2024年1月18日木曜日

「キリストとの出会い」(日曜日のお話の要約)

顕現後第2主日礼拝(2024年1月14日)

サムエル記上3章1-10節(432) 

Ⅰコリントの信徒への手紙 6章12-20節(306)

ヨハネによる福音書 1章43-51節(165)


 2024年がスタートして2週間経ちましたが、被災地で今も困難の中におられる方のためにお祈りいたします。


 教会ではクリスマスシーズンも終わり、小さな赤ちゃんだったイエス様が成長され、ご自身で弟子集めをなさる段階へと差し掛かりました。本日の聖書個所では、ナタナエルという人物がイエス様の弟子に招かれる様子が描かれています。最初、フィリポがイエス様に招かれ、ナタナエルにイエス様を紹介します。フィリポは「聖書で約束された救い主」と語り、イエス様の価値を強調します。ナタナエルは友人のフィリポが適当なことを言う人間ではないと知っていましたから、この言葉に目を輝かせたことでしょう。ところがフィリポは「それはナザレの人で、ヨセフの子イエスだ」と言うのです。


 ナタナエルは、フィリポより旧約聖書に精通していたと思われ、即座にミカ書の5章1節を思い出します。そこには「ベツレヘムからイスラエルを治めるものが出る」と書かれていました。ナタナエルは「ガリラヤのナザレ出身の人物が救い主のはずがない」と失望します。


 ところがフィリポはナタナエルをイエス様へと招くことを止やめようとせず「来て、見なさい」と誘い続けます。「あなたにとって見る価値のあるお方だ、つべこべ言わずに見ろよ」と言わんばかりです。


 教会では伝道方法について、友人を誘う「アンデレ伝道」や「フィリポ伝道」という方法が昔から言われてきました。アンデレにしてもフィリポにしても、自分よりも実力があったり、聖書知識があったりする人物を説得したり言い負かして連れてくるのではなく、相手に馬鹿にされたとしても「とにかく来なさい、来ればわかる」と情熱を持って誘うのです。


 もしかしたら、あなたは救い主なんて必要としていないかもしれない。救い主の導きや助けがなくても、一人でやっていける人にさえ見える。けれども、私はなんとしてもあなたにイエス様と出会ってほしいのだ。言葉ではうまく説得できないけれど、とにかく連れて行きたい。そんな情熱が感じられるのです。


 そして、イエス様はご自分のもとに誰かを連れてこようとする人の情熱を無駄になさらない方です。ですからフィリポがナタナエルを自分の元に連れてきた時、その思いを大切にしてくださいました。そしてナタナエルのことを「まことのイスラエル人だ。この人には偽りがない」と評価なさったのです。


 現在「イスラエル」というと良いイメージがありませんが、ここでイエス様の言われる「まことのイスラエル人」というのはもちろん褒め言葉です。そしてここで言われる「イスラエル」というのは創世記に登場するヤコブという人物に神様が直接お与えになった名前です。


 ヤコブことイスラエルは、大胆なことをやるかと思えば心弱く悩んだり、信仰深いかと思うとずる賢くなったり、複雑な性格を持っています。ヤコブは長男の権利欲しさに兄を裏切ったことから命を狙われ、旅に出て野宿する羽目になります。ところがその場所で天と地を結ぶ階段の夢を見ます。


 壮麗な階段を御使が昇り降りしているのを見て恐れ慄くヤコブに、神様は「私はあなたを見捨てない」と語りかけてくださいます。これは讃美歌にも歌われている有名な聖書箇所です。51節でイエス様が言われる「天使や人の子が昇ったり下りたりするのを見る」とは、創世記28章でヤコブが見たこの幻のことを指しています。


 現在のイスラエルの国の樹はオリーブですが、イチジクは葡萄と共に平和と繁栄の象徴です。この日、ナタナエルはイチジクの木の下で祖国のことを想い、救い主や来たるべき王のことを求めて祈っていたのではないでしょうか。


 そしてイエス様はナタナエルがどこにいたかを千里眼のように見抜いただけでなく「イチジクの下にいた」と言い添えることで、その思いまで見抜かれたのではなかったでしょうか。


 ナタナエルは驚き、「あなたはイスラエルの王です」と服従の姿勢を示します。その時イエス様から「あなたは私を通して天の国が分かるようになる」と言われます。それが「天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇ったり下ったりするのを、あなたがたは見るようになる。」という言葉に込められています。


 ここで言われる「人の子」というのは、イエス様のことを指しています。先ほどお話ししたヤコブの見た天の階段の夢は、神が人のいる地上へと降り、人間と交流してくださることを示します。主イエス様は、ご自分が天と地をつなぐ階段の働きをする、つまりイエス様が、人と神との架け橋になる、と言っておられるのです。


 ナタナエルは理知的、またインテリであるが故に、自分の頭で納得しなければ動けないタイプの人だったかもしれません。しかし、フィリポに導かれてイエス様と出会い、結びつくことによって、今までにも増して神様との繋がりが強くなっていくことを次第に感じるようになったことでしょう。


 私たちは、自分の足りないところばかりが目について、引け目を感じることがあります。そして自分みたいなものは聖書を学んでもしょうがない、とか、自分よりもっと優れた人に伝導を任せた方がいい、と考えたりします。しかし、そうした思いはイエス様を、神様を悲しませるだけだと心に刻みましょう。


 むしろ、あなただからこそ「来て、みなさい」と誰かをキリストの元へ導き、出会いをセッティングすることもできるのです。こうして神の国は近づくものになるのです。



幼稚園の工事が進んでいます。

既存の建物は結構揺れます。

牧師間の食器棚の中身もカタカタ揺れています(^^;)


現在の幼稚園の裏手です
2台のショベルカーの大競演です

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