2016年10月12日水曜日

「あなたも主イエスに応答する人生を」(ルカ17:11~19)  

ルカによる福音書第1711-19節、2016109日(日)、聖霊降臨後第21主日(典礼色―緑―)、列王記下第51-14節、テモテへの手紙二第28-13節、讃美唱111(詩編第1111-10節)

 ルカによる福音書第1711節~19
 
 イエスはエルサレムへ上る途中、サマリアとガリラヤの間を通られた。ある村に入ると、重い皮膚病を患っている十人の人が出迎え、遠くの方に立ち止まったまま、声を張り上げて、「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と言った。イエスは重い皮膚病を患っている人たちを見て、「祭司たちのところへ行って、体を見せなさい」と言われた。彼らは、そこへ行く途中で清くされた。その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。この人はサマリア人だった。そこで、イエスは言われた。「清くされたのは住人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。この外国人のほかに、神を賛美するために戻ってきた者はいないのか。」それから、イエスはその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」


説教「あなたも主イエスに応答する人生を」(ルカ171119
 
 今日の福音は、改めて、主イエスがエルサレムでの十字架の死を目指してのたびの途上にあることを記しています。第1朗読で読まれた列王記下第5章に、やはり異邦人であったアラムの将軍ナアマンが、同じようにして、神の人エリシャによって癒される出来事が記されています。
 また、ルカの福音書の第5章にも、癒された重い皮膚病の人の記事が出てきます。ですから、ある人々は、今日の福音の記事は、ルカが創作したに過ぎないものではないかとさえ、疑ったのであります。
 しかし、これが、歴史上の事実に反するものであるという立証もできないのでありまして、私どもはこれを、この通りに信じてよいのであります。
 主イエスの一行は、エルサレムを目指し、サマリアとガリラヤの真ん中を、あるいは間を通過しつつあったとあります。あいまいな表現であり、なぜ、サマリアが先に書かれているのか、よく分かりません。厳密に言えば、サマリアとガリラヤの間の領域というものはないのであります。
 けれども、その国境のへりの辺りを、主イエスは進んでおられ、とある村に入ろうとなさったときに、10人の重い皮膚病の者たちが、遠くから大声で「先生、イエス様、私どもを憐れんでください」と呼ばわるのであります。
 主イエスは、これを見て、「あなた方は、祭司たちのところへ行って、自分の体を見せなさい」と指示を出すのであります。これを「見て」というのは、事の真相を洞察なさったという深い意味で用いられています。そして、この後の、自分の体が治癒されたのを「見た」一人の者も、同じ字が使われていまして、主イエスによってなされたことの真意を悟ったという意味で用いられています。
 旧約聖書の規定どおりに、主イエスは、治ったことを、祭司たちに証明してもらいに行きなさいとの命令に、10名はいずれも聴き従い、出て行くのであります。そして、出て行くことにおいて、進んでいる最中に、皆、癒されるのであります。
 そして、その一人は、よりによってサマリア人でありましたが、主イエスが自分を癒し、主イエスこそ、神の恵みの通路である、罪の赦し手であることを悟ったのであります。それで、彼は、祭司たちのところに行くこともしないで、大声で神に栄光を帰しつつ、引き返すのであります。神に栄光を帰する、神を賛美することが、自分が癒されたことを表明する、ルカの表現する仕方であります。私たちの人生も、この人のように神に栄光を帰するものでありたいと願います。
 そして、彼は主イエスの足もとにひれ伏して、感謝を表すのであります。神が遣わされた独り子イエスに、礼拝をするのであります。私どもの毎週の礼拝も、そのようにありたいものであります。聖餐式も、まさにそのような感謝であります。
 主イエスは、言われます。癒されたのは、10人ではなかったのか、他の9人はどこに。神に栄光を与えるために、戻って来た者は、この外国人意外には見出されなかたったのかと。
 そして、最後に、あなたの信仰があなたを救ったのだ。起き上がって進んで行きなさいと。
 信仰には、それにふさわしい応答、ふるまいが伴っています。主イエスは、罪深い女の人が、嘆きと絶望の思いで、主イエスの足に香油を塗った時、また、長年の長血で苦しんでいた女の人が、主イエスの服に触れようと近寄った時に、また、百人隊長がそのしもべのために使いを送って癒してくださるように懇願した時に、さらには、エマオ近くで盲人が、自分の目を見えるようにしてくださいと大声をあげて近づいてきたときに、その信仰をほめておられます。
 主イエスが癒されたのに、自分があなたを救ったとは言わないで、あなたの信仰があなたを救ったと宣言なさるのです。
 そして、このサマリア人は、喜びながら、新しい人生へと送り出されていったのであります。私どもも願わくば、そのように新しい人生を与えられ、神と人とに仕えていく人生を歩みたい者であります。アーメン。


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