2018年3月4日、四旬節第3主日聖餐礼拝(―典礼色―紫―)、出エジプト記第20章1節-17節、ローマの信徒への手紙第10章14節-21節、ヨハネによる福音書第2章13節-22節、讃美唱19(詩編第19編2節-15節)
説教「心を清める」(ヨハネ福音書第2章13節~22節)
私たちは今、レントの最中にあります。この四旬節、受難節の三回目の主の日には、マルコ福音書が主たる福音書となります3年サイクルのB年ですが、伝統的に今朝の日課でありますヨハネによる福音書第2章13節から22節が読まれることになっています。
そして、第1の朗読では、出エジプトの民が、モーセを通して、十戒を与えられる出来事が読まれました。十戒では、「我は主たるなんじの神なり、なんじ我の他なにものをも神とすべからず」云々の掟が記されています。
マルティン・ルターは、私どもが十戒を心から誠心誠意守ることができたならば、主の祈りも、使徒信条もいらなくなるが、私どもは神と人との間の戒め、人と人との間の戒め、どれをとっても一つも完全には守ることができないので、絶望し、キリストの福音にかけつけて、使徒信条によって私どもの信仰を改めて確認し、その信じるところに立ち返って、主の祈りに従って日々の信仰生活を歩まねばならないのだと言っております。
今日の第2の日課も、ローマの信徒への手紙の中から、使徒パウロが、福音を伝える者がいなければ、だれが信じることが出来ようかと言って、イザヤ書の、福音を伝える者の足はなんと美しいことかという預言の言葉を与えられています。
さて、今日の福音は、ヨハネ福音書の初めの方に出て来ます、いわゆる主イエスのなさった「宮清め」といわれる出来事であります。ここがなぜ、よりによってレント、四旬節のこの日曜日にあえて読まれるのでしょうか。そのことについて、しばらくご一緒に考えてみたいと思います。新共同訳聖書には、聖書のテキストごとに、―それをペリコペーと呼んでいますがー、小見出しがついています。それによりますと、「宮清め」ではなくて、「神殿から商人を追い出す」となっています。「宮清め」というと粛清といった印象が残るためでしょうか、私どもの聖書は、出来事の中身に忠実に、「神殿から商人を追い出す」と出来事の内容をそのまま要約して、小見出しとしているようです。
ところで、ヨハネ福音書では、主イエスが神殿から、商人たちを追い出す記事が最初に載っておりますが、共観福音書ではそれは、主イエスの生涯の最期すなわち受難週のときに、主イエスのなさったふるまいとして出て来ます。
これは、昔からいろいろに考えられ、解釈されてきた問題であります。いかように理解すべきなのでしょうか。四つの福音書の中で、ヨハネ福音書は一番最後に書かれた福音書 であります。紀元1世紀、AD100年近くのころにもなるでしょうか、ユダヤ教からの迫害が高まり、ローマ帝国からの圧迫も強い中で、信仰を与えられているヨハネ福音書の教会に連なるキリスト者たちが、信仰から離れ、信仰を失ってしまうことがないようにと書かれた福音書であります。
この福音書のおかげで、私どもは、マタイ、マルコ、ルカ福音書、いわゆる共観福音書といっていますが、そこでは得られない資料を与えられ、たとえば、過ぎ越しの祭り、パスハ(子羊)の祭りが、ヨハネ福音書では少なくとも3回出て来ますので、主イエスの公生涯、すなわち、主イエスが宣教に携われた期間は3年ほどであったのではないかということが推測されるようになったのであります。
そこで、エルサレムの神殿を清めるという主イエスのなさったふるまいは、いったいどう考えたらいいのでしょうか。主イエスの宣教の終わりに1回だけあった出来事を、福音書記者ヨハネは、その意味の大きさを捉えて、これこそ、主イエスのなさった重大な出来事としてあえて、その福音書の初めに持ってきたのでしょうか。
しかし、共観福音書の場合とは、記されている内容も微妙に違っており、主イエスは、最初のしるしとして故郷に近いカナの婚宴において、その親類の婚宴に招かれて、足りなくなったぶどう酒を、水からぶどう酒に変えるという最初のしるしをなさった後のこと、この出来事が起こったとそのまま信じてよいのではないでしょうか。
最初に過ぎ越しの祭りが近づいていたとあります。出エジプトの出来事を記念し、ガリラヤの人々も旧約聖書の、特に自分たちのルーツである出エジプトによって主なる神が自分たちを、奴隷の身分からモーセに率いられて脱出したことを子孫に代々伝え、自分たちが神に贖われた民であることを、七週の祭りや仮庵の祭りと共に、年に三回はエルサレムの神殿にもうでていけにえをささげるのであります。そのようにして、主イエスもエルサレムの神殿にお出でになったのであります。
