四旬節第三主日礼拝(2020年3月15日)
ヨハネによる福音書 4:7-15
イスラエルの国は、紀元前900年代に北と南に分裂しました。北側が「イスラエル王国」で首都はサマリヤでした。南は「ユダ王国」で、首都は神殿のあるエルサレムでした。
北王国イスラエルは紀元前721年に、当時の大国アッシリアに滅ぼされます。それによって血筋と宗教が入り混じった人々がサマリア人です。
南王国ユダも紀元前500年代にバビロニア帝国との戦いに負け、人々は捕囚されますが、およそ50年の時を経て故郷に戻ることが許されます。帰還した彼らは、律法に基づいて純血のユダヤ人で神様を再建し、礼拝していくことを誓い合います。
そんなユダヤ人の元に、サマリア人が神殿建設を手伝おうと訪れますが、ユダヤ人たちがそれを断ったことから関係が悪くなり、何百年もたちました。
この日、イエス様一行はエルサレムからガリラヤへ帰る途中でした。行きはサマリアを迂回しましたが、帰りは「サマリアを通らなければならなかった」のです。イエス様はサマリア人の中に、救うべき魂があることを知っておられたのです。
イエス様は正午ごろにサマリアにあるヤコブの井戸の側で、水を汲みにきたサマリア人の女性と出会います。ここは暑い国で、こんな時間に水を汲みに来る人はいません。人々は朝涼しいうちに井戸端会議の一つもしてから一日を始めます。しかしこのサマリアの女性は人目を避け、誰もいないはずの時間を選んでやってきたのです。
イエス様は女性に声をかけ「水を飲ませてください」と言われます。イスラエルのような乾燥した国々では、旅人から水を乞われれば普通は拒否しません。しかし彼女はイエス様がユダヤ人であることを理由に、断りたいそぶりです。
そんな彼女にイエス様は「もしあなたが「水を飲ませてください」と言ったのがだれであるか知っていたら、あなたの方からその人に頼み、その人はあなたに生きた水を与えたことであろう」とおっしゃるのです。
彼女の喉は渇いていなくても、彼女の心は渇いてひび割れて、素直な憐れみの心さえ持てなくなっていました。イエス様は、もしあなたが望みさえすれば、私にはあなたの渇いた心を潤してあげられるるのに、と言われたのです。
しかし彼女はまだユダヤ人とサマリア人の宗教観の違いを持ち出してイエス様に反論します。この井戸は由緒正しい井戸でこの井戸の水も素晴らしい。それに対してイエス様は「この水を飲んでもまた喉が乾くが、私が与える水を飲んだら二度と乾かない」と言われます。もちろんイエス様が言われるのは魂と信仰の問題です。しかしそれを聞いた彼女は「もし喉が乾かない水をもらえるなら、その水をください」と反応します。
するとイエス様は「あげるよ」とはおっしゃらず「あなたの夫をここに連れて来なさい」と言われました。
彼女が今同居している男性は正式な夫ではありません。身勝手な男達に翻弄され、捨てられることを繰り返してきたのです。痛いところを突かれて彼女は戸惑います。彼女はここに至って、自分の心の飢え渇きを知ります。この方は尊い方だ、と気づいた彼女の言葉遣いは変わって来ました。そしてついに「キリストと呼ばれるメシヤが来られることを知っています」と口にします。自分の渇きを潤してくださるのは、この井戸の水ではなく、メシヤ、つまりキリストと呼ばれるかたである。もしかしてあなたがそうなのですか?
それに対するイエス様のお答えは「その通りだよ」でした。
彼女は大切な水瓶をそこに置いたまま、街へ飛び出していき、イエス様のことを証しします。人目を避けて水を汲みに来ていた彼女の180度変わった姿がありました。
イエス様の救いがこのサマリアの女の人から伝わり、やがて彼女が伝えなくても、サマリアの人々は神を知るに至ったのです。
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