2022年9月4日日曜日

「平静の信仰」日曜日のお話の要約

聖霊降臨後第13主日礼拝(緑)(2022年9月4日)
申命記30章15-20節(329)ルカによる福音書14章26-33節(137)


 現代社会は今コロナや戦争で閉塞感に満ち、物価の上昇も生活の苦しさに拍車をかけています。しかし、私たちはこんな時だからこそ、世の中に振り回されず、真の神であるイエス様の招きに素直に応じる決心をする必要があります。


 イエス様の招きの言葉を聞き、神様の想いの深さを理解するなら、聖書に予想もしないような厳しい言葉が刻まれていても、その中には神様の確かな理由があるのだと信じることができます。たとえ理解できないことが多くても、神様が無理難題を押し付けているのではない、と信じられるのです。


 本日ご一緒に読みました福音書には「父、母、妻、こども、兄弟、姉妹も、さらに自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない。」という非常に厳しい言葉が記されています。イエス様の弟子になりたいならば、家族であれ、富であれ、自分自身であれ、「これは自分のものだ」と主張してはならないと教えるのです。


 ここで使われている「憎む」という言葉は「より少なく愛する」と訳せる言葉です。全てのものの与え主である神様をあなたの持てる最高の愛で愛し、その他のものは、神様に向けるよりも、もっと少なく愛しなさい、という意味なのです。

 もし、この箇所を表面的に読むならば、「親より神様を大事にすることを勧めるとは何事か」と怒り出すでしょう。しかし、かつては支配者や権力者が、庶民に徹底した忠誠を誓わせた挙句、平気で家族を引き離し、犠牲にする時代がありました。今もそのような政治が行われている国はごまんとあります。


 権力者や支配者が、自分の地位が脅かされることを恐れ、兄弟だろうか子どもであろうが、命を奪ったり地位を奪ったりすることも珍しくありません。いざ戦いになれば家族を引き裂いて主人のために生きて帰れる見込みのない戦場へ送り込むのはごく普通のことでした。日本でも、そのような歴史は遠い過去のことではありません。


 しかし「私に従いなさい」とおっしゃる神様は、最高の権威を持つかたですから、ご自分の地位を守るために人を蹴落とす必要はありませんし、気まぐれや思いつきで人々を命の危機に晒したり、何かを取り上げたりする方ではありません。

 イエス様は神の子として、人間が持っている全ては神様がお与えになったものだとご存知でした。「父、母、妻、こども、兄弟、姉妹、自分の命」そして「自分の持ち物」。それらは人間が地上を生きる短い時間の間、神様から与えられた恵みであることを知ってほしいと、イエス様は願っておられたのです。そして、ご自分の弟子となるならば、神様のその想いを知ってほしいと言われたのです。


 しかし、イエス様ご自身も、人間にとって今持っているものへの過度の執着を立つことは非常に難しいことだと分かっておられました。「神様神様」と口にしていながら、いざ人生に辛いことが起きると、「あれほどお祈りしたのに叶えてくれなかった」と失望して神様から離れてしまう。一度手にしたものへの執着を断ち切るのは簡単ではない。人間にはそのような性質があることを知っておられたのです。


 ですから、イエス様を信頼し、弟子となってついて行きたいと望みが与えられたなら、その場の衝動で付き従おうとするのではなく、あえて一度立ち止まって考えなさい、と言われるのです。イエス様は「腰を据えて計算する」「腰を据えて考える」と教えておられますが「腰を据えて」とは、自分の頭でちゃんと考え、自分の意思で行動しなさい、という意味なのです。


 神様が最初の人間をお作りになった時、人間に自由な意思を与え、自由な行動を取ることを許されました。そしてたった一つだけ、この木からこの実を食べてはならないと掟を作られました。それは神様が人を愛するのと同じように、人間もまた神様を愛し、自分で考えて神様の思いに応えてほしいと願われたからです。人間が神様を愛するがゆえに、その愛に基づいて行動するなら、たった一つの掟を喜んで守ってくれるのではないか。神様はそうお考えになったのです。


 しかしその結果は悲惨なものでした。人間は与えられた自由意志を自分の好奇心を満たすことに用いて神様を裏切り、前から言い渡されていた通り、楽園から追放されることになってしまいます。神様は嘘や誤魔化しのできない方ですから、最初に人間と交わした約束をご自分から破ることができなかったのです。


 創世記には、悲しみながら楽園を去る人間に、神様自らが皮の衣を作って着せられた、と記されています。詳しくは書かれていませんが、神様が人間を愛し、見放すことができない様子が感じられる気がします。


 神様があなたを人として作り、生かし、イエス様の存在を通してせっかくご自分の元に招かれたにもかかわらず、神様の愛を正面から受け止めようとしていないのではないでしょうか。


 私たちが神様のことを最優先にして考える時、周囲の人々から、特に肉親に近い人から、冷たい言葉を投げかけられるかも知れません。一つの宗教にのめり込むことを嫌うことの多い日本人は、彼らの考える「正しい道」に引き戻そうとあれこれ意見してくるかもしれません。一番大事なのは、神様ご自身があなたに語り掛け、あなたを愛し、導こうとなさっているその声を聞くことなのです。


 もし、身内の無理解から悲しい思いをしたとしても、それこそあなたの十字架であり、あなたの歩むべき道なのです。そして、あえてその道を選び取るとき、何にも変えられないあなたの平静の信仰が与えられるのです。


 その信仰の道を歩むのは簡単なことではないでしょう。それでも、神様に愛されていることを覚えて歩むなら素晴らしいでしょう。今私たちは良いニュースの少ない世の中に生きていますが、全てを補ってあまりある神様に愛されており、ここは信仰によってそれを確信するもの達の集まりです。この信仰を一人一人が覚え、未来に歩んで参りましょう。



教会の植え込みには3種類のホスタ(ギボウシ)があります

順番に開花し、現在3番目が咲き誇っています

大きな花と素晴らしい香りに魅了されます







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