2018年4月15日、復活後第2主日礼拝(―典礼色―白―)、使徒言行録第4章5節-12節、ヨハネの手紙一第1章1節-第2章2節、ヨハネによる福音書第21章1節-14節、讃美唱139(詩編第139編1節-10節)
説教「食事に招く復活の主」(ヨハネ福音書第21章1節~14節)
私どもは、4月1日にイースターを祝い、今年は、マルコによる福音書を主たる福音として、読み進めていますので、あの空の墓の出来事、マグダラのマリアたち、3人の女性が、墓の中で白衣の青年から、主はよみがえられて、ここにはおられない。かつて言われていた通り、弟子たちより先にガリラヤに行かれるとの使信を伝えよと言伝を受けたが、彼女たちは、墓から逃げ出し、恐ろしくて、その当時何も、だれにも言わなかったで、その福音書は終わっていたことを聞きました。
そして、先週は、しかし、その後の弟子たちがどうなったのかを、だいぶ後になって書かれた、マルコ福音書第16章9節以下について聞かされました。
そして、今日からはしばらく、マルコ福音書を離れて、ヨハネ福音書から、この復活節から、ペンテコステ、聖霊降臨のころまで、主のご復活の出来事について思いを巡らす時節を歩んでいきます。
今日は、主のご復活を祝う第3の主の日でありますが、先ほど、皆さんとご一緒にお読みした通り、ヨハネ福音書第21章の1節から14節が与えられています。そして、通常は、聖書日課は、第1朗読は、旧約聖書から与えられるのですが、この時期は、第1朗読も新約聖書から、それも使徒言行録から、選ばれています。今日のその個所では、あの怯え惑っていたペトロやヨハネら弟子たちは、公然と、ユダヤの指導者たちに向かって、この世で私たちに与えられる救いは、あなたたちが十字架に付けて殺した主イエス・キリストの名以外には存在しないのですと証しする使徒の姿に変えられているのを知らされるのであります。
また、第2の朗読でも、今日の福音と同じヨハネの名を冠するヨハネの手紙一の出だしからの記事が与えられ、そこで、その記者は、自分たちが手で触り、その目で見た方について、自分は証言している。そして、そのお方、主イエスは、たとえ私どもが罪を犯しても、弁護者として執り成し、赦してくださるので、そのお方のところに助けを求めればよいのだと記しています。
また、讃美唱として、与えられている今日の詩編第139編の個所も、私どもは、今は礼拝の中では朗読されてはいませんが、主なるお方は、たとえ私どもがどこに行っても、仮に陰府に赴こうとも共にいてくださると主を、心の底からほめたたえる歌が選ばれています。
そして、今日の福音は、ヨハネ福音書第21章は、エルサレムでの主のご復活で終わっていますが、ティベリアスの湖畔での主のご復活の記事となっています。この記事、第21章も、やはり、いったん書き終えられていたヨハネ福音書に、改めて付加されたものだと考えられます。その著者は、だれなのだろうか、また、なぜ、ここに書き加えられたのだろうか。いろいろと考えられ、今でも、それについて決着がついているとは言えないようです。マルコ福音書の第16章9節以下と同じように、ここでもヨハネ福音書の第21章がどうしても追加して書き残さざるを得ないと、この著者はこれらを記したのであります。
今日の記事は、もとの文を見ますと、「それらのことの後」主イエスはティベリアスの湖の傍で、御自身を、弟子たちにお示しになったと始まっています。ガリラヤ湖畔において弟子たちはご復活の主に再びまみえるのであります。
それは、7人の弟子たちであったと記されています。シモン・ペトロ、双子のトマス、ガリラヤのカナの出のナタナエル、ゼベダイの子ら、それに他の二人であります。
そのときに、ペトロは、自分は漁に行くと言い出しました。そして他の者たちも、では、自分たちも一緒に行こうと言って小舟に乗り込んだ。ところがその夜、一匹も取れなかったのであります。
ところで、弟子たちは、どういう思いで漁に出て行ったのだろうか。絶望して、生業に再びつこうとしてのことだったのだろうか。エルサレムで主のご復活に与り、聖霊も受けて派遣されたけれども、やはり希望を失って落ち込んでいたのだろうかとも、考えられます。しかし、どうもそういうことではないのではないか。
夜通し、漁をしたが一匹も取れないでいました。ところが、岸辺から、まだ朝非常に早いときに、一人の人が立っていて、子らよ、何か食べ物があるかと声をあげるのであります。「何も」と彼らは言うしかありません。すると、その方は、「舟の右のほうに網を降ろしなさい、そうすれば取れるはずだ」と語りかけられるのであります。すると、その通り、大量の魚がかかり、彼らは引き上げることもできなくなります。
