2021年5月18日火曜日

キリストの守り(日曜日のお話の要約)

 復活節第7主日礼拝(2021年5月16日)
ヨハネの手紙Ⅰ 5章9-13節 ヨハネによる福音書17章12-19節


 キリスト教の本質はただイエス様を信じることです。しかし教養のある人々が多くなった現在では、シンプルな教えでは真実味がないかも、と思ってしまいズバッと真理を語れません。そこで様々なプログラムを作って人を教会に呼び込むことを試みます。ストレートに福音を語ることよりも、教会に親しみを持ってもらうことを第一とした行事を考え、実行することにしたのです。

 キリスト者達は熱心に奉仕しますから、教会主催の音楽会やバザーなどは人気が出て人は集まるようになりますが、キリスト教そのものに興味を持ってくださる方は依然として少なく、礼拝につながってさらに洗礼に至る方達はもっと少ない、というのが現状です。

 こんなことが何度も繰り返されるうち、クリスチャン達は諦めをにじませながら、この教会が先々続くかどうかは神様にお任せ、という思いを持って日々過ごしています。そんな今、私たちはもう一度、一人一人がどれほどイエス様に愛されている存在であるか自覚し、信仰の火を心の中に燃え立たせる必要があるでしょう。


 さて、ヨハネ福音書の「最後の晩餐」の場面はかなり長いものです。13章で弟子達の足を洗うところから始まり、15章、16章は弟子達への最後の説教です。

 続いてイエス様は17章では父なる神に祈りを捧げます。祈りの言葉の中心には神様が弟子達をご自分に与えてくださったことへの感謝があります。神様がこの世から弟子となる人々を選びとられ、イエス様に委ねてくださったことを、イエス様は心から喜んでおられるのです。この祈りの後ゲツセマネに赴かれたイエス様は18章で逮捕されるのです。


 本日読みました17章6節に印象的な御言葉があります。イエス様は「彼らは御言葉を守りました」とおっしゃるのです。弟子たちがとても優秀であるかのような印象を受けますが、この時弟子達はイエス様の予告した復活をまるで信じられないでいます。ヨハネ以外の弟子達は十字架にかかるイエス様を見捨てて逃げ去ってしまうのです。

 イエス様はそのことをあらかじめ全てご存知の上で、神様のみ前で弟子達を愛されるのです。祈りの言葉は神様に向けられていますが、その内容は「あなた達と会えて本当に良かった。嬉しい」と言っておられるのです。迫ってくる十字架の死を前にそう言われるのです。


 イエス様は人々の病を癒し、悪霊を追い出し、社会からのけ者にされている者たちに手を差し伸べ、共に生きるように関りをもたれました。それは、神様のみこころだから、ということがたった一つの理由でした。何一つご自分に見返りを求めようとはされなかったのです。


 人はアダムとエバの昔から、自分の思い通りに生きようとして神様の言葉を否定し、不幸を呼び込んでしまうことを繰り返してきました。一度神様を否定してしまえば、頼るものは自分しかありません。しかしどん底を味わって自分自身に絶望してしまうなら、生き続けることさえ困難になってしまいます。そんな人間を神様は見捨てることができません。ご自分のお心を伝えるためにイエス様を地上にお遣わしになりました。イエス様は人々に神様が見守っておられることを伝え、信じるものに新しい命を与えるという働きを担って地上を歩まれたのです。


 神様はイエス様が働きを終えて天に帰られた後、その働きを引き継ぐもの達として前もって弟子達を選び、イエス様にその教育を委ねられたのです。

 これから先、弟子達は神様のみ旨を実行し、神様を否定する人々と向き合っていかなくてはなりません。弟子達はまじめさや勇気を持ち合わせていましたが、臆病者だったり短気だったり、数々の欠点を持っていました。イエス様は丸ごとそれを受け入れ、ひたすら愛し、導かれたのです。

 15節でイエス様は父なる神にこのように祈っておられます。「わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、悪い者から守ってくださることです。」この祈りの言葉は、主に祈りにもありますように、「我らをこころみにあわせず、悪より救い出したまえ」と同じであると言えるでしょう。

 

 私たちがここで心に刻むのは、イエス様が「あなた達と会えて本当に良かった。嬉しい」と言って神様に感謝の祈りを捧げ、守りを求められたのは、最初の弟子たちだけではない、ということです。イエス様を信じ、ここに集っている私たちすべては弟子であり、受け入れられ、祈られる存在なのです。

 私たちはすでに神によって救われています。そして守られ続けることを神ご自身がイエス様ご自身がその命と引き換えに約束してくださったのです。この約束は永遠に変わることがありません。


 信仰の道は、楽な道ではありません。キリストが歩まれたように、苦難の道かも知れません。否定され、嘲られることもあるでしょう。けれども、どんな道を歩もうとも、神様とイエス様が交わした「守ってくださる」その約束は、決して破られることはなく、私たちが怯えや苦難を覚える時でも、この約束は守られると信じて歩んで参りましょう。



少しずつ手を入れている隣の空き地

そのままにしているとあっという間に雑草で覆われてしまうので

気に入った野草だけを残し

そこそこ放置しても育ってくれそうな

植物を植えています

2年前にいただいたワイルドストロベリーが

今年はかなり広がって

実をつけています

味見をしてみるともともと持っていた品種より

甘さは劣りますが

可愛らしいので良しとしましょう


マーガレットのような花を咲かせる

フランス菊も今が盛りです




教会のFさんにいただいた
ワイルドストロベリー
可愛らしい実をつけています

牧師館の物干し台から見下ろすと
こんな感じです
白い花がフランス菊です
地下茎の断片やこぼれ種であっという間に広がり
雑草化するので、除去している地域もあるようです


切り花として礼拝堂に飾ることもできるので
重宝しているのですが
飯田でも栽培が禁止される日が来るかもしれません

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