2018年3月14日水曜日

「闇を好むか、光を好むか」(ヨハネ福音書第3章13節~21節)


2018311日、四旬節第4主日礼拝(―典礼色―紫―)、民数記第214-9節、エフェソの信徒への手紙第24-10節、ヨハネによる福音書第313-21節、讃美唱34/1(詩編第342-9節)

説教「闇を好むか、光を好むか」(ヨハネ福音書第313節~21節)

 レントに入って、4回目の主の日に与えられている福音は、ヨハネ福音書第313節から、21節までであります。先週もマルコから離れて、ヨハネ福音書から、主イエスのなさったいわゆる宮清めの記事が与えられていましたが、今朝も、そして次週も四旬節第5主日もヨハネ福音書から、福音記事が選ばれています。今日の福音も、このレントの時期に、古くから洗礼準備の時として過ごしてきましたが、新しく生まれ変わるとはどういうことか、ニコデモとの対話を通して、主イエスが、また、いつの間にか、福音書記者ヨハネが、説教をしている部分であります。

 さて、今日の第1朗読の民数記は、モーセが出エジプトの旅において、民が不平を言い、モーセに逆らったときに、炎の蛇によって多くの者が命を落とすという出来事が起こったときに、主なる神にとりなしを願ったときに、主は青銅の蛇を作って、それを旗竿の上に掲げよと命じられました。そして、蛇にかまれた民を、この青銅の蛇を見上げる者は命を助かると言われたのであります。そして、その通りにした者は、命を助かったと記されているのであります。これは、今日の福音書の中で主イエスが、取り上げられている旧約聖書の故事であります。

 そして、今日の福音は、まず「だれも、天へと上った者はいない、天から降って来た者、すなわち、人の子以外には」とあります。主イエスは、父なる神と共に、天におられた方であります。そのご自分が、この地上、私どものところにお出でになられ、しかも、女から、貧しいマリアのもとにお生まれになったのです。すなわち、主イエスは、神性を持つと共に、同時に人性をお持ちになり、しかもその二つは結合されており、二人の神さまなのではなく、一つの位格を持った方なのであります。それは、私たちの弱さ、罪を担うために、神であられる方が、まったく私どもと同じ人間となられたのであります。

 さらに、主は言われます。ちょうどモーセが荒野において、蛇をあげたように人の子もあげられねばならないと。出エジプトの時には、主の言葉をそのまま信じて、灼熱の蝮にかまれても、ただ見上げた者らは死なずに済んだというのですが、主は、ご自分はそれと同じ、いや、それ以上の蝮として、あるいは忌み嫌われる害虫のように、あざけられて、十字架に付けて殺されねばならないとここで宣言されるのであります。

人類が天と創造の時に神によって造られたときに、蛇に身を変えた悪魔が誘惑して、食べてはならないと命じられていた木の実を食べて、罪と死が人間に入り込んでしまいましたが、しかし、主なる神は、その時にアダムに約束して、あなたの末から、その蛇の頭を打ち砕く者を約束なさいましたが、主イエスは、ご自分がそれであるとここで証しなさっているのであります。

そして、私共の罪と死と悪魔、地獄を滅ぼすためには、どうしても、天上に世界の初めからおられた神の子が、地上に下って人の子として苦しまれ、この世から忌み嫌われ、拒まれ、退けられ、十字架上にあげられねばならいのであります。そして、死んで葬られ、陰府にくだり、よみがえって天の父のもとへとあげられることになっているのであります。その主イエスを信じゆだねて、洗礼を受け、生涯従っていく者だけが、同じく天へと上っていくと約束されるわけであります。

この者以外には、だれも天に上った者はいないのであります。どんな行いによっても、どんな偉人によっても、このことに信じゆだねるのでなければ、だれも永遠の命を持つことはできないのです。

そして、こう記されます。神はその独り子を愛するほどに、この世を愛された、それは信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を持つためであると。人間は、神なしには、闇の中にあります。神と人との関係が破れ、また、人と人との関係が破れた存在だからであります。そのような我々人間どもの闇の世をご存じで、その独り子を遣わし、私どもと同じ人となられ、苦しみを受けさせ、そのみ子は、十字架の死に至るまで、父のご意志に従われるのであります。福音書記者ヨハネは、主が十字架にあげられるときこそ、神の栄光の時であると証言しています。

さらに、こう続きます。神がこの世にその子を送ったのは、それを裁くためではなく、かえって彼を通して救うためであると。そして、彼を信じる者は裁かれない、しかし、信じない者はすでに裁かれている、神の独り子へと信じゆだねなかったからであると。

ところが、人々は、送られたこの光よりも闇を愛したとあります。人間は光よりも闇を愛するというのであります。私どもの生は闇と罪に覆われています。しかも、自分が価値あるものと認められたいのであります。そして、自分の闇を明らかにされることを望まないのであります。ヨブ記の中に、盗人や姦淫する者は朝に光を憎む、彼らにとってはそれが恐れるべきものであり、彼らは闇を愛する者であるとあります。

主イエスは、あるいは、福音書記者ヨハネは、すべて悪、卑劣なことを達成する者は光を憎む、光に来ない、それは彼のそのわざが暴露されないためであると言います。

しかし、最後には、真理を行う者は、光に向かってやって来る、彼のその業が神においてなされていることが明らかになるためであると言います。私ども人間は、光がこの世へときたのに、それを受け入れようとはせず、闇を愛したのであり、それが裁きであると言われます。

そのことを認めること、そして悔い改めることがなくてはなりません。そして、この神の愛を受け入れて、洗礼を受けている私どもは、信仰によって義とされた者として、闇のわざを明らかにしていく務めをもできる者へとして、新しく、上から、聖霊によって生まれることが求められていきます。

私たちに遣わされた、この御子、人の子を信じる者は、裁かれないとあります。人となられ、神でもあられるこのお方こそ、私たちを罪から贖う唯一の方であります。父なる神が御子を送られたのは、そこまで愛に徹した決断であったのであります。そして御子はそのご意志に、最後まで、十字架の死に至るまで従われるのであります。私たちは、その愛に答えて、生涯を悔い改めながら、新しい人として、信仰によって義とされた、しかも罪人として歩んでいくことが許されています。

ニコデモは、夜やって来て、ラビと呼びかけ、主イエスを教師としてその教えを真剣に理解しようとしました。その後も求め続け、最後は主の十字架のもとに遺体に没薬などを塗るために、やって来ます。これは、洗礼を受ける前の私たちの姿、あるいは洗礼を受けてからも、私どもに訪れる疑いや戸惑いのときの思いを彼は代弁してくれているのではないでしょうか。しかし、主はやさしく、私の光の道、命の道、真実の道に従ってきなさいと呼んでくださっています。アーメン。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      

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