クリスマスイブ燭火礼拝(白) (2019年12月24日)
ルカによる福音書 2:8―20節
みなさん、クリスマスおめでとうございます。クリスマスは救い主イエス・キリストの誕生を覚えて、感謝を捧げる日です。救い主がこの世に来られる、という約束は遠い昔から旧約聖書によって伝えられてきました。
ミカ書の5章には、次のように記されています。「エフラタのベツレヘム。お前はユダの氏族の中でいと小さき者。お前の中から、わたしのためにイスラエルを治める者が出る。」この預言どおりに、救い主はベツレヘムの町でお生まれになったのです。
イエス様誕生の時代、イスラエルは広い領土を持つローマ帝国の一部として支配されており、徴税、徴兵のために人口調査が行われました。誰もこの調査を逃れることはできず、マリアの夫、ヨセフも故郷のベツレヘムに帰らなければなりません。イエス様をお腹に宿していたマリアも一緒でした。
彼らがベツレヘムの町に着いたとき、すでに宿屋は一杯でした。二人はようやく、馬や牛を飼っている部屋の片隅に泊まらせてもらい、そこでイエス様が生まれたのです。
やっとの事で生まれてきたというのに、今度は、赤ちゃんに着せる産着がありません。仕方なくありあわせの布でイエス様はくるまれました。また、赤ちゃんを寝かせるベットもありませんでしたから、生まれたばかりのイエス様は馬や牛がえさを食べる飼い葉桶に寝かされたのです。
では、この夜、救い主誕生の知らせは、いったいだれに一番最初に伝えられたのでしょうか。それは野原で夜通し羊の番をしている羊飼いたちです。羊飼い、という仕事はとても辛い仕事です。この時代の羊飼いたちは羊が泥棒や獣に取られないように、夜でも外で過ごさなければなりませんでした。また羊は独特の匂いがしますから、世話する人も臭くなります。
イスラエルでは羊飼いは長い伝統のある職業でしたが、いつの間にか「汚い、きつい、危険」という理由から、人々から敬遠されるようになっていきました。
そんな羊飼いたちがベツレヘム郊外の野原で野宿しているところに、天使があらわれ、大いなる光で彼らを照らします。
「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ、主メシアである。あなたがたには布にくるまって飼い葉桶に寝かされている乳飲み子を見つけるであろう。」と告げたのです。
羊飼いたちは大急ぎでベツレヘムに出かけ、飼い葉桶に寝かされた救い主に出会って、礼拝し、心から喜びました。
もしイエス様が普通の家や立派な宿屋の一室で生まれたなら、差別されている羊飼いたちは、家にあげてもらうことができず、イエス様に出会うこともなかったことでしょう。しかし神様のご計画により、あえて不衛生な家畜小屋の中でお生まれになったからこそ、羊飼いたちがイエス様に会うことができたのでしょう。
しかしイエス様が飼い葉桶に寝かされたことは、羊飼いのためだけではありません。それは私達のためのしるしでもあるのです。
みなさんの中にも、「私は、神様の前に立つには、あまりにも汚れている。汚い心をもっている」と考えている人はいないでしょうか。
しかし神様はだれもが、そのままの姿で近づくことができるように、イエス様を家畜小屋の中に生まれさせたのです。イエス様は誰もが尻込みするような恐れ多く勇ましい姿ではなく、あえてか弱い赤ちゃんとしてお生まれになったのです。それは誰でも私の前にいていいのだよ、という招きでもあるのです。
イエス様は、神様と私達の間の架け橋となるためにお生まれになり、私達の心の闇に灯るともし火として、今も存在してくださったいます。わたしたちにできることは、ただ感謝して、このイエス・キリストを心にお迎えすることなのです。
イエス・キリストがこの世に生まれた、ということはクリスマスの半分にすぎません。みなさんがこのキリストという素晴らしい贈り物を受け取る時、皆さんがご自分の人生にイエス・キリストを受け入れる時、お一人お一人にとって真のクリスマスとなるのです。
イブの夜、礼拝堂は穏やかな光に満ちていました
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