2023年12月25日月曜日

「お生まれだ イエス様が」(日曜日のお話の要約)

主の降誕礼拝(白)(2022年12月25日)
テトスへの手紙2章11-14節(163) 
ルカによる福音書2章1-14(102)


 みなさん、クリスマスおめでとうございます。先ほどはルーテルキッズバンドの皆さんに「お生まれだイエス様が」を賛美していただきました。歌詞の通り、笛や太鼓で賑やかに、楽しく、お祝いの雰囲気を盛り上げてくれました。本当にありがとうございます。


 さて質問です。なぜ私たちはイエス様のお誕生を喜ぶのでしょう?これは簡単なようで、結構難しい質問かもしれません。


 私たちは兄弟や友達と喧嘩をしたりします。自分が悪いとわかっていてもワガママがやめられない時もあります。親切にしてくれる友達には親切にしてあげることができても、自分に嫌なことをしてくる人には腹を立てて「絶対許さない」と言ったりする。それから、困っている人を見ても、自分に関係ない人なら無視してしまうこともあります。


 私たちは本当は優しい明るい素直な人になりたいなあのに、やり方がわからないのです。それは子どもだけではありません。大人だってわからなくて、一度始めた喧嘩をやめられないことがあります。この喧嘩が国同士になると戦争になってしまいます。大人の偉い人でも戦争のやめ方がわからなくて、いつまでたっても戦争が終わらないのです。


 でもイエス様はそんな私たちが良い人になれるよう力を下さると約束してくれました。イエス様は33歳になるまでこの世にいて、天国に帰っていかれましたが、神様なのでお姿が見えなくなっても実は変わらず私たちのそばにいてくださいます。


 私たちは悲しくて泣きたい時、心がモヤモヤ辛い時、イエス様助けて、と真剣にお祈りするのです。きっと助けてくださると信じてお祈りするなら、イエス様は必ず助けてくださるのです。こうして助けてもらった人たちは「イエス様ありがとう」という気持ちでいっぱいになります。そして「イエス様生まれてくださって、私のそばにいてくださってありがとう」って思わず言いたくなるのです。


 2000年前、そんなふうにイエス様に助けられた「弟子たち」が集まりました。そして「良い人になりたいのに方法がわからない」という人たちにイエス様のお話をしてあげました。すると「もっとお話ししてください」とどんどん人が集まって、その集まりは教会と呼ばれるようになりました。そして教会は世界中に増えていきました。


 こうしてたくさんできた教会の一つに「ニコラウス」という先生がいました。ニコラウス先生は教会でお話しするとき、赤い服を着ていました。みんなの幸せのためなら、自分もイエス様のように十字架の上で血を流して死んでも構わない、と決心していたからです。


 ニコラウス先生は自分もイエス様のように優しく親切な人になりたくて毎日お祈りをしていました。そして町の大人や子どもにイエス様のことをたくさんお話ししました。


 ある時、ニコラウス先生は、お父さんと3人の娘が貧乏で困っているのを知りました。あんまり貧乏なので、お父さんは娘たちを悪い人に売って、お金をもらおうと考えていました。「これは大変、なんとかしなければ」そう考えたニコラウス先生はお金の入った袋をこっそりその家に投げ込みます。するとその袋は吊るしてあった靴下の中にポトンと落ちました。


 このお金のおかげで、娘たちは悪い人に売られないですみました。お父さんも娘たちも、誰がこのお金をくれたのかついに分かりませんでしたが、イエス様からのプレゼントだと信じて心から感謝しました。ニコラウス先生はこの家族が幸せそうにイエス様にありがとうを言っている姿を見て、黙ってニコニコ笑っていました。


 ニコラウス先生はこんなふうにこっそりと、良いことや親切なことをたくさんしました。すると町の人はだんだん「きっとニコラウス先生がしてくれたんだ」とわかってきました。だからニコラウス先生が死んで天国に行った後、「イエス様のお手伝いをした立派な人」という意味の「セント」という言葉を最初につけて「セント・ニコラウス」と呼ぶようになりました。


 この「セント・ニコラウス」という呼び方はそのうちに外国の人も呼びやすいように発音が変わりました。どう変わったと思いますか?初めは「シンタ クラース」と呼ばれました。そして、そう、みんなの知っている「サンタクロース」という名前に変わったのです。


 サンタクロースが今でも赤い服を着ているのはイエス様のように「みんなのためなら自分は血を流して死んでも構わない」という気持ちがこもっているのです。


 教会ではよく「クリスマスは何の日ですか?」と聞きます。たくさんのお友達は「サンタの日」と答えますが、それを聞いて一番がっかりするのはきっとサンタクロースです。サンタクロースは「クリスマスはイエス様が生まれたことを喜ぶ日だよ」「私はイエス様のお手伝いをするためにいるんだよ」と言っているでしょう。


 イエス様がいなかったらサンタクロースもいなかったんです。だから私たちはクリスマスには「お生まれだイエス様が」と喜んで歌って、お祝いして、優しい心、強い心が持てるようにお祈りするのです。


 最後になりますが、実は今年のクリスマスは、この礼拝堂でお祝いする最後のクリスマスです。思い出いっぱいのこの建物は、来年には壊すことになっているのです。新しい教会がどんな建物になるかはまだ決まっていません。新しい建物が、イエス様大好きって人がたくさん来てくれて、音楽もできて、幸せいっぱいの場所になるよう、みんなでお祈りして参りましょう。




ルーテルキッズバンド、リハーサルの一コマです
「お生まれだイエス様が」を賑やかに賛美
リコーダー(ハモリ)、ドラムス、ボンゴで
文字通り「笛吹け太鼓を鳴らせよ」を表現(^^)v

95歳になる牧師夫人のお母さんは
キッズバンドの大ファン
一緒に写真を撮ってご満悦です



打って変わってこちらはイブ礼拝
いつも撮影担当の牧師夫人ですが
お母さんが朝夕両方の礼拝出席は無理なため
親子で施設の部屋からZOOM参加
パソコン画面を撮影しています

この礼拝堂での最後のキャンドルサービスとなりました
賛美は「リーベクワイヤ」のハンドベル
さまざまな作曲家の「アヴェ・マリア」が演奏されました
新しい会堂でも美しい音色が響きますように


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