聖霊降臨後第6主日礼拝(緑)(2022年7月17日)
コロサイの信徒への手紙1章24-26節 ルカ福音書10章38-42節
本日の福音書は皆さんもよくご存知の「マルタとマリア」のお話です。ここに描き出されたマルタという女性は、客人をもてなすことが大好きで、そこに自分の才能を見出している人です。
彼女は今や時の人とも言えるイエス様を尊敬していました。この人は救い主、世の中を変える人だと直感していました。自分の家にイエス様がやってくる、というだけで、どんなふうにもてなせば喜んでいただけるだろう、とワクワクして、あれこれ準備に余念がありませんでした。
一方マルタの姉妹であるマリアは全く違う性格をしていたようです。マリアはイエス様が家を訪れると、その足元に座り、イエス様が語られる言葉を聴き始めました。彼女はマルタの手伝いを放り出し、イエス様の男性の弟子に交じってイエス様の近くに座り、誰よりも真剣にイエス様の教えを聞き始めたのです。
男尊女卑が当たり前の時代です。男性の弟子たちはなんとなく違和感を覚えたでしょうが、イエス様がマリアの存在を受け入れておられましたし、マリア自身どんな目で見られてもそこから離れようとはしませんでしたから、誰もマリアの行動に口を挟むことはありませんでした。
しかしマルタはこのマリアの行動に苛立ち始めていました。マルタはイエス様がこの家に宿泊されるたびにイエス様のお話を聞いてきた、という自負がありました。イエス様がおっしゃること、その教えについては自分はよく知っていると思っていました。だから今は手をとめて改めて耳を傾けるのではなく、家の主人として最大限の接待を行うべきだと考えていたのです。
ついにマルタの堪忍袋の尾が切れました。しかしあろうことかその怒りの矛先はマリアではなくイエス様に向かったのです。
「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおしゃってください」。「私はあなたのもてなしで忙しくしているのに、マリアは手伝おうとしない。それはイエス様の責任だ。」大切な客人にイライラをぶつけるのはとんでも無いマナー違反です。そこにいた弟子たちは緊張して成り行きを見守ったかもしれません。
その時、イエス様は「マルタ、マルタ」と、彼女の名を二回呼びました。イエス様は「マルタ、お前は間違っている」とはおっしゃらず、ただ「多くのことに思い悩み、心を乱している」と言われました。イエス様は、マルタが自分の働きを肯定してほしいと願っていたことがわかっておられたのです。
しかしイエス様は、宣教を開始された時、ご自分を誘惑する悪魔に向かって「人はパンだけで生きるのではなく、神様の口から出る一つ一つの言葉で生きる」とおっしゃいました。それはすなわち、心を静め、ご自分の言葉に耳を傾けることの大切さを語っておられたのです。ですから全てを忘れてイエス様のお話に集中するマリアの姿勢は、かけがえのないものなのです。
ただし、イエス様は「パンは必要ない」、つまり「聞くことだけが大切で、他の働きは必要ない」とはおっしゃっていません。確かにみんながみんな聞くだけで行動しなければこの世においては組織は成り立ちません。イエス様の弟子の集団の中には様々な役割があり、一人一人がイエス様のお言葉に背中を押されながら、それそれの賜物に応じてそれぞれの責任を担って行くのです。
ですからイエス様はマルタの奉仕の重要性を認めた上で、まず何を優先させるかを改めて教えられたのです。そして他の人のやり方に踏み込む必要はない、とおっしゃったのです。マルタとマリアは性格も違えば奉仕の方法も違うけれど、二人ともきちんと私と繋がっている。イエス様はそう語りかけてくださいました。
私たちは自分がかけがえのない働きをしていることを教会の仲間に、そして牧師に認めてもらいたい、と思うことがあるでしょう。しかし苦労している割に評価が低く、イライラすることもあるかもしれません。
そんな時に、イエス様があなたの名前を呼ばれるのです。心がざわつくとき、「マルタ、マルタ」という呼びかけにご自分の名前を入れてみてください。そしてイエス様のお心を感じていただきたいのです。
教会では礼拝に来ることを「礼拝に預かる」という言い方をします。それは自分の意思でここに来るのではなく、神様に招かれてやってくるのだということを表しており、ここでは心を鎮めて素直に神様の赦しと愛のもてなしを受けなさい、ということでもあります。
礼拝が終わった途端、あなたにはあなたの働きが待っているでしょう。忙しいないなあと思うこともあるに違いありません。それもまた、神様の招きと選び、そして導きなしには成り立たない事なのです。
礼拝において私たちはまずマリアのように集中し、神様の言葉を聞き、心に響かせてまいりましょう。そしてその上でマルタのように奉仕に心を向けましょう。ただし、繰り返しになりますが、どんな時も自分の奉仕とその忙しさに心を乱されず、落ち着いて、まず神様の御言葉を聞き、神様のもてなしを受けていることに気づいて参りましょう。
あなたの名前を呼んでくださるイエス様の言葉を心に響かせ、一人一人に与えられた生きる言葉として大切にしてまいりましょう。
8月の土曜学校で作る予定のクラフト見本です ただコロナの感染が急拡大しており 実施できるかどうか、まだわかりません 子どもたちが教会で楽しい時間を過ごせるよう どうぞお祈りください |
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