2023年1月15日日曜日

「イエス様の弟子」(日曜日のお話の要約)

顕現後第2主日礼拝(緑)(2023年1月15日)
イザヤ49章1-4節(1142)ヨハネ福音書1章35-41節(164)

 イエス様の時代、イスラエルはローマ帝国との戦いに敗れて属国となっていました。政治と宗教のトップたちは要領よく立ち回って国を維持しようとしましたが、一部の民衆の中には、過激な行動に出て独立を取り戻そうとする「熱心党」と呼ばれる人々もおりました。

 とはいえ、多くの民衆は長いものに巻かれ切ることも過激になることもできないでいました。フラストレーションを溜め込みながらも、先祖から伝えられてきた聖書の教育をやめることだけはしませんでした。安息日にはシナゴークと呼ばれる地域のユダヤ教集会所に集まって聖書を学び、祈りましたし、年に3回行われるエルサレム神殿でのお祭りには、健康な成人男性は可能な限り巡礼として訪れました。

 神殿で儀式を司る司祭たちサドカイ派は神殿を大事にして捧げ物をすれば神様が守ってくれると説きました。一方聖書を教えることを受け持つファリサイ派は律法と先祖からの教えに忠実に過ごすことで神様の守りが得られると教えました。しかし指導者が提供する派手な神殿、やたら細かい掟だけでは、いつまでも人々をコントロールできる訳でもありませんでした。ユダヤの人々は、遠い先祖の時代に荒野で培われた信仰こそ、神様につながる信仰ではないかと耳を澄ましました。

 そしてサドカイ派やファリサイ派と対抗する形のように現れたのがエッセネ派と呼ばれる第3の勢力でした。エッセネ派は権力者と対立していたので聖書には名前が出てきませんが、洗礼者ヨハネは、その指導者の一人で、イエス様も一時的にこの集団に属していたと言われています。この派に属する人々は貧しくとも神の民として生きるという強い意志と誇りを持っていました。彼らは都会からも神殿からも離れ、死海の北西沿岸にある荒野で共同生活を行いました。

 本日読みましたヨハネ福音書では、洗礼者ヨハネが自分の弟子を二人連れていた時、歩いておられるイエスに出逢います。ヨハネはイエス様を見て「見よ、神の小羊だ」と言うのです。その時ヨハネと共にいた弟子の一人がペテロの弟、後の12弟子の一人アンデレで、もう一人はこの福音書を書いた著者ヨハネだと考えられています。
 イエス様は洗礼者ヨハネから受洗した直後、天から降った聖霊を受けていよいよご自分が宣教に踏み出す時が来たと知りました。そこでエッセネ派から抜け出し、新しく歩み始めたのです。洗礼者ヨハネは、イエス様こそメシアであると既に気づいていましたから、アンデレら二人に対し「神の小羊であるイエス様についていきなさい」と促します。「ついて行った」という言葉は原語のギリシャ語は、ただ追いかけて行った、ということではなく、弟子としてついて行ったという意味です。

 一方、イエス様は二人がついてくることが分かった時、振り向いて「何を求めているのか」とお尋ねになります。それは「何か用事があるのか」ということ以上の意味を持っていました。「あなたの人生においてあなたは何を求めているのか」とも取れる問いかけなのです。

 彼らがわざわざ洗礼者ヨハネの元を去り、イエス様の後を追って来たからには、今まで満たされなかった何かを求めてのことであったのは間違いありません。しかしそれが何であるか、彼らはうまく言葉にすることはできませんでした。

 それでも、この方について行けば自分たちが求めているものがきっと与えられるという確信を持っていました。ですから彼らはこの問いには直接答えず、「ラビ、どこに泊まっておられるのですか」と尋ねます。わざわざイエス様にラビ、先生と言ったのは、「もはや私たちは洗礼者ヨハネの門下生ではなく、イエス様に従います」という表明です。イエス様のそばにいて、イエス様の言葉をじっくりと聞きたい、と願ったのです。彼らの返事を聞いたイエス様は「来なさい、そうすれば分かる」と招かれ、正式に弟子となったのです。

 ヨハネはイエス様の教えがエッセネ派からも、伝統的なユダヤ教からも独立していく様子を目の当たりにしました。イエス様のお考えはヨハネには理解できないことも多くありましたが、「来なさい、そうすれば分かる」と言っていただいたその日から、ヨハネはひたすらイエス様に付き従いました。イエス様のそばを離れないでいれば、イエス様のおっしゃることが必ずわかるようになってくる、神様がそうしてくださる、と信じ続けたのです。

 ですから彼はイエス様が十字架にかかられたときでさえ近くで見守り、その母マリアを預かり、イエス様の復活の出来事も目の当たりにし細かく書き記しました。それら全てのことをまとめて福音書に書き記したのです。

 イエス様の尊い犠牲と愛の目撃者として、イエス様のなさったこと、仰ったことをのちの時代に伝え、イエス様こそ神であることを証ししていくことが自分の使命であると確信し、そこに自分の生涯を捧げたのです。ヨハネは12人の弟子のうちで唯一長生きしたと言われており、生き証人として彼の語る言葉は、イエス様の昇天後弟子となった人々に強い影響を与え続けました。

 私たちは最初のイエス様の弟子のように「来なさい、そうすれば分かる」と招かれています。神様に押し出されてこの教会に招かれ、イエス様の前に逃げも隠れもできません。イエス様の弟子として、神様の御心が現れる場を創っていくものとなりましょう。神様からお前たちには恵みを与え、信仰を与え、愛の心を与えた、さあその場を示しなさいと語りかけられ、信仰によって行動する時が来ているのです。 


園庭の銀杏の木で羽を休めるつぐみ
何を見ているのでしょう

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