―ただいま読書中ー「新しい天と新しい地-政治的説教-」
ヘルムート・ゴルヴィツァー著
訳者 土岐正策 菅原一夫 奥村益良 高岡清
1976年1月31日 初版発行
発行者 秋山憲兄
定価:1600円、絶版にて古本屋等でお求め下さい
発行所 新教出版社
説教塾主宰の加藤常昭先生がセミナーの時であったか、説教塾の例会の時であったか、ヘルムート・ゴルヴィツァーの名を何度か挙げられたのを記憶していた。ゴルヴィツァーの司式と祈りに接したが、それはすばらしいものであったと、加藤先生は感慨深げに、しかも淡々と語られたのである。私は、名前を忘れかけていたが、加藤先生にメールで尋ねると、先生から答えが返って来た。「渡辺牧師へ、それは、ゴルヴィツァー先生です」と。
私は、それで、ゴルヴィツァーの著書をいくつか取り寄せた。そして今、最初に読んでいるのが、「新しい天と新しい地」である。戦後1965年ごろになされた、彼の説教が載せられている。
ドイツが二度も世界大戦に巻き込まれ、キリスト者の責任が大きく問われた時代を、彼は生きたのであろう。その本の副題が「政治的説教」となっている。
こんなにもスケールの大きな説教が可能なのだろうか。私などが説教に取り組むと、どうしても字句にとらわれ、狭い解釈しかできなくなりがちであるが、彼は、世界の生きている歴史の中で、主イエスの譬え、たとえば、「赦さないしもべの譬え」(マタイ福音書第18章21節~35節)を説くにあたっても、彼はこの譬えを、「キリスト教三幕悲劇」として、3回にわたって、説教を行っている。「赦さないしもべ」とはだれなのかを、ドイツ民族の二度にわたる世界大戦への突入の歴史と合わせて、人間の罪、キリスト者の罪を説き、まことの回心、また国民的悔い改めを説いているのである。
それは、この本の副題にもなっている政治的説教ではあろうが、私どもの罪の問題がともすると個人的な魂の問題のみに集中するあまり、この世界での罪の問題を矮小化してしまう危険があることに警鐘を鳴らしている問題提起ではないか。
私は、ゴルヴィツァー先生が、どのような神学的背景なのかはまだ何も知らない。しかし、加藤先生が見た礼拝における彼のおごそかな司式ぶりと祈りは、この本にある説教を少し読んだだけではあるが、納得できる気がした。彼が今生きていて、日本の教会にいたら、どんな説教をすることだろうか。
0 件のコメント:
コメントを投稿