2025年1月5日日曜日

「学者達の来訪」(日曜日のお話の要約)

聖餐式・主の顕現主日礼拝(2025年1月5日)(白)

イザヤ書60章1-6節 エフェソの信徒への手紙3章1-12節

マタイによる福音書 2章1-12節


 本日のご一緒に読みましたマタイによる福音書「学者達の来訪」の学者達は父なる神様を信じる人々ではありませんでした。それでも聖書を読み、そこに記された内容を信じ、救い主に会いたいと旅をした人々です。ルカによる福音書に記された「羊飼い達の来訪」と同じく、クリスマスストーリーの大切なエピソードです。


 この物語は、イエス様が世界の救い主となる証明物語でもあり、キリスト教が世界宗教になる重要な資料ともいえます。と言いますのも、異邦人が聖書を知ることになるのそもそものきっかけは、イエス様が誕生する600年も前、ユダヤの民は、バビロニア帝国という大国との戦争に敗れ、その国に強制移住させられることから始まるからです。


 バビロニアというのは現在のイラクの当たりにあった国で、古くから農耕が行われた土地の一つで古代オリエント文明の中心地で、さまざまな民族が交流し、宗教もさまざまな教えが混ざり合っていました。


 バビロニアは国際都市ですから、王様も他国の人材で優秀なものがいれば積極的に登用したようです。ユダヤ人の青年達もスカウトされて国の政治に関わるようになりました。それがよくわかるのが旧約聖書の預言書のダニエル書で、政治に関わることを求められた3人の青年達が信仰を貫く様子が描かれます。また、主人公のダニエルは王様に気に入られ、王様の補佐役にまで上り詰めます。


 エステル記は旧約聖書の中でも読みやすい歴史物語の一つで、エステルというユダヤ人の美女が王様にみそめられて王宮に上がり、ひょんなことからユダヤ人絶滅の陰謀から同胞を救う、という物語です。


 こういった記述から、ユダヤの民は、移住させられたバビロニアで反抗的になるわけでもなく、バビロニアの発展に貢献しながらも、父なる神への信仰を守ったのです。そして、信仰をさらに強固なものにするために、先祖から受け継いだ旧約聖書のさまざまな記録を改めて整理して巻物にまとめ、シナゴークという集会所を作って礼拝を守り、子ども達に読み継がせたのです。


 シナゴークでは宗教教育を施し、人格形成にも力を入れました。自分達が他国に寄留することになったのは、神様への信仰を失ったからで、神様の恵みを取り戻すには、もう一度正しい信仰生活を送る必要がある。その教えは徹底していて、バビロニアの地で50年とも70年とも言われる生活を送る間、熱心に続けられました。


 やがてバビロニア帝国がペルシャという大国に滅ぼされると、ペルシャの王様はユダヤの民が祖国に帰ることを許したため、多くのユダヤ人は喜んで先祖の地へと帰還し、戦争によって破壊されたエルサレム神殿を再建するまでになります。


 しかし全てのユダヤ人が帰還したわけではなく、ペルシャに残って信仰や聖書を伝える人々もいたのです。ユダヤの人々の聡明さの元になったのが聖書の教えだと気づいた他国の人々は、世界を救う力がある素晴らしい書物として聖書を熱心に研究します。そして一部の学者達は、聖書の中に「星の輝いたその時に、救い主がお生まれになる」という記述を見出していました。


 ただ、学者達は聖書の素晴らしさに傾倒することはあっても、その基となった神様への信仰を受け入れようとはしませんでした。聖書から知恵や知識を得ることで満足し、自分の所属する国に利益をもたらすことしか考えていなかったのかもしれません。


 そうこうしているうちに、今度は強大なローマという国が現れます。イエス様がお生まれになった時代はローマが最強の力を持って周辺諸国を従わせ、パクス・ロマーナ「ローマの平和」と呼ばれる時代の真っ只中でした。


 そのような、強引な力によって平和が保たれる時代に「真の平和の救い主」がユダヤの地に誕生したと察した学者達は、大いに喜び、その方になら自分の財産をすべて捧げても価値ある、と考えたのでしょう。


 学者達がこの「救い主」をどのような人物であると想像したか具体的にはわかりません。それでも、聖書を読み込んでいた学者達は、神様が軍事力以外の力で人々をまとめ上げ、幸せに導いていく姿を思い描いたことでしょう。その平和は、やがて、全世界に広がっていくに違いないと信じた学者達は、その誕生を心から歓迎していることを直接お伝えしなければと、旅に出たのでした。


 しかし、長い旅を終えてようやくユダヤの地に辿り着いてみれば、そこは他の諸地域と同じようにローマに迎合した社会で、ローマの承認を得たヘロデ王の、表面的で傲慢な政治が行われ、理想の国とは程遠い雰囲気が漂っていました。学者達は焦り、あちらこちらで「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこか」「救い主はどこか」と探し回ったので、すっかり噂になってしまったのでしょう、ヘロデ王の王宮に密かに呼び寄せられることとなります。それはヘロデ王は、学者達をスパイにして救い主の居場所を確かめ、暗殺ようとしていたからです。


 猜疑心の強いヘロデ大王は、聖書に「救い主が誕生する」と記されていることを知って放っておくようなことはしません。自分も救い主に救われるべき存在であるとは思いもせず、むしろ、この救い主に自分の悪事を裁かれ、地位を失うかもしれない、と恐れはじめ、学者達の探す救い主を亡き者にしようとしたのです。


 この時、神様はイエス様への礼拝を終えた学者達に「ヘロデのところに帰るな」とお告げをなさることでイエス様一家を救われます。ただ、ヘロデ王による「2歳以下の子供が虐殺される」という悲劇は避けられませんでした。人の上に立つ人間が、自分の地位を守るためならどんな残虐なことでも行うのは今も昔も変わりなく、だからこそ、平和の君に王座についていただきたいと願うのです。



新しい年になりました。

クリスマスイブは牧師がインフルエンザになり

説教を役員さんに代読していただくなど

2024年はドタバタと暮れていきました


今年も礼拝堂のリノベーションなど

まだまだ大変なことが続きますが

教会員の皆さんと心を合わせて

祈りつつ前に進んで参ります

このページを読んでくださる皆様の上にも

神様のみ恵みがさらに豊かにありますように









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