2024年12月15日日曜日

「洗礼者ヨハネからイエス・キリスト」(日曜日のお話の要約)

待降節第3主日礼拝(2024年12月15日)(紫)

ゼファニア書 3章14-20節(1474) 

フィリピ 4章4-7節(366)

ルカによる福音書 3章7-18節(105)


 イエス様の時代は、「パックスロマーナ」と呼ばれる時代でした。新約聖書では悪者のように描かれているローマ帝国ですが、当時のローマの支配下にあった地中海世界はそれなりに平和で繁栄していました。ただ、ローマが共和制から皇帝制に変わり、初代アウグストウスが最初の人口調査を命じたことはイエス様の誕生に大きな影響を与えました。この命令によってお腹の大きなマリアとその夫ヨセフがベツレヘムまで旅をし、イエス様はそこでお生まれになったからです。


 さて、本日のルカ福音書は、洗礼者ヨハネが神の国の訪れを宣べ伝えた時、多くの人々がまるで人が変わったように真剣にそのメッセージを受け止めたことが書かれています。ヨハネは人々に「まむしの子らよ」と呼びかけ、彼らが罪人であると断定します。そしてこのままならば神様の怒りによって、神の国に入れなくなるどころか、地獄に投げ込まれる、と警告したのです。


 その言葉は徴税人や兵士にも届きました。彼らは自分の立場を利用して民衆から摂取して来た人々です。そんな人々がヨハネの言葉を聞いて、神の裁きは本当にあると信じ、真剣に悔い改めてやり直そうと「どうすればいいですか」と問いかけます。するとヨハネは彼らに「その職業をやめて路頭に迷え」などとは言わず、「必要以上の搾取を止めるように」と実行しやすい条件を語りかけたのです。


 どうすれば神様の怒りから免れることができるか真剣に知りたがる人々に、利益中心の生き方ではなく、隣人の苦しさを思い、少しでも隣人の益の為にと心を働かせるなら世界は正常になる、そうヨハネは語って、悔い改めの印として洗礼を促します。


 ヨハネの言葉を聞きながら、人々は自分の弱さについても思い至ったのでしょう。自分が洗礼を受けた後、その心を維持できるように正しく導き続けてくれるリーダーの存在を求めました。神様の思いを自分の思いとし、隣人の為に心を砕くことを良しとする指導者、救い主が来てくれることを待ち望んだのです。


 この時代のイスラエルの出来事が克明に記されている有名な歴史書があります。ユダヤ人であるヨセフスが記した「ユダヤ古代史」と「ユダヤ戦記」という書物です。これらはイエス様の時代を研究する上で、参考にされています。


 ヨセフスは救い主を探し求めて、ユダヤ教の教派を渡り歩いたそうです。おそらく、洗礼者ヨハネの所属するエッセネ派にも触れたことでしょう。最終的には彼はファリサイ派に属し、そこから変わることはありませんでした。


 ヨセフスの時代、イスラエルはローマと開戦し、長い戦いの末、多くのユダヤ人が命を落としました。ヨセフスはユダヤ軍の指揮官として戦いましたが、ローマ軍に投降して生き残ります。


 その時ローマ軍司令官の前に引き出されると「あなたはいずれ皇帝になる」と予言します。この言葉を直訳すると「あなたこそ救い主だ」という意味です。その時の司令官ウェスパシアヌスは本当にローマ皇帝になります。そしてウェスパシアヌスとその息子は、ヨセフスを自分達の部下として重用します。


 やがてローマはエルサレム神殿を破壊し、さらに多くのユダヤ人が死んでいくのですが、なんと、この時ヨセフスは元ユダヤ人でありながらローマ側につき、エルサレムが破壊されていくのをリアルタイムで見ることになります。


 この後、ヨセフスはウェスパシアヌスの援助によって滅びゆくイスラエルの歴史の古代史と戦記を残します。彼の経歴はもちろん多くのユダヤ人に知られて「裏切り者」として非難や中傷に終生悩まされ、それが彼を歴史の著述に駆り立てる一因にもなったと言われています。


 このヨセフスの著書の中にイエスが登場します。ヨセフスの古代史はイエス様の存在を客観的に裏付ける数少ない歴史的文献として知られています。ただ、残念ながら、ヨセフスにとっての救い主は「皇帝ウェスパシアス」だったので、イエス様について「救い主」という表現は一切使っていません。


 ヨセフスは聡明な人物で、壮絶な体験をしながらも、本当の救いが何か思い至らなかったため、イエス様と重なる時代に生きていながら、イエス様を救い主と信じることはできず、ローマ皇帝にひざまずきました。彼はキリストを伝えるものにはなれなかったのです。


 ここからわかることは、どのような体験も、どのような深い知識も、イエス様を救い主を認めて悔い改める原動力となることはない、ということです。むしろ洗礼者ヨハネが命をかけて叫んだ言葉を、神の言葉として受け取るか否かが重要なのです。


 ユダヤの平凡な人々がヨハネを通して神さまが自分に呼びかけてくださったと信じ、それを恵みと受け止めて、真剣に実行に移そうと挑んだように、どんなに小さなことでも神様からのプレゼントとして実行し、信じていくこと。神様が救い主となり、共に生きていくにはこれしか方法がないのです。


 だからこそ、私たちは小さな声でも良いから次の世代に「イエス様こそ救い主」と呼びかけ、語りかける必要があるのです。


 すべての人が神様の恵みと喜びに預かれるように、私たち自身が救い主イエス・キリストをしっかりと捉えて、常に感謝つつ、この時代における伝えるものとなって参りましょう。



21日は土曜学校を行います。

ミニミニクリスマス会

そしていつものように工作も行います

今までは第一土曜日だったので

12月はクリスマス飾りを作ってきましたが

一般のご家庭では

21日にクリスマス飾りを作って持ち帰ったら

「今頃遅いよ」なんておっしゃられて

あっという間にお正月飾りにチェンジされてしまうでしょう

(エピファニーまでクリスマス飾りはそのままで

といったところで、ちょっと難しいですよね)


ということで、「冬のお飾り」をテーマに準備してみました

(準備中にちょうどテレビで「アナ雪」を放映していて

ちょっと影響されました)

綿棒を切って貼って

雪の結晶のようなお飾りを作る工作です

これなら冬の間飾ってもらえるでしょうか

子どもたちがせっせと作る工作

お家で大切にしてもらえたら嬉しいです





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