2025年6月22日日曜日

「キリストを着る者として」(日曜日のお話の要約)

聖霊降臨後第2主日礼拝(2025年6月22日)(緑)

イザヤ書65章1―9節(旧 1167)

ガラテヤの信徒への手紙3章23―29節(新346)

ルカによる福音書 8章26―39節(新119)


 本日はルカ福音書から聞いて参りますが、何やらおどろ恐ろしい言葉がたくさん記されています。「悪霊」とか「墓場」とか「レギオン」とか「たくさんの豚が崖から落ちる」とか、まるで怪談話です。


 イエス様がわざわざユダヤの地を離れ、人々から疎んじられた、どうしようもない状況に置かれた男性を救いに行かれたのです。このゲラサ人の地方とは、諸説ありますが、ガリラヤの反対側のデカポリス地方にある都市の名前です。ユダヤ人が飼わない豚を大量に飼っていたところから、異邦人の住む街であったことはまちがいありません。そこでは異教の神々が拝まれていたのです。


 ここに到着するまでは非常に困難な出来事がありました。湖を渡っている時に突風に襲われ、船が水を被ってしまったのです。溺れそうになった弟子たちはすっかり怯えてしまいますが、イエス様が風と波を叱って嵐を静め、一行はようやく向こう岸に到着することができました。


 イエス様たちが陸に上がるとすぐ、一人の男がやって来ます。これこそイエス様が癒したいと思っていた人物なのですが、彼は衣服も身につけず、ひと目でまともな状態でないことがわかりました。鎖で繋がれても、足枷をはめられてもそれを引きちぎってしまうとのことでした。


 彼はイエス様の前にひれ伏し「いと高き神の子イエス」と呼びかけます。しかし「癒してください」とは言わず、「自分にかまわないでくれ」と叫ぶのです。行動と言葉がチグハグなのです。


 繰り返しになりますが「彼は裸だった」のです。創世記には、禁断の木の実を食べた人間は神様の前で裸であることが恥ずかしくなって隠れた、と書いてあります。つまり裸でいるのが恥ずかしいのは罪の結果と言えますが、恥ずかしいと思う心さえ麻痺してしまったら、人としてもう手に負えません。


 その上、彼は「墓場」を住処としていました。当時は「墓場」とは非常に汚れた場所と考えられていました。悪霊はそんな場所を好むようこの人を縛り付けたのです。誰もが関わりを持つことを躊躇するようなこの男に向かって、イエス様は「名はなんというのか」とお尋ねになります。すると彼は自分の本来の名前ではなく「レギオン」と答えます。「レギオン」とは、通常5000~6000人から成るローマ軍隊の部隊の名前です。悪霊がこの男に「レギオン」と言わせたのです。


 ローマ軍は多くの都市を占領し、初めのうちは「パックスロマーナ」「ローマの平和」という理想を掲げました。しかし結局はそこに暮らす人たちの思いを踏み躙り、力で押さえつけます。「レギオン」によって占領されたこの人も、悪霊の力によって自分の思いが制圧され、抑圧されてしまっていたのです。


 悪霊は自分たちはどんなに数が多くても、結局はイエス様にかなわないことを知っていました。悪霊たちは「底なしの淵へ行けという命令を自分たちに出さないように」と主イエスに願い、「その辺りの山で、たくさんの豚の群れがえさをあさっていた」ので、せめてその豚の中に入ることをイエスに願います。


 イエス様がそれをお許しになると、豚の群れは崖を下って湖になだれ込み、おぼれ死んだのです。マルコ福音書にはこの豚の数は2千匹ほど、と書いてあります。それは凄まじい光景だったことでしょう。


 しかし、この出来事によって、この町の人々を恐怖に陥れていた男が正気に戻ったのです。レギオンに支配されていた時の面影はなく、きちんと服を着てイエス様の足元に座っています。これは、彼が神様から罪を赦されて人としてもう一度やり直しを始めたことを表しています。


 不思議な顛末ですが、これでこの異邦の地を支配していた悪霊がいなくなり、「神の平和」と「神の平安」が実現する場所となれたはずでした。しかし、今度はここの住民達が、イエス様がここに滞在することを拒んだのです。


 ゲラサの人たちは、悪霊に取りつかれていた男が救われたことに関してはイエス様に感謝を覚えたでしょう。しかし豚飼いたちにとって、豚の群れを失うことは軽い出来事ではありません。経済的なことを重んじるあまり、一人の人間の救いをどうでも良いことと感じてしまったのでしょう。そして、長い間、悪霊に取りつかれいた人が、自分たちの社会に戻ってくることも恐れたかもしれません。結局彼らは、主イエスをゲラサから追い出すことにしたのです。


 さてレギオンから解放され、正気に戻った男はイエス様について行くことを願いました。イエス様に離れ難いほど感謝していただけでなく、隣近所の人々の冷たい目を感じていたからです。しかし、イエス様は「自分の家に帰りなさい。そして、神があなたになさったことをことごとく話して聞かせなさい」とおっしゃいます。


 イエス様が彼に与えた使命は、イエス様と舟に乗ることではなく、ゲラサに留まって自分の家に帰り、神様が自分にしてくださったことを語ることでした。彼はイエス様に命じられた通り、イエス様が自分にしてくださったことを町中に言い広めます。彼はイエス様によって宣べ伝える者、証しする者となったのです。


 ガラテヤ書には「キリストを着る」という信仰的な言葉が記されています。ゲラサの男のように、人間性を失い、素っ裸になっても恥を恥じとも思わない者が、イエス様に救われ「キリストを着る」ものに変わったのです。「キリストを着る」とは、生まれ変わってイエス様の使命を果たすために生きる、ということなのです。


 私たちは今、いつ大戦争が始まるともしれない危うい世界で生きています。日本は民主主義と言いつつも、正々堂々と異議を申し立て、平和社会を取り戻すほどの力は私たち自身にはないかもしれません。


 けれども、私たちには、キリストが与えられています。この場所から平和を作り出す者へと一人一人が召されているのです。この喜ばしき信仰を、共にキリストを着る者として喜び、平和の場所を作り出してまいりましょう。



昨日は土曜学校でした

リノベーションの終わった会堂での

初めての土曜学校です

土曜学校の常連さんには

見慣れたはずの教会礼拝堂なのに

1年ぶりだからかそわそわウロウロ

初めてこの建物に入る新一年生の方が

落ち着いた感じでしたww

改修のため、少し残響が強くなったようで

工作しながらふざけ合う子どもたちの声が

ワンワン響いて、指導する方は大変でした

次回は落ち着いてくれるといいのですが(涙)


遠方から久しぶりに来てくれた

Kちゃんご一家、ありがとうございます

チャンスがあったらまた来てくださいね




Kちゃん、遠いところから来てくれてありがとう
また会えたらいいな



礼拝堂の後ろで工作
ベンチを前の方に少し寄せれば
15人くらいの参加者は十分座れることがわかりました
冷房もよく効きますし、次回もここで行います




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