そのときに、主が愛された弟子が、あれは主であると叫びます。そして、裸に近かったペトロは、上着を巻き付けて、海に飛び込んだとあります。復活の主に、それまでもお会いしていたのに、ここでの弟子たちは、その声を聞いても、見ても、分からなかったとあるのであります。
残された弟子たちは、やっとのことで多くの魚のかかった網を引きずりながら、舟を岸まで漕いできました。そして、陸に上がってみると、炭火が起こしてあり、その上に魚と、そしてパンもあるのを見出します。復活の主は、あなた方が取って来た魚からも、幾匹か持って来なさいと言われます。
そして、ペトロが舟に上がり、網を引きずって来ると、それは153匹もの大きな魚で一杯でした。漁師たちのよくやることとして、全部数え上げたとみることもできましょう。しかし、それは不思議な数であります。いろいろと昔から考えられてきました。三角数で足していくと17で、153になるといいます。その17は10と7である。7は完全数であり、また、荒れ野で主が5000人を養ったときには5つのパンと2匹の魚であった。そして、残ったパン屑を集めると12の籠に一杯になったなどということとの関連などがこと細かく調べられたりもします。
また、「魚」は、その時代の人々にとって豊かさを示す代表的な存在であり、ここで取れた大きな沢山の魚は、宣教に伴う神の恵みの豊かさを象徴するものであったことは否定できないようであります。また、旧約聖書のエゼキエル書に記されている死海に、さまざまな種類の魚で満ちあふれるようになるとの預言の成就をここに見出そうとする人もいます。
宣教の歩みを、むしろ既に始めていた7人を中心とする宣教が、その多難な実情にもかかわらず、その網は裂けることはなく、復活の主の言葉を通して、不思議な実が与えられていく。その秘儀がここに、既に表現されているとみることができるのであります。
ご復活の主は、奇跡を起こすことのできる、み言葉をもって、弟子たちに働きかけることができるお方であります。そして、彼らを、岸辺で食卓の用意をして待っていてくださる主イエスであります。主は、あなた方が取って来た魚からも、数匹持って来なさいと言われました。少し、7人分としては足りなかったのでしょうか。伝道の合間に、常に親しく食卓を共になさった主であります。そして、最後の晩餐の時には、同じように、パンとぶどう酒を分け与え、十字架におつきになる前に、そのみからだと血とを指し示したのでありますが、ここでは、主のご復活を祝うために、弟子たちにもてなし、用意していて迎えてくださるのであります。
もはや、弟子たちはあなたはどなたですかと、あえて問う者はいなかったとあります。復活の主であることが、このときには、みんな分かっていたからであります。復活の主は、ご自分の弟子たちのところに、そのみ姿を現されます。
そして、食事を共にし、ここでは、パンと魚ではありますが、聖餐に近い食卓において、主はご自分をはっきりとお示しになるのであります。
主は、やって来られて、パンを取り、弟子たちにお与えになる、そして、魚も同じようになさる。そこでの会話については、ここでは何も記されていません。
弟子たちは、ここで再び大きな力を与えられ、慰められることができたと思います。これからも、弟子たち、また、その教会につながっていった弟子たちには、迫害があり、多大な困難に出会い、打ちひしがれそうになった時も少なくなかったと思いますが、この日の大量の漁の出来事、そしてそれを可能にした復活の主との再会、そして共にしてくださった朝食の出来事を通して、彼らは、復活の主の宣教に明け暮れることができたのではないかと思います。
どうしても、ここガリラヤ河畔での復活の主とのこの奇跡的な出来事と出会いとを、この福音書に書き加えないわけにはいかなかったのであります。今日は、飯田ルーテル幼稚園の、2018年度のこの認定こども園としての4年目に入る教職員16名の就任式の礼拝でもあります。このご復活の主イエス・キリストが、この一年の園の運営と働きのために、先だって励まし、導いて下さることを信じゆだねつつ、説教を終えたいと思います。一言祈ります。
天の父なる神さま。
世界では、シリアに、欧米国が反撃を加えるなどといまだに戦争や紛争が絶えませんが、その指導者たちの上にも、み言葉に立って解決するよりよき道と知恵とをお与えください。また、飯田ルーテル幼稚園とそれを支える飯田教会のためにも、復活の主が共にいてくださって、特にここで過ごす幼子たちに、あなたとその独り子イエスのお守りと助けが常にあることに信じゆだねて生きてゆく者となりますように、特にここで働きます先生方を強め励ましてください。この感謝と願いを、主イエス・キリストのみ名によって、おささげします。
アーメン。
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