2021年6月14日月曜日

この小さな種に(日曜日のお話の要約)

聖霊降臨後第3主日礼拝(2021年6月13日)(日曜日のお話の要約)
エゼキエル書17章22-24節 マルコによる福音書4章30-34節

 皆さんもご存知と思いますが、熊本は日本福音ルーテル教会の宣教の拠点となった土地です。120年前アメリカから来た宣教師とフィンランドから来た宣教師は、宣教の一環として、それぞれに幼稚園から大学まで、教育施設を作り上げました。

 熊本での働きに一区切りつけたフィンランド宣教団体が次の宣教の拠点として信州に導かますす。熊本と飯田の宣教規模は大きく違うものの、その精神はよく似ています。下伊那で一番古い幼稚園、飯田ルーテル幼稚園は熊本での働きを終えた宣教師の先生方によって種を撒かれたのです。


 熊本においても、飯田においても、日本福音ルーテル教会は、宣教をしながら虐げられた女性の権利を守るために戦いました。飯田では、教会に逃げてきた女性をかくまったところ、彼女を連れ戻すためにやくざ日本刀を振り回し脅してき来て、その相手を宣教師の先生が追い払ったという逸話があります。宣教師たちは命の危機にさらされながら、裏社会に追いやられた女性たちが人として生きられる社会を作ろうと懸命に働いたのです。


 今、日本社会は男だとか女だとかにこだわらない社会へと大きく舵を切ろうとしています。かつて弱い立場に置かれた女性たちを必死で守った信仰を、今の教会も引き継ぐ必要があります。LGBT(性的少数者)の問題は見て見ぬ振りをすることはできません。

 幼稚園のでは、今年から卒園式や入園式などの公式の場では、男の子には「君」、女の子には「ちゃん」と呼び分けるのをやめ、全員「さん」と呼びましょう、と取り決めました。些細なことと思われるかもしれませんが、この園にも心の性と体の性の違和感に悩む園児が存在しているかもしれません。小さき者を守るという精神は飯田ルーテル幼稚園でしっかり守られ、教会はそれを誠実にバックアップしていく必要があります。


 本日読みました福音書「からし種のたとえ」は、神の国についてイエス様がお話なさった箇所ですが、聞く力が弱ければどう理解して良いのかわからないお話しでもあります。イエス様ご自身、弟子たちに向かって「一般の人々にはわかりにくいだろう」という意味のことをおっしゃっています。

 この「からし種」のたとえを私たちの教会に当てはめるならば、宣教の始まりに、虐げられた人と命をかけて関わり、教育していった、それこそが大切な種まきであった、ということです。神様から与えられた使命感こそが「種」であり、それが教会にまかれ芽を出したのです。ですから現在の教会というのはその種が成長した状態であるはずです。


 振り返るなら、飯田に蒔かれた小さな種は確かに育ち、110年の年輪をもつ大木となりました。幼児教育を通して園児、保護者、そして社会から信頼を受けています。ただこの建物は、国の耐震基準を満たしていないと指摘されています。この場で幼児教育と伝道を続けて行くなら早急に建て直さなければなりません。重たい使命ですが、素晴らしい使命でもあります。

 小さな種がなぜ大木のように育つことができるのかといえば、小鳥のような弱い生き物が安心して住処にし、生きることを神様自身が望んでおられるからです。私たちが神様のみ心を行おうと祈り、努力を重ねるならどれほど小さな種からでも、豊かなものを生み出すことは必ずできます。


 小さなからし種は土に落ちてこそ、成長段階に入ります。机の上においたままでもポケットの中に入れたままでも、発芽、成長することはありません。それは聖書も同じです。机や本棚の置いたまま、いくら背表紙を眺めても、聖書と書いてある文字が見えるだけで、そこからイエスさまのお話は聞こえて来ません。しかし、すぐには理解できなくても、眠気が襲ってくるとしても、日々読むことによって、心が神様の語りかけに反応してくるものなのです。あなたの心の中にある土にイエス様のみことばという種が蒔かれた時、命は輝き始めます。


 かつてイスラエルに行った時、からし種の花を見たことがあります。一輪一輪は菜の花のようで派手さのない花ですが、その花が群生しているのを見たときの事は今も忘れられません。

 その日、私たち一行はガリラヤ湖を渡る船に乗り込み、遊覧しました。その日は風の強い日で、雷が鳴り、雹やあられも降っていました。遊覧中止かと思いましたが、西の空が若干明るく雲が流れていました。

 時間と共に雲の隙間から日差しの強い太陽の光が差し込み始めました。するとガイドの方が「あの辺にからしだねを植えている畑があります」と指を指しました。そちらの目を向けるとそこはすでに雲が切れて日向になっており、その日差しに照らされて黄色い花が一面に咲いていました。それは陽の光に照らされて、一斉に咲いたかのように見えました。それは見事な光景でした。


 今、私たちに与えられている役目は、教会が神の国であることを守り、神の国に相応しい場所として整えていく事です。これから先、学校法人化するのを機会に建物を全改築します。来年から大きな工事に取り掛かる予定ですが、みなさんと共にみ言葉と結びついた信仰を持って、この小さな種から、立派な神の国を作っていくことに、心を砕いて参りましょう。考えていくこと、悩んでいくことも沢山ありますが、一切のことをキリストの為、教会の為、隣人の為に行ってまいりましょう。




隣の空き地に昨年植えたモナルダが

美しく咲きました

モナルダという名称の他にも松明花(タイマツバナ)

ベルガモット、ヤグルマハッカなどなど

様々な呼び名があるそうです

芳香があり、ハーブに分類されるようです


華やかなハーブです

咲き始めはこんな感じです
面白い形ですね

咲き始めてから2日くらいで
整った姿になります

ドクダミの花も一緒に咲いています(^^;)

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