2023年11月11日土曜日

「待ちに待つ」(日曜日のお話の要約)

聖霊降臨後第24主日礼拝(2023年11月12日)

アモス書 5章18-24節(1435) 

Ⅰテサロニケの信徒への手紙 4章13-18節(377)

マタイによる福音書 25章1-13節(49)


 本日の福音書ではイエス様が10人の乙女たとえ話をされ、5人は賢く5人は愚かだったと言われました。ひょっとすると賢く立ち回った5人は要領が良いけれど意地が悪いとか、愚かな5人が可哀そうだと思う方もいるでしょう。


 けれども、このたとえ話のテーマは実は「助け合い」でもなければ「隣人愛」でもありません。そこのところをきちんと押さえて聞く必要があります。でなければ、私たちはこのお話を簡単に捉え間違えてしまうのです。


 ところで、このお話を理解するためには、少し難しいですが「再臨」について知っておく必要があります。使徒言行録の初めに、イエス様が復活された後、天に帰って行かれる記録があります。それを見守る弟子たちの前に天使が現れ「イエス様は再びこの地上に戻ってくる」と予告しました。これを「再臨」と呼びます。


 2000年前、イエス様が天に帰っていかれた目撃承認となった弟子達は覚悟を決め、これから先何がイエス様の教えを守り大切にして、まだイエス様を知らない人々に十字架の出来事と救いを伝えよう、と決意します。そして自分の人生の終わりが来たら天国へと導かれるのを楽しみに待とう、と心に決めたのです。


 それがよくわかるのが、使徒言行録6章と7章の「ステファノの殉教」です。イエス様が天に帰られて間もない頃、教会で優れた働きをしていたステファノという弟子が、イエス様の教えを否定するユダヤの人々の怒りを買って石打の刑になるのです。


 死の直前、ステファノは「天が開いて、イエス様が神様と共におられるのが見える」と口にします。そして最期の瞬間には「主イエスよ、私の霊をお受けください」と言い、また「この罪を彼らに負わさないでください」と叫びます。自分に石を投げつける人々が赦されるよう神様に祈り、死んでいくのです。当時のクリスチャンたちがどれほど熱烈な思いで天国を信じていたか、よくわかる記述だと言えるでしょう


 ところが、ステファノが殉教した後、何年たってもイエス様は天国から帰って来られません。弟子達は、ユダヤ社会から迫害を受け、ローマ帝国から睨まれます。イエス様に誠実に生きようとすればするだけ辛い目に合ったのです。こうなりますと、イエス様の再臨を待ちきれず、と嘆き悲しみ、ついには絶望して教会から離れる者も出てきたのです。


 この福音書を書いたマタイは、教会の指導者の一人でしたから、心が挫けて信仰を失いそうになる人々に読んでもらおうと「10人の乙女のたとえ話」を記します。イエス様を信じて待ち続けることの大切さを仲間達にもう一度示そうとしたのです。


 ですからしつこいようですが、イエス様の10人の乙女の例え話は、「優しさ」や「思いやり」ではなく、いつ戻ってくるかわからないイエス様を待つとき、キリスト者には困難があること、それに備えておくことを教えているのです。


 イスラエルの結婚式は、まず花婿が花嫁の家に迎えに行き、花嫁と一緒に行列となって花婿の家に戻ります。それを乙女達がともし火を持って迎え、そ結婚式が始まるのです。乙女達の役割は重要で、ともし火が消えないように万全の準備をして花婿の帰りを待つ必要がありました。


 しかし、結婚式の直前、花嫁の家族と花婿が遺産金について最終交渉をすることもあって、花婿の帰りが遅くなることもしばしばでした。この日もかなり遅れたため、結婚式の行列が戻ってきた時には、乙女達はすっかり眠り込んでおり、「迎えに出なさい」という叫び声を聞いて、慌てて支度を整え、灯火を灯そうとしました。


 ところが、10人のうち5人は油の予備がありませんでした。彼女たちは予備を持っている5人に「分けてください」と頼みますが、きっぱり断られてしまいます。「多分、おすそ分けできるほどの十分な油の量はないと思います。店に行って自分たちの分を買っておいでなさい、その方が確実です。」そんなやりとりをしている間に花嫁行列が到着します。


 予備の油を持っていた乙女達ちは、かろうじて役目を全うすることができましたが、油を持たず、役目を果たすことのできなかった乙女達は門を閉められ、結婚式に参加することは許されませんでした。しかも「はっきり言っておく、わたしはお前たちを知らない」とまで言われたのです。


 一説によると乙女達の待ち時間は、3日から1週間ぐらいは当たり前だったと言うのです。だからこそ予備の油を持っていた乙女たちは賢いと言われたのです。彼女たちは自分の役割をちゃんと理解して、結婚式を台無しにしないために、しっかり油をキープしておいたのです。


 しかし愚かと呼ばれた5人は、自分に与えられている役割を十分には理解せず、いざとなったら誰かがなんとかしてくれるだろうと準備を怠り、土壇場になって他人の油をねだります。仮に10人全員の油が足りなくなってしまえば、せっかくの結婚式は台無しになってしまうでしょう。乙女達が最優先するのは結婚式の成功です。5人の乙女はそれを危うくしました。彼女たちの失敗はそれほど大きなものだったのです。


 さて、イエス様がこのお話を通して教えられたことを、もう一度確認しておきましょう。イエス様はご自分がいつこの世に戻って来ても良いように、一人一人のキリスト者に、しっかりと自覚を持って待ち続けて欲しいとお望みになります。ただし、「決して居眠りをしてはいけない」とはおっしゃいません。人間は弱いものであることをご存知だからです。


 その代わり「あなたは私に必要とされているのだから、私を待つためにそこに居続けてほしい」と願われ、「役割が果たせるようにように私の愛の油をあなたに注ぎ続けよう」と語りかけてくださったのです。一人一人が燈を灯し続けられるよう、イエス様ご自身が信仰という油をそそいでくださるのです。


 新約聖書のテモテへの手紙第一4章14節には「あなたの内にある恵みの賜物を軽んじてはなりません」というみ言葉が出て参ります。恵みはイエス様がイエス様を信じる者に直接与えられるのです。誰かが「私もイエス様の恵みが欲しいなあ」とぼやいても、他の人から分けてもらうことはできません。欲しいなら、直接イエス様に祈り求め、与えていただくしかないのです。


 闇が深ければ深いほど、灯火は明々と輝きます。イエス様の愛に導かれながら、夜が明けるなるまで輝かせ続け、一人一人が神様から求められている役割を見出しながら、イエス様を信じる仲間と共に祈り、寄り添い、目指すべき方向に進んでまいりましょう。



一週間遅れになりましたが、先週の土曜学校の記念写真を掲載しておきます

一人一人の満足げな顔をご覧ください(^▽^)


ちょっとお姉さんの参加者さん
どんどん作業が進むので
小さい子たちに「次はこんなふうにやるんだよ」と
教えるお役目を負ってもらいました

昨年卒園した1年生グループ

現役幼稚園児。工作大好き仲良し二人組です

こちらも現役幼稚園児!
土曜学校に来てくれるお友達はみんな器用です


 

0 件のコメント:

コメントを投稿