2020年2月4日火曜日

山上の垂訓(日曜のお話の要約)

顕現第4主日礼拝・聖餐式 (2020年2月2日)
ミカ6:1-8    Ⅰコリント 1:18-31 マタイによる福音書 5:1-12

 本日の福音書は、マタイによる福音書、ルカによる福音書にも記されている、イエス様の説教集と言われている箇所です。
 ここでイエス様は有名な祝福の言葉を語ります。「心の貧しい人々は、幸いである。天国はその人たちのものである。悲しむ人々は幸いである。その人たちは慰められる」
 「心が貧しい」というのは、よく「謙遜」な状態と誤解されますが、そうではありません。「謙遜にしていたら神様がご褒美に天国に入れてくれる、という教えではないのです。
 「心が貧しい」とは褒め言葉ではありません。自分の心の中に、褒められるべきものが全く全然ない。そんな人々のことです。そういう人々は、この世では嫌われ者で、ピンチに一行ったとき助けてくれる人はいません。苦しいとき、困ったとき、神様の救いに寄り頼むしかなく、最後の望みとして天の国を求めるしか救いがない。そういう意味です。
 「心が貧しい」という状態、今の自分がそうである。そう気づいた人が自分に絶望して、イエス様にすがる時、イエス様は決してお見捨てにならないから、幸いだ、というのです。

 聖書の教えは、その教えに愚直に従えば従うほどに、信じる人々に喜びや繁栄をもたらす仕組みになっています。自分の欲望を優先させず、神様の御心に従って、愛と平和を目標し、それぞれに謙虚になって分け隔てなく生きていこうとすれば、自ずと祝福された社会が形成され、恵みが集まります。
 しかし、ヨーロッパやアメリカでクリスチャン人口が多いにも関わらず、キリスト教が誕生して2000年経っても、今だに恵に満ち溢れた社会にはなっていません。教えの内容がどれほど素晴らしくとも、権力者が教えを軽んじて自分を律することをせず、思うままに政治を行おうとすれば、あっという間に宗教はただの飾りになってしまいます。

 旧約聖書の列王記には、ユダヤ人の信仰の象徴である神殿が建設される様子と、その後の堕落の様子が記録されています。
 イスラエルは3代目の王であるソロモンによって神殿が建設され、栄華を極めましたしかしソロモン王は国を安定させるために政略結婚を繰り返し、異国から嫁いできた妻たちがそれぞれの国の宗教を持ち込み、異国の神を祀る神殿があちらこちらに建てられたそうで、肝心のイスラエルの神への信仰がないがしろになっていきます。
 結果としてソロモン王の次の代でイスラエルは南北に分裂し、後々まで大変な苦しみを背負うことになってしまうのです。

 また、キリスト教の歴史においては、ヨーロッパ社会で権力を一手に握っていたカトリック教会が、方向性を間違えて堕落します。500年前の宗教改革は、それをを見かねて始まったことでした。

 一方、私たちの住む日本は、1549年のキリスト教伝来以来、繰り返し迫害が起きました。江戸時代にはほとんど絶えてしまって、わずかな人々が隠れて生き残っただけでした。キリスト教の教えを信じ、素直に信仰を全うすようとすれば、命を失うしかなかったのです。
 今は信教の自由が認められていても、仏教や神道以外の人々が生きにくい社会の仕組みが出来上がっているので、キリスト教人口はなかなか増えていきません。

 私たちにも身に覚えがあると思いますが、少ない人々が一生懸命維持しようと努力した場合、努力が空回りして仲違いに発展することも多くあります。何しろクリスチャン人口が少ないので、一旦関係が悪くなれば紛らわす方法がありません。そこで、教会に行くことも、礼拝に出ることもやめ、自分勝手な信仰スタイルを作り上げてしまう人も多いのです。

 クリスチャンは、その人口が多い国々では権力と結びついて堕落し、少なくても仲間同士で意見が合わずに崩壊する。
 人間の罪はどれほど深いのだろうと、考え込んでしまいます。

 しかし、だからこそ私たちが信仰に生きるために、日々聖書を学ぶのです。そこには信仰の危機がどうして起こるのかをはっきり記されているからです。それを自分のこと、自分達のこととして、一人一人が読み続けていく必要があります。

 私たちは、イエス・キリストが十字架の死を味わってまでも救いへと招いてくださった一人一人だということを忘れてはなりません。イエス・キリストの教えに「一足飛び」はありません。どれほど時間がかかるように思えても、「うさぎとかめ」の亀のように、一つ一つの出来事に感謝しつつ、信仰を積み重ねながら前へ前へと進んでいく必要があります。
 私たちがなすべきは「うさぎ」と競うことではありません。自分に与えられた時間と業を用いて、イエス様が待っておられるゴールに向かって、ひたすら誠実に歩んで行くことだけなのです。
「もしもしかめよ、ここにいるキリスト者よ」
 神様からの愛の言葉をゆっくり聞こうではありませんか。


 聖書を通して語られる神の言葉を大切にしながら、日々の歩みを、キリストに捧げながら、キリスト者として歩んで参りましょう。



先日の土曜学校の作品です
アルミ缶に穴を開け、ランタンにしました
Nちゃんに「自由にデザインしていいよ」と言いましたら
十字架のランタンを作ってくれました
彼女の心にイエス様の明かりが灯りますように


0 件のコメント:

コメントを投稿