詩編46編1-4節、11-12節 マタイによる福音書11章16-19節
本日10月31日は宗教改革の発端となった日です。マルチン・ルターが500年前、時の教会への疑問質問を95箇条にまとめ上げ、ヴィッテンベルク城の扉に張り出した日なのです。
中世において教会のトップに立つローマ教皇は絶大な権力を持っていたました。しかし、ペストの大流行や十字軍の失敗により、教会は金銭的にも窮地に立たされます。そこで教会はて建物修復などの費用の不足を補うために為に「免罪符」つまり「贖宥状」を売り出します。元々は十字軍の戦いに参加した兵士たちが、戦争とで人を殺した罪や仲間を見捨てた罪を神様に赦してもらいたいと教会に助けを求めたところがスタートであった、とも言われています。
しかしやがて「贖宥状」は「罪の赦しはお金で買える」という感覚を生み出します。教会の側でも、資金集めのためにどんどん宣伝がエスカレートし「どんな罪を犯しても贖宥状を買えば罪を赦されて天国に行ける」と言い始めます。そしてついには「既に地獄に行ってしまった人の魂も、贖宥状を買えば地獄から飛び出して天国に行ける」とデタラメを言い始め、良心的なキリスト者の不信や反発を招き、宗教改革を後押しする形となったのです。
ルターは教会の権力を守ろうとする人々に命を狙われますが、ザクセン選帝侯フリードリヒ3世がルターに守られ、改革を推し進めます。フリードリヒ3世はローマ教皇も圧力をかけられないほどの大貴族だったため、ルターは落ち着いて新約聖書をドイツ語に翻訳することができました。聖書はそれまでラテン語で記され、特別な人しか読むことができませんでしたが、それを機会にそれぞれの国の言葉に翻訳されました。折もおり、印刷機が開発され、聖書は飛躍的に人々の間に広がっていきました。
一方、それまでの教会は依然として強い影響力を持っていましたが、ルターの宗教改革を機に、内部改革が進めら、世界宣教を開始します。日本にもフランシスコ・ザビエルによって1549年にキリスト教が伝えられ、織田信長の庇護を受けて勢力を伸ばし、全人口の2%から5%がクリスチャンだったと言われます。しかしやがてキリスト教は禁教となり、明治になるまで長く厳しい迫害の時代となります。
さて、本日ご一緒に読みましたマタイ福音書は「笛を吹いたのに、踊ってくれなかった」と書かれています。これは当時の子どもたちの遊び歌で、片方が「結婚式ごっこをして楽しく歌いましょう、と呼びかけているのに、あんたたちは応じてくれない」と言うと、もう片方が「葬式ごっこをしているのに、あんたたちは泣いてくれない」と文句を言う。お互いにこうやって遊びたいと誘い合っているのに、相手がそれに乗ってくれないと文句を言っている、そういう歌なのです。
あくまで子どもの遊び歌ですが、イエス様の目には、その時代の人々全体がそんなふうに見えたのでしょう。お互いの想いが通じ合わず、欲求不満を募らせ、対立が深まり、一つになれない。それが今の時代の姿だとおっしゃるのです。ではイエス様にとって一体何がそこまですれ違っていたのでしょう。
民衆はイエス様に、奇跡の力を用いてローマ帝国を追い出し、イスラエルに自由を与えてくれる新しい王様でした。しかしその1週間後には落胆し、自分たちの求めるリーダーはイエスではない、十字架につけろと叫んだのです。
そこには、神様のみ言葉に信頼するものや、神様からの祝福を得ようとする人々はいませんでした。イエス様がいくら神様の御言葉を語ろうと、誰もそれを受け入れない。自分たちの思いを押し付けようとするばかり。このどうしようもないすれ違いは、まるで子どもたちの歌う、「笛吹けど踊らず」の歌そのものとして、イエス様の目に映ったのでした。
しかしイエス様はご自分にかけられた間違った期待に失望して終わる方ではなかったのです。十字架の上で一度命を捨て、三日後に蘇るという、人間が誰一人考え付かなかった凄まじい方法によって、神様は確かに私たちのそばにいて下さることを証明されたのでした。私たちが信じている神はこういうお方なのです。
日本の宣教の歴史は1549年の伝来以来、「以後四苦八苦」です。江戸時代においても、第二次世界大戦下においても、強い迫害があったことは日本の歴史の資料にはっきりと記されています。かつて迫害があったこと、そしてそれが確かに終わったことは歴史に刻まれているのです。それはたとえ苦難の時代があっても、神様は守ってくださるという証なのです。
日本では、今、表立ったキリスト教迫害はありませんが、ルーテル教会に限らず、キリスト教会そのものが伸び悩み、難しい局面に立たされています。現在、日本のクリスチャン人口は、全人口の1%以下です。
もちろんクリスチャンは少ないより多い方が良いのですが、キリスト教というものはイエス様が宣教を開始した時点から、大ブームになるよう宣伝することはしませんでした。イエス様の弟子たちは、神様から示された人たちに誠実に接し、不都合な点があれば小さな改革をコツコツと積み重ね、丁寧に丁寧に前進してきました。歴代のキリスト者たちは、誠実に歩み、気持ちのすれ違いを嘆くのではなく、イエス様をお手本として、常に解決の道が示されることを信じて歩んきたのです。それがプロテスタント教会のあるべき姿です。
ルーテル教会はマルチン・ルーテルすなわちマルチン・ルターの名前を継ぐものとして、聖書を土台として立ち、神に導かれた信仰が保てるよう、ただ主イエス・キリストにより頼みましょう。ルターの残した「信仰のみ、聖書のみ、恵みのみ」という言葉を改めて心に刻みましょう。この教会に、この園に集まる人々と共に平和に過ごすため、聖書から与えられる知恵を大切にしつつ、これからの歴史を共に紡いで参りましょう。
宗教改革記念日の昨日、飯田教会の礼拝堂に
美しいハンドベルの音色が響きました
飯田ルーテル幼稚園卒園児の保護者によって結成された
リーベクワイヤの特別賛美です
飯田教会の礼拝堂は古く痛みも激しく
建て直しを目前としています
教会員は減少し、高齢化しており
多額の借金をしなければならない現実を前に
尻込みする者がいないと言えば嘘になります
100年を超える飯田教会の歴史の中で
「もはやこれまでか」と思えるような出来事も
何度もあったと聞きます
しかし神様はこの小さな教会を
お見捨てにはなりませんでした
ですから私たちは信仰と希望を持って
大きなプロジェクトに挑みます
ここが愛に満ちた空間として
再出発することを
神様は望んでおられると確信しています
0 件のコメント:
コメントを投稿