クリスマス礼拝・聖餐式(白) (2019年12月22日)
イザヤ9章1-6節 テトス2章11―15節 ルカ福音書2:1―7節
神様は遠い昔、救い主である神様の御子の誕生を約束してくださったのですが、実際にイエス様がお生まれになるまで、長い時が必要でした。ようやく誕生されたのがおおよそ2000年前、この救い主の誕生をお祝いするのがクリスマスなのです。
神様の御子ならば、素晴らしい環境でお生まれになっても良さそうなものですが、当事者であるマリアとヨセフにとっては、おめでたいどころか、大変な試練を耐え忍ばなければならなかったのが最初のクリスマスの出来事なのです。
聖壇に、小さな馬小屋セットを飾ってありますが、ここには羊飼いも博士もいません。家族だけの一番最初のクリスマスの情景があります。
実は、イエス様がお生まれになったのは何月何日だったのか聖書には書いてありません。2月25日がお誕生日、というのはかなり後になって決められたことです。ですがこの出来事を福音書に記録したルカはこの時、「皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た」と記しています。
アウグストゥスはローマ国内の長かった争いを沈め、最初の皇帝になりました。広大な領地を持つローマ帝国は偉大な皇帝によって安定した状態を保っていましたが、その陰では、イエス様一家のように人口調査に振り回され苦しんだ人々もいたのです。
しかしそれでもなお、神様はこのクリスマスを「喜べ、喜べ」とおっしゃり、マリアもヨセフも辛い体験を耐え忍び、イエス様の両親としての使命を果たそうとするのです。ここには、神様のご命令に従って懸命に、従順に生きる人々の、つまりキリスト教信仰に生きる者の、素朴な信仰の姿が描かれています。最初のクリスマスの出来事は実にけなげなのであります。
こうしてイエス様のお生まれとともにキリスト教の歴史は幕をあけるのですが、その後の2000年の歴史を振り返りますと、決して褒められるようなことばかりではありません。ヨーロッパを舞台として血で血で洗うような戦争もしましたし、十字軍などのように明らかな間違いを犯したことも事実です。数え上げればきりがありません。
ですから、教会もまた、過ちを繰り返さないために礼拝の門を広く開き、共に聖書を読み、祈ります。記されていることをさらに詳しく知りたいと望む方達のために学びの時も備えます。
聖書には、この世界が神の御心に沿い、平和になるためにはどうすればよいのか記されているのです。また、自分の人生に思い悩む者には、その解決を神様自身が与え導いてくださるのです。そして、その一番の導き手こそ、イエス・キリストであり、この方が今日お生まれになったと覚えて私たちはクリスマスを祝うのです。
先ほど、イエス様は何月何日に生まれたのか、本当のところはわからない、と申し上げました。しかしイエス・キリストの誕生を、この冬至、つまり闇の時間が一番深い時にお祝いすることは、とても意義深いと思われます。
人間は、どれほど良い動機で始めたことでも、いつの間にか計算が入り込んで純粋さを失ったり、目的を果たすために強行突破しようとしてひどい仲たがいを起こすこともあります。人間の創り出す世界は、良い目標を持ちながらも闇を引き起こしてしまうものです。
自分の中にある道徳性だけを基準にして何事かをなそうとしても、なかなか理解が得られず、モヤモヤと怒りを覚える時、私たち自身が闇の中に生きているのかもしれません。人を憎み、取り返しのつかない亀裂を生んでしまう前に、私達は闇に差し込む光へと導かれる必要があるのです。
私たちがこの地においてクリスマスの光を灯す、一人一人になることを祈り求めましょう。闇の時代を後にして、光の時代を迎えましょう。闇に迷うこの私のために救い主キリストが来てくださったことを受け入れ、共に歩んでまいりましょう。
神からの豊かな祝福が注がれますようお祈りいたします。
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