四旬節第3主日礼拝(紫)(2022年3月20日)
イザヤ書55章6-9節(1152) ルカによる福音書13章1-9節(134)
イザヤ書55章6-9節(1152) ルカによる福音書13章1-9節(134)
本日登場するピラトはイエス様を十字架に掛けるよう最終的に決定した人物ポンテオ・ピラトとして使徒信条に名前を刻まれている人物です。
ピラトの逸話は多数あります。初めてエルサレムへ入った時、ローマの兵隊は皇帝の肖像をつけた旗を掲げて行進し、街の広場などに肖像を掲げ、その前を通るものは旗に描かれたローマ皇帝の肖像を拝むよう命令しました。これはローマが支配する国では当たり前のことでしたが、ユダヤの民衆は十戒に記された「神様以外は拝まない」と言う信仰が身についており、皇帝を拝むよう強制されたことに強い反発を覚え、従おうとはしませんでした。
そこでピラトはエルサレム神殿を地理的に見下ろす壁に皇帝の肖像を描いた旗を取り付けます。もしユダヤ人たちがこの旗を降ろそうと攻撃すれば、反乱罪で罰することができると考えたのです。
この時の大祭司カイアファは、一計を案じます。7000人以上のユダヤの民がピラトのいる官邸に趣き、ピラトの魂が救われるよう祈ったのです。1週間これを続けられてすっかり参ったピラトは話し合いに応じると偽って民衆を兵で囲み、虐殺しようと計画します。ところがユダヤの民は、神様を侮辱するような総督に従うなら死んだほうがましと、全員が祈りを始めたそうです。
ピラトの兵は祈る姿には手出しをすることができませんでした。ピラトは結局総督として面目をつぶされ、一時は総督の地位も怪しくなったようです。
こうしてピラトは祈る民、聖書の民を治める難しさを嫌というほど思い知ったはずでした。ところが福音書には、ガリラヤからエルサレムに巡礼に来た人々が神殿内でピラトの兵隊たちに殺され、巡礼者たちが捧げようとしていた動物の血に彼らの血が混ぜられた、と書かれています。ピラトは全く懲りていなかったのです。
そもそもイスラエル人々がピラトと対立したのは、先祖からの習慣の通り神殿に巡礼したり捧げ物をしたり、今まで通り律法に沿った行動をしたことが原因でした。それらの行為がローマ皇帝に対する叛逆だと言われ、弾圧され、命を奪われるのです。彼らにとって全く不条理なことでした。
ただ、ユダヤ人にとって、同じようなことをしても、禍いを免れる人と免れない人がいるのが不思議でした。信仰が足りなかった人は神様の罰として殺されたのだろうか。いくら考えても正しい答えが出るはずはありません。この日、イエス様にピラトのことを報告した人々は、まさにそのような堂々巡りに陥っていたのです。
イエス様は彼らの疑問を敏感に感じ取りつつも、その疑問には直接お答えにならず、「あなた方も悔い改めなければ同じように滅びる」とおっしゃいました。それを聞いた人々は、非常に驚きます。悔い改めるのはピラトであって、なぜ被害者の自分達が悔い改めなければならないのか、と思ったのです。
そこでイエス様は「実のならないいちじくの木」の例えをお話になりました。イスラエルでは、ぶどう園にいちじくの木を植えるのは普通のことした。しかし植え付けて3年もたてば実るはずのいちじくが全く実らないのです。そこで土地の主は、このいちじくに見切りをつけ、すぐにでも切り倒そうと考えました。
その時、管理を任されていた園丁は、このいちじくの世話をもう一年させて欲しいと申し出るのです。園丁は3年間、いちじくを慈しみ、世話をしてきたました。もう一年延長したところで結果は変わらないかもしれないけれど、待って欲しいと願うのです。
ここに記されているのは、不信仰な者への父なる神様の厳しい裁きと、そこから人間を庇おうとするイエス様のお姿です。
ユダヤの人々は確かにローマに虐げられて不幸でしたが、そもそもこうなった原因について正しく悔い改めようとはしていませんでした。洗礼者ヨハネがヨルダン川で叫び声を上げ、神様の裁きの日までに心を整えよ悔い改めよと教えた時、心を震わせて信仰を取り戻した人々も確かにいました。しかし多くの人々は結局は自分を被害者だと思い込み、儀式や律法を守ることが信仰生活だと思い込み、本質的な神様への信頼や愛を失っていることに気づかなかったのです。表面的な信仰、すっかり弱りきって、何者も生み出さない信仰、この信仰の有様をイエス様は「実らないいちじく」とおっしゃったのです。
しかしイエス様はよき園丁でした。3年かけても実らない時には、ご自分の命をいちじくに与える決心をしておられたのです。イエス様は3年半をかけて人々に神様の愛を説き、信仰を取り戻すように導かれました。しかしイエス様の一番そばにいた弟子たちでさえ、イエス様の言われる神様の愛と永遠の命について理解することはできませんでした。いちじくが実らないまま3年が過ぎた時、いちじくの代わりにご自分が切り倒されることを選ばれ、その命を持って最高の信仰と最高の愛を示してくださったのです。
ピラトはユダヤ総督を10年務めた後失脚し、イタリアから追放されます。そして今のフランスにあたるガリア地方で自殺した、と言われています。しかし興味深いことに、同じキリスト教でも、エジプトのコプト教会やエチオピアのアビシニア教会では、なぜかピラトは聖人として扱われています。もしかしたらパウロのように悔い改め、北アフリカに渡り、人知れず宣教に励んだのかもしれません。それは謎に包まれたままです。
イエス様はどんな時も「私が守り、世話をしよう」と語りかけてくださいます。このイエス様の存在に気づくことが悔い改めの大事な一歩なのです。イエス様が共にいてくださる、そう気づくことが何より大切なのです。苦しみの中で自己憐憫に陥らないで、苦しい時こそイエス様の眼差しを信じて歩んで参りましょう。
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