2022年7月4日月曜日

渦中のクリスチャン(日曜日のお話の要約)

聖霊降臨後第4主日礼拝(緑)(2022年7月3日)
ガリラヤの信徒への手紙6章7-16節 ルカ福音書10章16-20節

 本日読みました福音書にはイエス様が宣教に派遣された弟子72人が「喜んで帰ってきた」ことが記されています。イエス様の弟子たちは、初めのうち、自分たちだけで宣教に出かけることを躊躇していました。イエス様の教えの素晴らしさは知っているけれど、帝国ローマが支配しているこの世の中で、神の国や、愛の教えを伝える力が自分にあるだろうかと、不安で仕方がなかったはずです。


 確かに弟子達が遣わされた先々は、心穏やかな優しい人ばかりが待ち受けていたわけではなかったでしょう。荒くれ者で、容赦のなく暴力を振るうような人もいたでしょうし、イエス様の教えをきれいごとと決めつけて、弟子たちを馬鹿にしたり罵倒したりする人もいたでしょう。

 しかし彼らが伝える平和のメッセージを待っている人もいました。イエス様はそれを見越して「あなた方は小羊のようではあるが、神の使者なのだから堂々としていなさい。ただ、自分自身に力はないことを肝に銘じ、もし受け入れられないなら、すぐにその場から去りなさい」と教えられました。


 イエス様は神様の無限大の力を弟子たちに伝えるため、あえて弟子達に、人としては無力であることを徹底して自覚させたのです。そしておのれの無力さと引き換えに、神の限りない力強さを体験してほしい。イエス様はそう願われて、弟子の教育方針となさったのです。


 弟子達は行く先々で「神の国の平和はここにある」と伝え、人々と関わりを持ちました。結果として彼らは成功し、喜び勇んで戻ってきたのです。弟子たちの「主よ、お名前を使うと悪霊さえも私たちに屈服します」という言葉には、ちょっとはしゃいでいる雰囲気もあります。イエス様の弟子達は「お名前を使うと即座にすごいことにが起きた」と大喜びをしているのです。


 イエス様は別名「インマヌエル」と呼ばれ、この名前には「主が共におられる」という重要な意味をがあります。弟子達は追い込まれた状況の中で、目には見えないけれど、ここにはイエス様がおられる「イエス様はインマヌエルだ、主が共におられるのだ」と信じました。だからイエス様がいつもなさっている奇跡は、ここでも必ずしてくださると信じて、そのお名前を口にしたのです。


 恐怖のどん底に陥った時、悪霊に心を乱された時、イエス様の名前を思い出し、その名前の意味を堅く信じて心に刻み、主は私と共にいてくださるのだ、と強い決意を持って悪霊に対峙したのです。すると悪霊は屈服し、主の平和がそこにやってきたのです。弟子たちの成長はイエス様の目にも頼もしく映ったことでしょう。

 ところが、イエス様は弟子たちに「よくやった」とか「お疲れさん」とはおっしゃいませんでした。「悪霊があなたがたに服従するからといって、喜んではならない。」と言われたのです。「イエス様の名前によって、悪霊に勝利することはできるが、喜んでばかりいてはいけない」「あなたの喜びに水を差すように、心が落ち込むような出来事は必ず起こるのだから」と言われたのです。


 弟子たちは心のどこかで自分には悪霊を屈服させる実力があると勘違いし始めていたのかもしれません。ですからイエス様は、悪霊はイエス様に屈服したのだということを忘れないように、と念を押されたのです。


 イエス様を信じる人々が信仰を貫いて試練に耐えて成功し、満足や喜びを得たとき、サタンはほんの少しの気持ちの隙を狙って、神様からその人を引き離そうとします。イエス様はそれをご存知だったからこそ、心を緩めてはならない、とおっしゃるのです。

 例えば奉仕がうまくいって喜んでいる人の心に向かって「あなたのような優秀な人間が教会でもっと重く用いられないのは教会が間違っている」と唆すことがあります。その逆に「お前なんか本当は全然大したことない人間で、調子に乗ってあれこれやっているようだが、お前一人くらい教会に行かなくても本当はどうってことないんだ」と落ち込むような囁きを吹き込んでくることもあります。


 そういった囁きは、肉親や友人を利用してクリスチャンの心を傷つけます。サタンの企みはあまりにも巧みで、よほど気をつけて平常心を保っていなければ、まんまと罠に引っかかってしまい、教会組織や教会の仲間、牧師に対して不平不満がふくらんでいきます。その結果、その人の信仰はどんどん弱まっていくのです。


 しかしイエス様は、「あなたがたの名前が天に記されていることを喜びなさい」と力強く宣言されます。それは、ひとたびイエス様を信じたものは天に名前が書き記され、永遠に神の民に加えられ続ける、という意味です。永遠に神のものとされている私たちは、自分の思いが乱れ、クリスチャンらしくない思いで苦しんだとしても、神様の方が私たちを受け入れ、永遠に手放さない、という喜びなのです。


 さて、この時からしばらくして、イエス様は不当な逮捕と裁判を経て十字架にかかり命を落とされます。一旦は剣を握った一番弟子のペトロもサタンに弱いところを突かれておじけ付き、弟子のほとんどは逃げ去りました。イエス様とその弟子集団は完全に敗北したかのようでした。


 しかし、イエス様は三日目に甦り、さらに50日たって聖霊降臨の出来事が起こり、弟子達は神様の真理を見つけるのです。自分たちのなすべき使命は武器を持って戦うことではなく、私たち一人一人が神様によって与えられた命で生かされていることを、信仰と喜びと感謝をもって証していくことなのです。サタンの誘惑に打ち勝つ方法とは、「私の名前は天に記されている、だから主は共にいてくださる」それを決して忘れないこと、ただそれだけなのです。





7月2日は土曜学校の日でした
予約を取らず「誰が来てもいいよ」という
本来の教会学校スタイルに戻しました
クラフトは毎回なかなか人気があるので
今回は多めに20人分を準備
…ところが、礼拝の開始時間になると
そこには21人のおともだちが!


クラフトだけに来るのではなく、きちんと礼拝から参加して
賛美、お祈り、暗誦聖句、献金
聖書のお話もしっかり聞いてくれます
(さすがキリスト教幼稚園出身!)

こんないい子達に
「誰か一人は材料が足りなくて工作できません」なんて
とても言えません!(^^;)


結局、貧乏くじを引いてしまった一番小さなおともだちには
しばらく待っていてもらい
大慌てで牧師館から材料をかき集めて来て
瓶のサイズは違いましたがなんとか完成しました


モデルは工作名人のNさん
ジャムの瓶の中にお魚シールや水草などなど詰めて
糊と精製水で水溶液を作り
中身がふわふわ動く小さな水族館を作りました



Mちゃんの瓶は小さくて
他のおともだちと一人だけ違ったけれど
ちゃんと完成しました!


Mちゃん、みんなと同じようにさせてあげられなくて
本当にごめんなさい!
これに懲りずにまた来てね

次回は8月6日
夏休み中で、習い事の日程とかぶる子が多いようなので
ここまで大人数にはならないでしょうが
油断はできません
祈りつつ頑張って準備を進めます

ここからは作業中のスナップです

丸いふわふわを おたまで2すくい
(おともだちは「ぷよぷよボール」と呼んでいました)

人数が多いので、今回は
先生が水溶液を作りました
みんな興味津々


ここに水溶液を入れるよ

小さな桶の上で蓋を閉めます
ジャバっと溢れるからです!
ここでは牧師先生がみんなをお手伝いして
水が漏れないようにしっかり蓋を閉めました


まんぞく〜です!


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