2018年4月29日日曜日

―最近読んだ本からー「聖卓に集う-日本福音ルーテル礼拝式書解説」 前田貞一著


―最近読んだ本からー「聖卓に集う-日本福音ルーテル礼拝式書解説」
前田貞一著
 発行者  中村義治
 発行日 2004720日 初版発行
 発行所 株式会社 教文館
定 価 1000+
現在、日本福音ルーテル教会では、新式文が全国総会でも、議案として取り上げられようとしている。それを前にして、現行の式文を今一度振り返り、式文の歴史について、まとめられた
本書をぜひ読み直しておきたいというのが、私の願いであった。
ちなみにこの本は、私どもがちょうど牧師になって、牧会に専念していたころ、恩師前田貞一先生が、全国の日本福音ルーテル教会の牧師たち全員に贈られた著書である。
ルーテル教会と言えば、式文にのっとって礼拝が進められるのであるが、前田先生は、式文に従って礼拝を進める司式者、牧師を、あえて司祭者と呼んでおられる。そして、この著書は「聖卓に集う」と名付けられている。
礼拝とは、聖卓に集まり、み言葉の説き明かしである説教がなされるところに始まったものである。
そして、式文には、2000年にわたる長い歴史がある。ルターの宗教改革とは、礼拝改革であったと言っても過言ではないだろう。時代により、国や社会の変遷に伴い、式文もその中で形作られていったことが分かる。私たちは使っている今の式文の、一字一句に、あるいはそれに付けられている曲や採用されている聖書からの歌やみ言葉が、今の形にまで落ち着くまでに、2000年の歴史があったといってもいいのだ。
前田先生は、み言葉の部の説教と、聖餐の部のサクラメント、パン裂き、感謝とも言われる聖餐が、主の日ごとに祝われる、心からなる礼拝の回復こそが、今のキリスト教会に、何よりも待たれていることを、この書を通して力強く、私どもに呼びかけておられる。そして、司祭者は、そして会衆も決して式文にくぎ付けになるようであってはならないと説いておられる。東京池袋教会で、1994年に按手式を受けたとき、司式を手伝ったのであるが、一年間何を研修していたのかと厳しく、聖餐の司式を指導されたことを懐かしく思い出すのである。式文に使われてしまって、足かせになるようなことがあっては、元も子もないのである。ルーテル教会は「歌う教会」と言われる。式文を自在にこなしながら、力ある説教が並行していくとき、新しい礼拝が回復されるに違いない。

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