降誕後主日礼拝(白) (2019年12月29日)
イザヤ63:7-9 ヘブライ2:10-18 マタイ福音書2:13-23
今日の話は、有名でありながら、日本の教会であまり語られない王様が登場します。新約聖書の中のとてつもない悪役、その人の名前は、「ヘロデ大王」です。
聖書の中に出てくる人は、どの人も神様に愛されたいい人で、悪い人なんか出てこないというイメージのある方は、その思い込みを一旦捨てて頂いて、「こんな悪い奴もおったんか」と驚き、受け止めて頂ければと思います。
この「ヘロデ」という名前は元々はギリシャ語で「英雄」を意味する言葉で、英語の「ヒーロー」の語源です。ヘロデは当時イスラエルを支配していたローマにうまく取り入り、政治手腕を発揮して、ユダヤとローマとの協調関係を作り上げます。彼は純粋なユダヤ人ではなかったため、ユダヤ人から人気を得ようと、都市の整備に力を入れました。さらにはエルサレム神殿を大改築しました。この大改築はローマ帝国を含む当時の世界で大評判となり、ユダヤ教徒だけでなく、他の宗教を信じる外国人までが神殿に参拝しようとエルサレムをさかんに訪れるようになりました。
しかし、ヘロデ王は本質的に猜疑心が強く、自分の地位を守るために身内を含む多くの人間を次々と殺害しました。彼のそのようなしたたかな部分と、狂気じみた部分、そして闇に支配されているその様子を、マタイによる福音書は見事に伝えているのです。
さて、聖書では、赤子のイエス様に魔の手が伸びた時、主の天使が夢でヨセフに現れて「起きて、子どもとその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。」とお告げをします。
数ヶ月前、神の子を宿したマリアを受け入れ、守ると心に決めたヨセフは、なんの迷いもなく天使のお告げを受け入れ、行動に移します。マリアを守ると決めた時から、自分が引き返せない道に踏み出したことをヨセフはわかっていたでしょう。
黄金、没薬、乳香を献げに来た東の国の学者たちの行動によって自分たちがピンチに陥ったのだと考える暇もありません。3つの宝物はあっという間に、エジプトへの逃避行の為の資金へと変わったことでしょう。
聖書には「神の子なら自分自身を救ってみろ」というイエス様に向けられた厳しい言葉があります。歴史に「もし」はありませんが、天使のお告げがあった時、もし、ヨセフが心の中で、「この子は神の子だから何もしなくても大丈夫」と思い込んで動こうとしなかったなら、救い主イエス・キリストはあえなく2歳までの人生で終了したかもしれません。
けれども、神はヨセフが聖書の言葉を正しく理解し、神様の守りを信じて疑わないということを分かっておられたので、この重要な局面を彼の行動力に託されたのです。
ここではヨセフの信仰と、ヘロデ王の闇とが鮮やかに対比されています。一国を支配するヘロデと、ダビデの家系とはいえ今は庶民のヨセフ。しかし、神様は身分でも社会的立場でも金銭でもなく、ただヨセフを選ばれたのです。
私たちの生涯において、ヨセフが味わったような、信仰を揺るがすようなピンチはいくらでもあります。劇的な不幸に襲われる、ということでなくても、世の中が不景気になって殺伐してくると、教会なんて行ってもなんの役にも立たないという声が聞こえてきます。信仰なんて適当でいいというような軽はずみな言葉に、ちゃんと神様を信じている者達が惑わされるのです。
世の中には、表面は紳士的でも、内面はヘロデのように権力や富に固執する人々はいくらでもいるものです。そして、そのような人々に私たちは振り回され続けるのです。私たちはその都度、ヨセフのように自分がどう生きるかを決めていかなければなりません。たとえ夢の中に天使が現れることはなくても、聖書を通して常に私達の判断を導いてくださることを信じていかなければなりません。
私たちには神の守りがあることを、私たちはみ言葉を通して知ることができます。神に従っていく、イエス様に従っていく、信仰を守るために礼拝を大切にしていく、その思いこそ神様に喜ばれることです。
来年はどうなるだろう、と不安な思いに打ち負かされそうになるかもしれませんが、神様があなたを選んで任せてくださったのだと強く信じ、守られていることを忘れずに時を重ねてまいりましょう。
明日は元旦礼拝です
2020年の初めに、共に主を礼拝いたしましょう
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