聖霊降臨後第20主日礼拝(2021年10月10日)
ヘブライ人への手紙4章14節~16節
ヘブライ人への手紙4章14節~16節
マルコによる福音書10章17節~22節
本日の福音書の箇所は「金持ちの男」とタイトルがついています。この話はマタイ福音書にもルカ福音書にも記されており、マタイ福音書では青年、ルカ福音書では「金持ちの議員」と記されています。どの福音書を見ても、彼は金持ちで、良い家庭に育ち、宗教教育にも優秀な成績を収め、人格的には申し分のない人物だったことがわかります。その上で、彼は「永遠の命」に興味を持っていました。
この男性はもちろん永遠の命が楽して手に入るとは思っていませんでした。今以上に神に喜ばれる生き方をすることで「永遠の生命」を手に入れたいと真剣に考えていたのです。そしてイエス様こそ自分の導き手だと信じて「よき師よ」と呼びかけます。この「よき」という言葉はもともと「親切な」とか「恵み深い」という意味があります。
しかしイエス様は、この世の中で、本当の意味で、親切で、恵み深いのは、神様だけである、と言われます。そしてご自分を見るのではなく、神様へと目を向けさせようとななさったのでした。
この男性はもちろん永遠の命が楽して手に入るとは思っていませんでした。今以上に神に喜ばれる生き方をすることで「永遠の生命」を手に入れたいと真剣に考えていたのです。そしてイエス様こそ自分の導き手だと信じて「よき師よ」と呼びかけます。この「よき」という言葉はもともと「親切な」とか「恵み深い」という意味があります。
しかしイエス様は、この世の中で、本当の意味で、親切で、恵み深いのは、神様だけである、と言われます。そしてご自分を見るのではなく、神様へと目を向けさせようとななさったのでした。
この頃のイエス様の弟子達にはさまざまなタイプがいました。一番弟子のペトロ等は、腕利きの漁師の職を捨て、イエス様に従ったと言い張りましたし、マタイは徴税人として悪どい金儲けをしていた、その立場を捨てました。
その一方で、女性の弟子の中には、夫が高い役職についていて裕福な暮らしをしつつ、イエス様の弟子集団に援助している人物もいました。つまりは、イエス様に従う弟子たちは一人一人付き従う方法が違っていて、全員が何もかも捨てて裸一貫になってついていった、というわけではなかったのです。ただ彼らはイエス様の思いを神様の思いと受け止め、不器用ながらも自分に何ができるか必死に考え、従っていく、そこは共通していました。
さて、この金持ちの男にはどの程度の覚悟があったのでしょうか。確かに彼は掟の上では完璧でしたし、彼を悪くいう人はいなかったでしょう。しかし、たった一つのイエス様からの指摘、あなたも親切で、恵み深いものでありなさい、そのために、持っている物を売り払い、貧しいものに施しなさいというお言葉に、大きな挫折を味わったのです。
資産家だった彼は、イエス様からそこのところを指摘されるのではないかな、と予想はしていたのです。言われることが分かっているなら質問しなければ良いものを、自分の発した質問によって、自分の足りないところを人々の見ている前で晒されてしまいました。彼はイエス様の指摘を理解しながら、それを実行に移す勇気も信仰もなかった、ということなのです。
しかし「完全になりたいなら、持っているものを売り払い、貧しい人々に施しなさい」この御言葉がイエス様の弟子となる条件ならば、ここにいる全員不合格ということになります。しかしイエス様が言われるのはそういうことではありません。
先ほども「イエス様に従う弟子たち全員が、何もかも捨てて裸一貫になってついていったわけではない」とお話ししました。大切なのは、神様に従っていく時、神様自らあなたの大切なものを取り上げてしまうように見えることがある。それでも神様についていく覚悟を持ちなさい、ということなのです。
話が飛躍するように思われるかもしれませんが、キリスト教の社会福祉事業や、教育事業、幼児教育事業の多くは「イエス様に従う弟子たちの覚悟」から始まりました。イエス様から溢れるほどの愛を受け取った人々が、この愛を他の人々にも分け与えたい、という思いを抱き、私にできる事は何か、と考えるところから事業が始まったのです。神様かもらった愛に報いるために何かをしたい、という想いがスタートであり、神様に愛されるために何をすれば良いか、ではないのです。
多くのクリスチャンは神様に祈りを捧げながら、高い理想を掲げ、歯を食いしばって頑張り、一定の形を作り上げました。日本の社会からその施設や働きが役に立つものとして認められますと、助成金が出ます。しかし、その代わり「どんな人にも平等に」という考えをあてがわれ、キリスト教色を薄めるようにと指導が入ります。日本ではこういうケースが本当に多くあります。
そこで、働く人々は問いかけるのです。「周囲の人々からは、良い教育だ、良い施設だと褒められています。ですから、施設の方針には自信があります。この施設がずっと栄えていくためには他に何をすれば良いでしょうか。」
これはこの「金持ちの男」がイエス様に問いかけた質問と同じなのです。次に私たちは何をすれば、良いのでしょうかと。するとイエス様はお答えになるのです。「あなたは他人から褒められることを考えてはいけません、ただなりふり構わず私に従ってきなさい。」
私たちは、イエス様のご命令とあれば、世の中の人が避けて通りたいような苦難の道をあえて選び、経営を潤沢にすることよりも天に宝を積むことを望み、色々な人々と愛と平和を持って暮らし、信仰を持たない人から「神の国はこんなところかもしれない」と思っていただけるような、そんな場所をここに作り上げていきたいのです。
どんな時もあきらめることなく、これからだ、今からだ、という強い信仰を持って、キリストから愛された者として、惜しみなく愛を注ぎ出しながら歩んで参りましょう。
日中はまだまだ気温が高く
夏日の日もありますが
秋明菊に金木犀
秋の深まりを感じさせる花々が咲き始めました
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