主イエスは、そこ、神殿の境内、異邦人の庭とも呼ばれます所において、牛や羊を売る者、鳩を売る者や座っている両替人たちをご覧になっておられました。ところがその時、縄で鞭を作り、羊や牛を皆追い払い、両替人の机もひっくり返し、小銭をまき散らすというふるまいに及ばれたのであります。そして鳩を売る者たちに、「それらをここから持ち運べ、私の父の家を商売の家にしてはならない」と言って追い出されるのであります。
このような主イエスのありようは、他の場面では考えられないような激しい怒りに満ちたものであります。主イエスは、なぜこのようなふるまいにあえて、しかも宣教をお始めになったばかりの時に、及ばれたのでしょうか。このときの主イエスのふるまいは、弟子たちのみではなく、そこにいたユダヤ人たちに大きな痕跡となって残るのであります。
弟子たちは、その主のふるまいに、「あなたへの熱意が、私の身を食い尽くすであろう」という詩編の預言の言葉を思い起こさせられていたとあります。カナの婚宴でなさった初めてのしるし、奇跡の出来事とは反対に、ここには主イエスの怒りが記されているのであります。
そこで、当然のことながら、ユダヤ人たちは、主イエスにこう応じます。「こんなことをするからには、あなたはどんなしるしを見せてくれるのか」と。ユダヤ人はしるしを求め、ギリシャ人は知恵を求めると言われます。彼らはしるしを求めるが、大魚の中に三日三晩いたヨナのしるし以外には、彼らには与えられないだろう、しかしここにはヨナに勝る者がいると主イエスが別の個所で言っておられる通りであります。
そして、ここでは、「あなた方は、この神殿を壊してみよ、私はそれを三日のうちに建て直すであろう」と主はお答えになります。ユダヤ人たちは、なにも理解できず、「この神殿は46年もかかって建造中であるのに、あなたはそれを3日で起こすというのか」といぶかるだけでありました。
実はそれは、主イエス御自身の体の神殿を指していたのであります。あなた方はその神殿である私を殺すであろう、しかし、私は三日の後に起き上がるだろうとの受難予告そして復活予告が、実はここにおいて既になされているのであります。弟子たちも、この主イエスの言われたお言葉を、理解することはできず、主イエスがよみがえられた、すなわち、神に死者の中からって復活させられたときに、この時の出来事の意味が分かったのであります。
その時、弟子たちはかの聖書と、主イエスの語られたその言葉とに信じゆだねたとあります。かの聖書とは、旧約聖書の中に、救い主メシア、キリストは、陰府と死の腐敗の中に捨て置かれることはなく、神によってそこから甦らされると約束されているからであります。そして、エルサレムの神殿から、商人たちを追い出し、ユダヤ人たちに、それをなさるのは、ただ一つのしるし、主イエスのご復活であることを、弟弟子たちは主ご復活の出来事の後になって初めて理解したのであります。
これに続くみ言葉には、エルサレムで主のなさったしるしを見て、信じた者は多かったが、主イエスは、彼らを信用なさろうとはしなかった。人間の内にあるものが何なのか、主イエスはよくご存じであったからであると記されています。
主イエスの十字架への道行きを憶えるこのレントの合間に、今日の福音を聞かされる意味はどこにあるのでしょうか。それは、私どもの中にある、霊とまことをもって、神を礼拝するのにはとてもふさわしくない罪に気づくことであります。今日この後与ります聖餐、キリストの体とその尊い血にはふわさしくない罪の現実が、この世界にあり、私たちの生活にも潜んでいます。
当時のエルサレムの神殿での犠牲をささげる礼拝は、利得と欲望にまみれて、決して神をあがめまつるには、堪えないものでありました。それに対して、主は怒りをあらわにし、不思議なことにも、そのふるまいが、人の手によらない、まことの神殿となる主イエスの体を十字架にかからせる裁判への引き金にもなったのであります。そして、もはやこの神殿での犠牲の礼拝は不要なものとなり、キリストの体である教会が生まれるに至ったのであります。
エルサレムの見事な神殿はこの後も修復が続きましたが、紀元後63年のローマ軍の包囲・攻略によって、主イエスが預言した通り、石の上に一つの石も残ることなく崩壊しました。旧約のゼカリヤ書の終わり第14章にある通り、神殿にもはや商人はいなくなり、馬の鈴も、食事で用いる鍋も、日常生活のすべてが聖別される至るのであります。「心が清められ」て、このレントの時、罪と不正から免れ、世の罪を取り除く神の小羊によって歩ませて頂きましょう。
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