聖霊降臨後第18主日礼拝(緑)(2022年10月9日)
テモテへの手紙Ⅱ2章11-13節(392)
ルカによる福音書17章11-19節(142)
私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが私たちにあるように。
イエス様の有名な例え話に「良きサマリア人」というお話があります。ユダヤ人とサマリア人は犬猿の仲であったにもかかわらず、傷つき倒れたユダヤ人をサマリア人が助けた、という例え話を通して、イエス様は隣人愛を解かれました。
サマリヤ人とユダヤ人は数百年前まで遡れば同じ民族でしたが、それぞれに違う歴史を辿ったため、聖書理解や神様への信仰スタイルも異なっていきました。それぞれに自分の方が正しい信仰を持っていると譲らずお互いに軽蔑し合っていましたから普通サマリヤ人とユダヤ人が仲良く暮らすことはありませんでした。
しかしここに登場する彼らは、一般のユダヤ人とサマリア人ではありません。彼らは「重い皮膚病」と診断された人々で、地域が用意した隔離用の村の一つで共に生活せざるを得なかったのです。
この病は伝染性が強いと考えられ、患らった人は隔離されるのが通常でした。隔離された場所からどうしても出なければならない場合は「私は汚れたものです」と叫び、他者が自分に近づかないようにしなければなりませんでした。
「重い皮膚病」であるかないかの診断は古くから祭司に委ねられており、隔離するか自由にするかの決定を行いましたが、治療法のない時代、「重い皮膚病」と認定された人々が再び元の生活に戻れる可能性は非常に低かったようです。
今日の福音書の10人の「重い皮膚病」の人々は、生きる希望もなく、ただ「同病相憐む」の言葉通り、人種や民族、年齢等にこだわることなく、できる範囲で助け合いながら暮らしていました。そんな彼らが一つの福音を聞きます。自分達の病をたちどころにいやす方がおられるということでした。
少し遡ると、ルカによる福音書5章に、イエス様が重い皮膚病を癒す様子が記されています。イエス様は癒しを行われた後、その人に「祭司に体を見せて治ったことを証明してもらい、感謝の捧げ物をするように」と言われますが、ご自分が癒されたことについては黙っておくように命じられます。しかしいくら当事者に口止めしても、このような奇跡を見聞きした人々が黙っていられるはずがありません。イエス様の噂はどんどん広まって、本日の10人の患者の耳にも届いたのでしょう。彼らはイエス様が自分達の近くを通られることを期待して、待ち続けたのです。
ところでイエス様は、ユダヤ人とサマリア人が神様への信仰をめぐって対立していることを悲しんでおられました。だからでしょう、イエス様はたびたびサマリアを訪れ、人々と親しく語り合ったことが聖書に記されています。今回もわざわざこの土地を旅のルートに選び、病のためとはいえユダヤ人とサマリア人が共に暮らしている場所に行かれたと考えられます。
病人たちがイエス様に会いたかった以上に、イエス様の方が彼らに会うこと強く願われたのです。ですから遠くから彼らがイエス様の名を呼び、「憐んでください」と叫ぶと、すぐさま「祭司たちのところに行って、体をみせなさい」と呼びかけ、いやされたのです。
病人たちは自分の体を確認したりはしませんでした。イエス様が「祭司に体を見せるように」と言われたならば、すでに自分は癒されているのだと信じ、祭司に体を見せるためにそこを後にしました。
しかし、一人のサマリア人だけは、大声で神を賛美しながらイエス様の元に戻ってきたのです。ある説によると、10人のうち9人はユダヤ人だったので診せるべき祭司はいたが、このサマリア人にはいなかった、というのです。もし彼がユダヤ人祭司に見せたとしても「汚れたサマリア人が神様から癒されるはずがない」と意地悪される可能性がありました。
また、仮にサマリア人の祭司に見せたとしても「ユダヤ人であるイエスに神の奇跡が行えるはずはない」と言われるかもしれません。つまりは、どちらの祭司に見せても、彼は癒された保証をもらえなかっただろう、というのです。しかし、本当にそれだけだったのでしょうか?
彼は自分が癒されたことを確信し、イエス様と共に確かに神様がおられることを知り、心からの感謝を捧げるために戻ってきたのではなかったでしょうか。彼にとって、祭司に見せることは後回しで良かったのです。後回しにしたところで、救いの事実、癒しの事実、神様から愛が注がれた事実は、変わらないのです。溢れ出る感謝の思いが彼を突き動かし、イエス様のもとへと引き戻したのでした。
こうして癒されたサマリア人は、民族を超えて自分に手を差し伸べてくださったイエス様を愛し、慕う気持ちが日に日に増していくでしょう。苦しむ人の前に、民族の違いなど関係ないのだというイエス様の思いをしっかりと受け取ったに違いありません。その素直な信仰は、彼をその後、天の国に導いていったことでしょう。
一方、祭司に体を見せに走った9人のユダヤ人は、イエス様を慕う心は与えられないままだったでしょう。恩人としてイエス様を思い出すことがあっても、それ以上でも以下でもないままだったかもしれません。病のときにはサマリア人とも寄り添えた彼らでしたが、今はユダヤ人の祭司に導かれ、民族意識を取り戻し、イエス様の真の御心を受け止めることもなく、ユダヤ人が世界の中心であるような信仰の歩みをしていったことでしょう。
今、私たちは日々戦争の報道を聞きながら生活しています。神様の御心を知りつつ、神様がわたしを愛されたように、私も隣人を愛していこうと、祈り、願うことで平和は築かれます。決して武力の上に築かれるものではありません。
こんな時だからこそ、イエス様の教えを心に刻み、祈りましょう。私たちはイエス様を慕う一つの群れです。その歩みを生涯守り通して参りましょう。
人智では到底はかり知ることのできない神の平安が、私たちの心と思いとを、主イエス・キリストにあって守るように。アーメン。
先日、教会学校のお友達3人を誘って
園庭を見下ろせる幼稚園の屋上に上がりました
「屋上」と言っても、ほぼ「屋根」です
牧師館の物干し台の延長で
柵を乗り越えたりすることもなく、すんなり出られます
もちろん、万が一に備えて教会員がガードします
(教会員も上がってみたかったようです)
ここは牧師家庭の洗濯物を干すとき
園庭で遊ぶ園児に見つかって
大声で名前を呼ばれたりする、楽しい空間でもあります
飯田は花火の名所で、この場所からとてもよく見えます
目を凝らせば南アルプスも見えますし
夕暮れ時には赤く染まる赤石山脈がとても美しいのです
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