2021年2月15日月曜日

ONE TEAM そのこころ(日曜日のお話の要約) 

主の変容礼拝(2021年2月14日)
列王下2章1-12節 Ⅱコリント4章3-6節 マルコ福音書9章2-9節


 本日の福音書は「変貌山」と呼ばれている箇所です。イエス様はこの日、弟子の中からペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、高い山に登られましたた。この3人は、イエス様が奇跡を行われる時や誰かしら目撃証言が必要だと思われる時、必ず伴われる3人でした。


 この高い山がどこかについては、異なる説があります。ガリラヤ湖の北側の2,814mのヘルモン山か、南西側の標高575mのタボル山です。

 聖書の地をめぐる旅行では3000メートル近いヘルモン山の方を「変貌の山」として紹介することが多いようです。

 日本をはじめとして、世界各地には山岳信仰というものがあります。山の雄大さや厳しい自然環境に圧倒され、恐れ敬う感情が湧き上がるのでしょう。偶像崇拝をしないユダヤ教にとっても、高い山の上は特別な世界で、そこで神様にお会いできる、という考え方がありました。例えば出エジプト記の中で、モーセが神様から十戒を記した石版を頂いたのも2000mを超えるシナイ山の上での出来事です。

 本日登場する3人の弟子たちも、このモーセの出来事は子どもの頃から繰り返し聞かされて育ったでしょう。ですから、目の前でイエスの姿が変わり、真っ白に輝く様子を目撃したとき、彼らはまさしく神がそこにおられると受け止めたのです。その上、ユダヤ教徒なら知らぬ者はないモーセとエリヤがそこに現れ、白く輝くイエス様と語り合い始めたのです。

 ペトロは我を忘れ、イエス様を中心にして仮小屋を三つ立てようと提案します。神々しさに理性が吹っ飛び、何をどう言えば分からなかったのでしょう。


 さて、話は少し遡りますが、この変貌山の出来事の少し前、イエス様はご自分の受難を予告されていました。8章31節です。「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日ののちに復活することになっている。」この時、イエス様は十字架にかけられるけれど「復活する」、とはっきり宣言されたにも関わらず、弟子たちのほうは「イエス様が死んでしまう」と捉えました。

 このころの弟子たちは、イエス様こそ祖国からローマを追い出し、国としての独立を取り戻してくれる英雄だと信じるようになっていきました。旧約聖書に記されているモーセやエリヤやダビデ王のように、誰にも負けない救い主だと思い始めていたのです。

 しかしイエス様の宣言された「十字架」という言葉は、「負け」を表す言葉であり、「神に呪われたもの」という意味さえ感じさせました。誰よりもイエス様を尊敬していると自負していた一番弟子のペトロは「そんなこと言わないでください」とイエス様をいさめようとし、逆に叱られてしまったのです。


 それから数日というもの、イエス様の受難予告は弟子たちの頭から離れませんでした。もしイエス様が死んでしまったらイスラエルの改革運動は頓挫してしまうではないか。イエス様は彼らの迷いを見越しておられたのでしょう。弟子の代表として3人を山に連れ行かれたのでしょう。

 数日の間悩みの中にあった弟子たちにとって、山の上でイエス様が光り輝くお姿で英雄たちと対等に話しておられるお姿を目撃したことは、理性が吹っ飛ぶほどの驚きと喜びだったのです。やっぱりイエス様はメシアだ、死んだりするはずがない。ペトロは改めて確信したことでしょう。

 そのような興奮の中でペトロ達が聞いたのが、「これはわたしの愛する子、これに聞け」という神様の御声でした。神様は「イエス様こそわたしの愛する子」なのだから、あなたがたは何をおいてもイエスの言う言葉に従いなさい、と語られたのです。イエス様が語ることばをよく聞き、理解し、素直に受け取り従いなさい、と言われたのです。 


 しかし彼らは山を下りる時になっても、イエス様が語られた復活の意味をきちんと捉えることはできていませんでした。ただ、イエス様が受難があるとおっしゃるなら、そうなのだ、そう受け止めなければならない、自分たちはそういう立場なのだ、と知ったのです。

 彼らはイエス様が王様となって、自分たちはその家臣にとして、このイスラエルを立て直すのを手伝うのだと思って張り切っていました。ところが今、少しずつ、そうではないということに気づき始めました。

 まだよく理解はできないけれど、本物のメシアというものは、自分たちが思い描いていたヒーローとは少し違うのかもしれない。思いもよらぬほどの反対を受けたり、迫害されたりするものなのかもしれない、それでも信じるところを曲げず、信じる方を疑わず、神様の業に励むことが自分たちに与えられた使命なのかもしれない。彼らはそんなふうに思い始めていたかもしれません。

 高い山の上でイエス様の真実のお姿を見ることを許された弟子たちは、信仰者として新たな歩みを始めたのでしょう。


 今、私たちの与えられている使命は、まさに白い山の頂上に登ることです。イエス様の御心に従ってこの場所に神の国を創っていくことは、心弾む出来事ですが、自分達の思い通りになるわけではありません。それでもイエス様の弟子として、助け合い、一つのチームとなって、輝く頂を目指してまいりましょう。あらゆる苦難の中でも、共に神様の栄光を見出すものとなるように、心を一つにして歩んで参りましょう。



友人からタネをいただいた「ピンクタンポポ」
昨年秋にいくつかポットに蒔いて
屋外と室内で別々に育てていました
先日から室内組の花穂がひょっと伸びて
ペットポトルのキャップくらいの
可愛らしい花を咲かせてくれました
一足先に春の風情です

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