―最近読んだ本からー
「教会を通り過ぎていく人への福音」
―今日の教会と説教をめぐる対話―
W・H・ウィリモン、S・ハワーワス(東方敬信・平野克己訳)
日本キリスト教団出版局(2016年8月25日初版発行2200円+税)
この本は、アメリカで現代において最も著名な説教者といわれるウィリモンの10編の説教と、それに対する同じデューク大学の神学者、ハワーワスの短い説教批評を載せたものである。1980年代頃の説教についてとのことだが、恐らく、今のアメリカの説教の一端を、この書から窺うことができるのではないか。
翻訳が、東方敬信氏と平野克己氏という第一線で活躍している神学者、牧師によって、名訳なので一気に読むことができる。
従来の私などの説教では、与えられたテキストを、まず読み、私訳し、それから、そのテキストの著名な、特に英文注解書などを熟読しつつ、黙想を深め、黙想文やそのテキストについてなされた説教などを読んで、自分の説教を造っていくのであるが、どうも、ウィリモンやハワーワスの説教論は、このようなやり方から生まれるものではなさそうである。
それは、アメリカの複雑な社会、あるいはキリスト教の位置づけが異なっていることにも影響されているように思われる。
ここに載せられているウィリモンの説教は、いずれも、デューク大学のチャペルという独特な場所でなされたものである。
そして、ウィリモンは、自分の説教を聴く多様な人々を、ストレンジャー、教会を通り過ぎていく人たちと呼ぶ。日本の教会とは、かなり、脈絡が異なるともいえようか。
しかし、考えてみると、今の日本の教会も、程度の差こそあれ、ストレンジャー、知らぬ者同士の会衆に向かって、説教は語られているとも言えるのではないか。
神の言葉、福音は、この世の物語とは異質なものである。しかし、それは、聞く会衆に分かるように説かなければならない。しかし、その時、福音の本質を見失ってしまう危険が、一方では絶えず存在する。ウィリモンの説教とそれに対する優れた、洞察力のある神学者ハワーワスの分析は、その辺の戦いであると思う。日本での私どもの説教も、アメリカでのそのような戦いの、広い意味では同じ線上にあるといえるのではないか。今まで、私が試みてきた説教作りとは違った、大きな鳥瞰図を、この書は教えてくれる。
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