2021年4月12日月曜日

信じる人(日曜日のお話の要約)

復活節第2主日礼拝(2021年4月11日)
使徒言行録 4章32-35節 ヨハネによる福音書20章19-31節

 19世紀に活躍したドイツの哲学者にニーチェと言う人がいます。有名な『神は死んだ』という言葉を言った人です。ニーチェの生きた時代、キリスト教はすでに世界的に広がっていましたが、政治や商売、戦争に利用されることも多く、そもそもの信仰は、どこへ行ったのか、と思われるような有様でした。

 それがニーチェには我慢ならなかったのでしょう。やがて自分の研究してきたギリシャ哲学などをもとに「超人」と言う思想を生み出します。彼は『神は死んだのだから神の国もない。御心にかなう生き方を模索しながら生きる必要もない。』と言い、その無意味な人生を、ありのままに生きられる人間を「超人」と名付けました。しかし結局ニーチェ自身は「超人」になれませんでした。精神を病んで肺炎で亡くななったのです。

 『神は死んだ』という言葉に関して、これは私の個人的な思いですが、ニーチェが「死んだ」といい、その存在を否定したのは「イエス・キリスト」その方ではなく、文明の手垢にまみれ、権力者によってねじ曲げられた「西洋式キリスト教」だったのではなかったでしょうか。もし、ニーチェがルターのように「キリスト教」ではなく、聖書そのものと向き合ったなら、違った人生があったのではないかと思ってしまうのです。

 「キリスト教を信じる」と言うのと「イエス様を信じる」と言うのは同じようで違うのです。今日はイエス様の12弟子の一人、トマスについて書かれた箇所を読みながら、ともに聖書に聞いてまいりましょう。


 本日、与えられました福音書の箇所には、12弟子の一人、トマスが重要な人物として登場します。彼はよく「疑り深いトマス」として描かれます。イエス様が復活した日の夕方、弟子たちは、隠れ家に鍵をかけて閉じこもっていました。

 彼らはイエス様の弟子である自分たちも同じように逮捕され、死刑になるかもしれない、と怯えていたのです。ところがそのような彼らの真ん中に、いきなりイエス様ご自身が立ち「あなたがたに平和があるように」と挨拶されます。

 イエス様を死に陥れたのは、まず当時の宗教のリーダーたちでした。ファリサイ派とサドカイ派です。この二つの派は仲が良くなかったにも関わらず、イエス様が自分たちの邪魔者であるという考えでは一致していました。ですから十字架にかけることに賛成し、協力しあったのです。

 また、イエス様が最後の晩餐の後ゲッセマネで祈っていると、12弟子の一人だったユダが役人や兵士を先導してきます。イエス様は無抵抗で捉えられ、不当な裁判を受けます。ローマの役人ピラトはイエス様罪がないと判断し、釈放しようとしましたが、ユダヤ人の側から「イエスはローマに対する反逆者だ」言われ、と押し切られてしまいます。

 そしてエルサレムにいたユダヤの民衆も、十字架に掛けるように強く求めました。

 ついには、イエス様の一番弟子のペトロまでイエス様を裏切ります。イエス様の身を案じてこっそりついていきますが、「お前はあの男の弟子だろう」と咎められて、「あんな奴は知らない」と否定してしまいます。

こうしてイエス様は死んだのです。手塩にかけて教育した弟子たちに裏切られ、否定され、ユダヤ教の権力者に陰謀を巡らされ、ローマの役人のピラトも自分の保身のために死刑判決を下します。誰もかれもイエス様が十字架にかかるのに加担したのです。


 イエス様は、正しく、思いやり深く、神を信じ抜いたにも関わらず、人々の嫉妬、虚栄心、保身、そういった罪の数々によって死に追いやられました。自分たちこそ神様を信じている、と自負した人々によって殺されたのです。最初にニーチェのことをお話ししましたが、ニーチェでなくても「神は死んだ」と言いたくなるような有様だったのです。

 イエス様の弟子たちは、イエス様をが神様に守られないのなら、誰が神様から守られるだろう、と思ったでしょう。まさに「神はおられないのか」「神は死んだのか」と感じたのではなかったでしょうか。

