マタイによる福音書第17章1節-9節、2017年2月26日(変容主日礼拝―白―)、出エジプト記第34章29節-35節、ペトロの手紙二第1章16節-19節、讃美唱2/2(詩編第2編7節-12節)
「この人にのみ聞き従いなさい」(マタイによる福音書第17章1節~9節)
私どもは、このところ顕現節の歩みの中にあって、主イエスの山上の説教から聞いてきましたが、今日はその顕現節の最終の主の日でもありますが、変容主日という特別の祝日であります。
これは、昔から特別の日として祝われ、特に東方教会では8つの祝日の一つとしてまで大切にされてきた、聖書の個所でもあります。今朝は、マタイによる福音書の主の変貌の記事から、ご一緒に学びたいと思います。
最初に、マタイは、6日の後にという受難の記事前には稀にしか出てこない数字を挙げています。これについては、はっきりしたことは分かりません。しかし、ペトロのフィリポ・カイザリアでの信仰告白やそれに続く主の受難予告のあとの6日後というふうに考えることができます。
私どもも、毎週の礼拝に、6日間の週日の歩みの後に、主の日の礼拝へと集められて来ます。1週間の間にもたびたびもうだめかと思うような試練に会うこともあります。しかし、その中で、信仰の仲間からの思わぬ便りや電話、メール等によって励まされたり、同じ信仰の兄弟姉妹に支えられて、ようやく再び主の日に招かれ、そこで、主のみ言葉によって、また大きく力づけられて、新しい1週間へと、主の日によって、新しい旅路へと移されていくものであります。
それと同じように、主は、1週間の間を、シモン・ペトロがあなたこそは、生ける神の子キリストですと、聖霊によって答えた日から置かれたのだと考えてもいいのではないでしょうか。
そして、彼らは、4人だけで、高い山へと、主によって導かれ、登って行ったのであります。そして、そこで、何と主の顔は太陽のように輝き、その衣服は真っ白に輝いたのであります。それは、復活の後に、正しい人はその顔が太陽のように輝くだろうと、主イエスによって言われているように、復活の主イエスを垣間見させられた出来事であります。
そして、さらに、そこにモーセとエリヤが現れて、主イエスと親しく何か話しを取り交わすという情景が、弟子たちに見られたのであります。
ペトロはそれに感動して、言います。私たちがここにいるのは何と素晴らしいことでしょう。ひとつ、ここに小屋を三つ建てましょう、一つはあなたのために、一つはモーセのために、もう一つはエリヤのためにと。
この素晴らしいというのは、美しい、見事であるという意味の言葉です。この天国のようなお姿を見れるのは、何と慰めに満ちたことでしょうとペトロはその嬉しさ、喜びを言い表したのです。
モーセもエリヤも、終末のときに、再び現れるであろうと考えられた天的な人物であります。このまま、少しでも長く3人に居場所を用意したいとペトロは、思った。マタイに出て来る弟子たちは、物分りの悪い、むやみに恐れる弟子たちではなく、物事をおおよそは正しく理解する弟子たちであります。ペトロも、事の次第をおおよそのことはつかめているのであります。
しかし、その時、輝く雲が現れ、3人を覆ってしまいます。そして、その中から、神の声がするのであります。
「これは、わたしの愛する子、私の心にかなう者、これに聞け。」主イエスが神の子であることがしめされるのであります。また、それは、唯一無比の子であり、選ばれた者であることが示されています。
また、私の心に適う者というのは、あのクリスマスの夜に歌われた天使の賛美の声、平和が地上で、「ご好意の人間どもに」あるという言葉と同じであります。
「私はあなたのことが気に入った」と言う神からの、主イエスへの意志の表明であります。そして、それは、イザヤ書の苦難の僕に出てくるように、主イエスは、へりくだり、苦しまれてしもべとなられる人の子であることが示されているのであります。それを喜ぶと神はここで宣言しておられるのであります。
そして、彼に聞き従うようにと。この人にのみ聞いていけば間違いはない。神の証言は、この者のみが、モーセもエリヤも、そして全聖書が指し示している、その教えに聞いてゆくべきお方であることを、この時、啓示したのであります。
輝く雲の中からのこの声を聞いて、3人は倒れ伏します。それから、恐れに捕らわれてしまいます。その恐怖に捕らわれた3人に、やがて、もとの薄汚れた衣服と顔の主が、自ら一人近づいて来て、かがみこまれ、彼らの手をとって、起き上がるように、そして、おびえることはないと言われました。
そして、彼らが山を降りてゆく時、主イエスは、あなた方が見たこと、幻が何事なのかを、人の子がよみがえらされるときまで、だれにも言わないようにとお命じになりました。この後、主は十字架への道が待っているからです。
しかし、3人の弟子たちは、この時の出来事を忘れませんでした。そして、この出来事を知らされている今の私どもも、もはや失望することはありません。
1週間の間にも嫌なことや絶望せざるをえないことが、世界内外に激しく起こりますが、今や希望をもって生きていくことができる。天国の白さを垣間見た者として、明けの明星を見た者として心のともし火を掲げながら。アーメン。
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