2024年1月7日日曜日

「全世界の救い主」(日曜日のお話の要約)

聖餐式・主の顕現礼拝(2024年1月7日)
イザヤ書60章1-6節(1159) 
エフェソの信徒への手紙 3章1-12節(354)
マタイによる福音書 2章1-12節(2)


 本日は顕現節の礼拝、「イエス様が神様の御子として公に現れた」ことを記念する礼拝です。この礼拝では伝統的にマタイ福音書の中から「三博士のイエス様への訪問」の出来事が朗読されます。

 このとき学者たちを導いた星について、近代の天文学では、「ハレー彗星のことではないかとか」とか、「木製と火星が重なった時ではないか」と幾つかの仮説が立てられています。

 当時、旧約聖書は古代からの知恵の詰まった書物としてイスラエル以外の近隣諸国でも、広く知識人に読まれいました。ですから夜空に輝く星が現れた時、聖書に預言されたどえらい王様が誕生した、と気づいた政治家たちがいたはずです。「これは並の人物ではない、挨拶に行かねば外交問題に発展するかもしれない」と考え、お祝いの意思を表明するために学者たちを派遣した可能性があります。

 つまりはこの東の国の学者達は、ただの占い師ではなく、また好奇心に駆られて単独で旅をしたのでもなく、外交的責任を担って東の国を出発した、それなりの地位のある人々だったと思われます。そのお祝いの品が、どこの国でも宝物として通用する黄金・没薬・乳香だったのでしょう。

 ただここにちょっと興味深い仮説がありまして、派遣された学者たちは自分の国のトップから非常に重い責任を負わされています。任務が失敗した場合、政治家たちから首を刎ねられる危険性を知っていました。ですから、いざとなったら逃亡して自分の身を守ろうと、国王から託された宝物の他に、自分の資産を黄金・没薬・乳香に変えて隠し持っていたのではないか、という説です。

 さて、それはそれとしまして、当時のイスラエルはローマの支配下に置かれ、独立もままならない状況でしたから、預言通りの素晴らしい指導者の誕生はイスラエルの人々に歓迎されているはずだと学者たちは考えました。ローマから国の独立の前祝いにお祭り騒ぎが繰り広げられているに違いない、と予想したのです。

 しかし、その思い込みが彼らに道を間違えさせてしまいます。学者たちは、目を曇らせて方向を間違え、ベツレヘムではなく王宮のある首都エルサレムへと向かったのです。しかしエルサレムではお祭り騒ぎなど起きてはおらず、輝く星を見失った学者たちはエルサレムで救い主はどこに生まれたのか、と尋ね求めたのです。

 学者たちの来訪は、イスラエルを治めるヘロデ大王の耳に届きます。これはヘロデにとっては喜ばしい知らせではありませんでした。ヘロデは元々ユダヤの正当な王族ではなく、政治的手腕を発揮してローマの後ろ盾を得、イスラエルの王座についていたのです。

 彼は疑い深く残忍な人物でしたが、王様としてはユダヤ人の人気を得ようと、ユダヤ人の信仰の中心である神殿の大改築をおこないました。そんなヘロデだったからこそ、聖書に記された救い主は、非常に邪魔な存在でした。

 救い主が素晴らしい存在であればあるだけ、できるだけ早いうちにその芽を摘み取っておこうと考えたのです。そこで自分の側近たちを呼び寄せ、その星はベツレヘムにありと突き止めさせます。

 そしてエルサレムでまごまごしている占星術の学者たちをスパイのように使おうと王宮に呼び寄せます。博士たちはそんなこととは知らずにヘロデ王に接見し、東の国で見た星の話を語り、「拝みにきた」と言います。

 そこでヘロデは救い主がベツレヘムに生まれたであろうことを伝え、救い主一家を突き止めるように要求します。表面的には「私も行って拝もう」と謙虚で敬虔な言葉を述べますが、腹の内では、イエス様を殺すことだけを考えていました。

 学者達は、自分達が見込み違いをしたことに気づいたものの、そこで挫けることなく、新たな思いをもって導く星を見つけ旅を続けます。彼らが星に導かれたのは神殿でも王宮でもなく、ただの小さな家でした。イエス様がお誕生されてから既にある程度日が経っており、この一家は家を借りで貧しいながらも新しい生活を営んでいたようです。
 そのような一家の元に、東の国の学者たちが突然訪れ、ひざまづいたのです。学者たちは今度こそ間違えませんでした。「救い主なら立派な家にいる」という思い込みに惑わされなかった彼らの長い長い旅はようやく終わりました。彼らを導き続けた星もようやくお役御免です。学者たちは自分を派遣した王様から預かった「宝」を全て、この貧しき、幼い、イエス様の為にささげます。

 そして、先ほどもお話ししましたが、自分達の身を守るために隠し持っていた個人財産、黄金・没薬・乳香まで惜しげもなく捧げたのではなかったかでしょうか。

 学者達は、自分の祖国の安泰だけでなく、全世界の安泰、救いとは何かと深く考えながら旅をしてきました。そして星に導かれてイエス様に出会い、この幼子を通してなされる神様の業、愛の業を、信仰の目によって見ることができたのでしょう。学者達は、これからイエス様がたどるご生涯については何も知りません。しかし全世界はこの方によって救われると確信し、喜びに溢れたのです。

 私たちは、その時より2000年を超えた時代に生きています。私たちの目の前には輝く星どころか、次から次へと苦難や困難が現れ、苦渋の決断を強いられます。それでも私たちは神様によって集められたこの地にあるイエス様の弟子集団です。

 私たちは世間一般の常識では無謀なことに挑もうとしているのでしょう。しかし、2024年そして2025年が飯田教会にとって新しい飛躍の年になるために、あらゆる苦難を前に祈り、主に導かれていることを覚えつつ共に歩んで参りましょう


この土曜日は今年初めの土曜学校でした
12人のお友達が集まってくれました
松ぼっくりを使ったスキー人形を
楽しく作りましたよ

この二人は最年長のお姉さん
さすがに上手に作ってくれました

二人の後ろには、今日でお片付けをした
ツリーと、その星が輝いています





見本はこんな感じでした


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