 そんな状態の弟子たちのところにイエス様が戻ってこられたのです。弟子たちは半信半疑ながら、イエス様の復活を受け入れ始めました。しかし、ただ一人イエス様にお会いできなかったトマスは受け入れることはできません。ついに「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない」と強い口調で言い放ったのです。それは、「私は復活なんか信じない」と断言したのと同じでした。

 しかしイエス様は、トマスのことも他の弟子たち同様愛しておられました。その日は前回から8日が過ぎていました。イエス様は、前回と同じく鍵のかかった部屋の真ん中に立たれました。そして「あなたがたに平和があるように」とおっしゃいました。それから、トマスが8日前にいった言葉をすぐそばで聞いておられたかのように、ご自分の傷跡を示し、触るよう言われたのでした。


 トマスがこの後、実際に傷口を触ったかどうかはわかりません。しかし「信じない」と言ったにも関わらず、トマスは「わたしの主、わたしの神よ」と信仰告白したのです。トマスはもはや「神は死んだ」とは微塵も思いませんでした。たとえ主イエスの体は死んだとしても、神は生きておられた。そして、神はイエス様を復活させてくださり、その愛の心そのままに戻ってきてくださった。トマスにはそのことが分かったのでしょう。

 私たちは物事が思うように進まないとき、周りが敵ばかりに見える時があります。何をやってもうまくいかず、どうやっても元気が出なくて、死を選んだ方が楽かもしれないと思うことすらあります。私たちは、そのような状況になっても「神は生きている」と信じるものでありたいのです。神が生きて、愛をもって、私たちに関わり、働きかけてくださっていることを信じ、ご自分の復活を強く否定したトマスにさえも「平和があるように」と言われた、その言葉を胸に刻みましょう。


 キリスト教は時代の流れに翻弄されるものです。今でもキリスト教徒同士対立している地域もあります。「キリスト教は争いが多い」「キリストは愛を説いている宗教なのに、なぜ争うのか」「いっそ宗教なんかなくていいんじゃないか」そう言ってうんざりする方もおられます。

 しかし、私たちは「キリスト教」を信じていますが、時代や権力者によって変化してしまう部分を信じているのではありません。私たちのために十字架で死んでくださったイエス様を見つめるのです。聖書を通して私たちに語りかけてくださるイエス様、主なる神を信じるのです。私たちはキリストの弟子として、使徒として、聖書を土台とし、徳を高め、この教会の働きを通して神を信じる者としての歩みを深めて参りましょう。




土曜日(10日)は土曜学校でした
良いお天気の中
卒園したばかりの新・小学1年生も何人も来てくれて
賑やかに過ごしました

9時30分からの礼拝では
オリジナル紙芝居で
イースターについて学びました
お誕生会が終わり
クラフトの時間はイースターならではのお楽しみです
①発泡スチロールの玉子をイラストやシールで飾り
 飾り玉子を作る
②ゆで卵をお湯に浸して「エッグラップ」で包む
③出来上がった綺麗なゆで卵を
 園庭に隠してもらい
 小さい人からエッグハンティング!

また来月も元気で集まろうね


パソコンで作ったオリジナル紙芝居です
小さいお友達もしっかり聞いてくれました

発泡スチロールの玉子を
可愛く飾り付けてお持ち帰り
おうちで飾って、お家の人にイースターのお話をしてくれたら
嬉しいです


次は「エッグラップ」
用意しておいたゆで卵に
輪になったエッグラップをかぶせ
お湯に入れます

お湯にくぐらせれば3秒で可愛い玉子の出来上がり
完成した玉子をビニール袋に入れて
園庭に隠し
小さいお友達から順番に探しに行きます


Y.K君が玉子を隠すのを頑張ってくれました
全員無事ゲット、エッグハンティング終了!
最後にみんなで記念写真
さっと集まってシャッターを切る一瞬だけ
マスクを外します
コロナ禍の記念撮影は
素早さが勝負ですね(^^;)

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