまだまだ捨てたものではない、と希望を持てるようになったのかも知れません。


 イエス様は一方的に教えるのではなく、よく聞き、賢く理解されました。私たちはキリスト教文化の中で育った人間ではありませんから、聖書を読んでもわからない、と投げ出してしまいがちですが、日本に暮らすものだからこそ理解できるものの見方、捉え方があることもまた事実なのです。


 そしてイエス様は、律法学者のような偉い人に対しても、貧しく教養のない人々に対しても、変わらぬ深い愛情をかけられ、神様の御心を解き明かそうとなさいました。それこそが神様の御心だと示されたのです。


 イエス様はイエス様が迷子になったと思い込んで探しにきた母マリアに対して、「私が自分の父の家にいるはずのことをご存じないのですか」と言われます。ここには「私は人々の心に信仰を取り戻すために来たのです」という想いが込められていたことでしょう。


 私たちは、この1年、飯田教会の会堂について共に考え、祈りに祈りつつ過ごしてきました。最初に思い描いた姿とは異なりますが、愛すべき礼拝堂のリノベーションが来年春には終了しそうです。


 神殿のように豪華な建物でなくても「イエス様のおられる父の家」なのです。神様がお許しになった建物として豊かに活用してまいりましょう。



そろそろ雪の季節です
飯田市内は路面が凍ることがあっても
積雪はそれほどではありません
それでも周辺の山々は真っ白になって
冷たい風が吹きおろします
近々「寒々しくも美しい」写真を
お届けする予定です

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