2024年12月22日日曜日

「まぶねの中に」(日曜日のお話の要約)

クリスマス礼拝(2024年12月22日)(白)

ルカによる福音書 2章6-7節(102)


 みなさん、クリスマスおめでとうございます。


 大変なことの多かった2024年も、もうすぐ終わり2025年がやってきます。小さいお友達に知っておいてほしいのは、この二千何年というのはイエス様が生まれてから何年という意味です。


 イエス様は2024年前に天国にから来て人間の赤ちゃんとなって生まれ、33歳の時に十字架にかかって一度死んだけれど、三日目に蘇り、天国に戻って行かれました。でも、それからもずっとわたしたちを見守ってくださっています。


 ところで、イエス様がおられる天国とはどんなところだと思いますか?とても素敵なところだと思いますが、お友達にとって素敵なところってどんな場所でしょう。

 

 お菓子を食べながら、ゲームし放題、YouTube見放題?そんな場所に天使から「さあいらっしゃい」と言われたとして、ご飯を食べたお皿が汚いまま重なっていたり、お菓子のゴミがそこらじゅうに散らばっていたり、脱いだ靴下がその辺にあったり、いつ片付けや掃除をしたのかわからないくらい散らかっていたらどうでしょう?こんな汚いところ天国じゃない!と思いますよね。


 でも安心してください。神様は「清める」というお言葉が好きで、聖書には何度も何度も「清める」という言葉が出てきます。「清める」とは「きれいにする」という意味です。だからきっと神様のいらっしゃる天国は、とってもきれいなところに違いありません。


 イエス様はそんなきれいな、清められた天国からやってきて、マリアさんのお腹の中にやどりました。そしてベツレヘムという街で赤ちゃんとしてお生まれになったのです。


 でも、お生まれになった場所は天国みたいにきれいなところではなかったのです。クリスマスのお話は皆さん今まで何度も聞いたことがありますね。マリアさんとヨセフさんが皇帝の命令で長い旅をして、ようやくベツレヘムに着いた時、二人は宿屋に泊まることができませんでした。どこの部屋もいっぱいだったようです。


 クリスマス劇には「とんとんとん、宿屋さん」で始まる歌がありますね。劇では3人目の宿屋さんが「馬小屋ならば空いてます、さあさあどうぞお入りください」と案内してくれます。マリアとヨセフは嬉しそうに宿屋さんについて行きました。


 イエス様が生まれた頃、馬小屋は宿屋のそばの洞穴の中にありました。2000年前はまだ自動車はなかったので、旅行の時は兵隊さんや偉い人は馬に乗って、普通の人はロバに乗りました。ですからこの洞穴の家畜小屋には、旅でくたくたになったろばが何頭もいたでしょう。そして、宿屋さんが飼っている牛や鶏やヤギなんかもいたかもしれません。


 動物たちは、そこでフンをしますが自分で片付けませんから、飼い主が一生懸命世話をしても、小屋の中はすぐに散らかるし、汚れるし、嫌な匂いがします。マリアさんが赤ちゃんを産むのにこの部屋はちょっとあんまりです。でも他に場所もないし、時間もありません。「嫌だ」なんて言っている場合ではなかったのです。


 大変な目に遭いながらも、イエス様は元気にお生まれになりました。ただ、しつこいですが、そこは家畜小屋です。ベビーベットもゆりかごもありません。聖書には、マリアさんが、赤ちゃんのイエス様を布で包んで飼い葉桶に寝かせた、と書いてあります。飼い葉桶というのは馬やロバが食べる干し草や藁を入れる入れ物のことで、ベツレヘムでは石で作っていたようです。それがベッドの代わりです。


 石は硬くて冷たいですね。動物が沢山いるところに置かれているので、ロバのよだれもついていたかもしれませんし、鶏のフンもくっついていたかもしれません。だから飼い葉桶というのはきれいなベッドではないのです。ついでに言えば、かなり臭かったかもしれません。それでもイエス様は平気なお顔をして、すやすや眠っておられました。


 さてお話の最初に、イエス様は天国から来られた、と言いました。そこはとてもきれいな場所だ、ともお話ししました。きれいな天国から来たイエス様にとって、動物の匂いのぷんぷんする場所で、石の飼い葉桶に寝るのは嬉しいことではなかったと思います。でも、イエス様は人間になって生まれると決めた時、生まれる場所がどんなに散らかっていて、汚くて、臭いところでも嫌がらない、と決めておられたのです。イエス様は、大人になって救い主となったら、どんなに汚いところでも人を助けにいく、と決心していたのです。


 ここで、お話はポンと飛びます。大人の方や大きいお友達はピンとくると思いますが、これは「私たちの心がどんなに汚れていても、イエス様は助けに来てくださる」という意味でもあるのです。


 小さいお友達はまだよくわからないかもしれませんが、自分勝手とか、わがままとか、そういった心は神様から見たら、とても汚いものです。そして成長すればするだけ、自分の心の中がきれいじゃないことがわかってきます。私は嫌な人間だなあ、とか、俺の心は醜いなあ、と思って、でも自分ではきれいにする方法がわからなくて、とても悲しくなるのです。イエス様の助けが必要なのはそんな時です。


 「イエス様、私は自分で自分の心をきれいにすることができません。ぐっちゃぐちゃで汚い心です。このままだと自分のことがとても嫌いになってしまいます。だからどうぞ助けてください。」


 そうお祈りすれば、イエス様はすぐに助けに来てくださいます。こうなったらもう大丈夫です。イエス様は「一緒に心をきれいにしていこう」とにっこり笑ってくださいます。


 人の心は汚れやすいので、あっという間にきれいになるわけじゃないけれど、イエス様はいつでも一緒にいて、どんな時も心の掃除や片付けを手伝ってくださるのです。そのためにイエス様はベツレヘムの家畜小屋のまぶねの中にお生まれになったのです。私たちの救い主、イエス様に心から感謝し、そのお誕生を、クリスマスを喜んで参りましょう。メリークリスマス。



アメリカ製のクリスマスカードのイラストです
可愛らしいので気に入っています
今週の週報の表紙にも用いました


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