2017年2月13日月曜日

「キリストに従う生き方」(マタイによる福音書第5章21節~37節)

マタイによる福音書第521-37節、2017212日(日)、顕現節第6主日礼拝、(典礼色―緑―)、申命記第3015-20節、コリントの信徒への手紙一第26-13節、讃美唱119/1(詩編第1191-8節)

「キリストに従う生き方」(マタイによる福音書第521節~37節) 

主イエスは、掟の中からまず、十戒の第5戒である「汝殺すなかれ」を取り上げることから説き始められます。
あなた方は聞いてきた、すなわち、こう昔の人たちに言われてきたのを。「あなたは殺してはならない。殺す者は裁判の責めを負う」と。しかし、主は、それに対して、この私は、あなた方にこう語ると、アンチテーゼを差し出される。自分の兄弟に対して、怒る者は裁判の責めを負い、馬鹿と言う者はサンヘドリン、最高法院あるいは議会の責めを負い、脳なしという者は火のゲーナへと責めを負うと。
私どもの心に湧く怒りから、殺人に至るのであり、心の中からの思いが、兄弟を罵る言葉となって現れるのであります。自分は、人殺しのような罪は犯さないと私どもは思っていて、十戒のその掟は、自分には無縁であると、私どもは、それを他人事と考えています。けれども、主は、私どもが、教会の仲間に対して、赦せないと思っているその怒りや恨みに対して、それは、最後の裁きの席に立つときには、殺人と同じ裁きを受けると警告なさるのです。
そして、祭壇にいけにえを供えようとするときに、あなたの兄弟があなたに対して何か逆らうものを抱いていることを思い当たったなら、供え物はそこにおいて、まずその兄弟のところへ行って、和解してから、ささげなおすようにと言われます。私どもが礼拝に与り、聖餐を受けるときには、兄弟との赦し合いをした上でそうすべきだと言われます。それは、できることなのでしょうか。
主は、自分を訴える相手方と道の途上に共にある間に、その相手と急いで友達となって、その道に共にいる間に赦してもらえるように、仲直りできるようにしなさいと言われ、今はその恵みの時であると言われるのです。
最後の審判になってからでは、自分の負い目をすべて支払うことは、私どもには不可能だからであります。この世の権威は、正当な怒るべき事由を持っているでありましょう。両親が子供たちのために怒るべきときはあるでしょう。この世の秩序に関わる場合には、正当に怒るべきときがあるでしょう。しかし、私どもが特に教会の兄弟、神の民との関係では、怒りは消滅させられなければならないのであります。なぜなら、そこから、相手を認めようとせず、自分の思いで相手をふみにじり、相手の人格を否定し、言葉によってであれ、相手を殺すことと同じ罪を犯しているからであります。
主は、そのような私どもの罪の下にある現実をよくご存知であられ、私どものために十字架の死を遂げてくださるのであります。そして、自分を訴える人とその訴訟に向かいつつある今、この間に、自分の怒りを解き、また、相手の怒りや恨みをもなくさせ、和解に至るようにと願っておられるのであります。
次に主は、「姦淫するなかれ」とあなた方は言われるのを聞いてきたが、私は、だれでも、他人の妻を心の中で欲望に向かって見る者は既に姦淫したのであると語るとまで言われます。
この主のみ言葉に堪え得る男性がいるでしょうか。心の中で欲望を抱いて他人の妻を見るだけで姦淫と同じだと言われます。肉欲はそれ自体が悪いことでしょうか。原文では、「他人の妻」というのは、ただ女の人とも訳せる言葉であります。他の夫の妻をほしがる思いで見ることから姦淫が始まる。そうであれば、あなたの右の目、右の手が、あなたを誘惑するのなら、それを抉り取り、切捨てる方が、全身がゲーナへと投げ込まれるよりもあなたに益であると主は言われます。
主イエスは、私どもがどれほど肉欲との相克に苦しんでいるかをよくご存知の上で、私どもが、男も女も、すこやかな結婚生活が、あるいは男女関係が営めるように、このみ言葉をくださっているのであります。
そして、続けて、あなた方は、離縁する場合には離縁状を渡せと言われている。しかし、私は語る、純潔でないことという理由以外で離縁することは、その妻に対して姦淫を犯すことであり、その妻をめとる者も姦淫を犯すのであると言われて、例外的に姦淫を犯したような場合をのぞいて、離婚を認められないのであります。男が自分の妻に飽きて、別の女にたやすく鞍替えすることは、男の身勝手さであり、神が人を男と女とに造られ、夫婦として合わせられた者を人は離してはならないと言われるのであります。
夫婦の忍耐強い助け合いによって、神は結婚を祝福されたものとなさるのであります。
そして、今日の最後は、人は、神を指して、天、地、エルサレム、あるいは神に造られた自分自身を指しても、むやみに誓ってはならないと、主はお命じになられます。この世の職務から、宣誓をしたり、誓うことが求められることはしばしばあるでありましょう。
しかし、私どもの言葉、一つ一つが、神の前に誠実な、偽らざる真実の言葉となるならば、神の名にかけて誓う必要ななくなります。一つ一つ発する言葉を誠実なものとしていくことが、神の最後の審判に臨む私どもには問われてくるのであります。そして、神が完全であるように、私どももそのとき完全な者となるのであります。アーメン。

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                               

0 件のコメント:

コメントを投稿