2024年3月31日日曜日

「両手いっぱいの愛」(日曜日のお話の要約)

主の復活礼拝(2024年3月31日)(白)

ヨハネによる福音書20章11-16節


 イースターおめでとうございます。

 今日はキッズバンドに「両手いっぱいの愛」を賛美していただきました。小さいお友達もお母さんも一緒に歌ってくれてありがとうございます。この歌は日曜学校で「こども聖歌隊」を結成した頃から、歌うメンバーが入れ替わってもここで歌い続けてきました。


 「両手いっぱいの愛」はよく手話をつけて歌います。イエス様、僕のこと、私のことをどれくらい愛してますか?と、「これくらい?」「これくらい」と手を広げながら訪ねます。二番もこれを繰り返します。


 三番になると今度はイエス様が静かに両手を広げて「あなたのことをこれくらい愛しているよ」と教えてくれます。それはもう、目一杯両手を広げてくださいます。ところがイエス様がいっぱいに広げた両手は十字架の横の棒に釘を打たれてしまいます。それでもイエス様はおっしゃいます「あなたのために死んでも構わない、それくらいあなたのことが大好きだよ」両手いっぱいの愛とは、イエス様のものすごく大きな愛のことを歌っているのです。


 さて、イエス様は何にも悪いことをしていないのに、他の悪者と一緒に十字架にかかって死んで、お墓に入れられました。イエス様は前から「私は神様のお力で蘇る」つまり、生き返るよ、と言っていたのですが、誰もそれを信じませんでした。


 今日聖書に出てきた女の人は、イエス様が死んでしまったのが悲しくてお墓にやってきました。イエス様のお国のお墓は日本のと違っていて、亡くなった人を布でぐるぐる巻きにして、洞穴に入れます。その時良い匂いのする油を死んだ人の体に塗るのですが、イエス様は「こいつは悪者だ」と言われて死刑になったので、乱暴に布で巻いただけで洞窟に放り込まれていないか、女の人はとても心配になったのです。


 ここで皆さんに質問です。この女の人の名前は、なんでしょう。最初のところに書いてありますね、「マリア」さんと言います。でも、この人はみんながよく知っている、イエス様のお母さんのマリアさんとは別の人です。「マリア」という名前はとても人気があったので、同じ名前の人がたくさんいたのです。


 ではこのマリアは何者でしょう?ヒントは今度は聖書の一番最後のところに書いてあります。この人はイエス様のことを「先生」と呼んでいます。つまりイエス様を先生として、いろいろ教えてもらった、イエス様の生徒さんだったのです。イエス様にはたくさんの生徒がいて、みんなイエス様から神様のお話を聞くのが大好きでした。

 ところが、イエス様が、たとえば「世界中のどんな宝をもらうより、神様に愛されていることの方が素晴らしいんですよ。だからよくお祈りをして、神様ともっと仲良くなりましょう」と教えてくださっても、ほとんどの人が「いいお話だったね」と喜ぶだけで、「私には無理だな」と思って、すぐに忘れてしまいます。


 でも生徒の中には、一生懸命イエス様の言うことを聞いてイエス様のそばで頑張る人たちがいました。その人たちのことを聖書では「弟子」と呼んでいます。弟子の人たちは「この世の中のどんな宝より神様の愛の方が素晴らしい」とイエス様がおっしゃれば、素直に信じます。そして「私は神様に愛されているんだ」と嬉しくなって、もっともっと神様のことを勉強します。そしてやがて他の人にイエス様のお言葉を正しく伝えられる人に成長するのです。


 さてさて、話をもとに戻しましょう。ここに出てくるマリアはイエス様の熱心な生徒、つまり弟子でした。イエス様と会う前はあまり良くない仕事でお金儲けをしていたという噂がありましたが、イエス様の弟子になってからは、イエス様や他の弟子たちのお世話係になりました。すっかり貧乏になりましたが、マリアはとても幸せでした。


 それなのにイエス様が死んでしまって、マリアはものすごく悲しくなりました。せめていい匂いの油を塗ってあげようと思ってお墓に来たのに、イエス様のお体がそこになくて、もう本当にどうしていいかわからなくて、心の中が真っ暗になって、一人ぼっちで泣き始めました。


 涙でいっぱいで何も見えなくなったので、天使が話しかけても、蘇ったイエス様が話しかけても、誰から声をかけられたのか全然わかりませんでした。イエス様から「マリア」と名前を読んでもらって、ようやくそこにいるのがイエス様だと気がついたのです。


 マリアはすごいと思います。普通は死んだと思った人が急に後ろに現れたら、「幽霊だ!」と驚いて怖がるものです。でもマリアは、イエス様が「私は三日目に蘇る」と言ったことを思い出して、すぐに信じたのです。そしてとっても嬉しくなって「先生!」と叫んで思わず抱きつこうとしました。


 イエス様はちょっと焦ったかもしれませんね。そこでストップストップ、といった感じで、「私に縋り付くのはやめなさい」とマリアを止めます。そして「他の仲間のところに行って、私が蘇ったことと、もうすぐ神様のいる天国に帰ることになっている、と知らせなさい」と言います。マリアは素直に頷いて、大急ぎで他の弟子たちのところに飛んでいったのでした。


 マリアの心は喜びでいっぱいでした。さっきまで「イエス様は私を一人ぼっちにして死んでしまった」と悲しかったのです。でも蘇ったイエス様に会えた時、そしてその両手に釘の跡を見た時、「あなたのことをこれくらい愛しているよ」といっぱいに広げられた両手を見た気がしたのです。


 マリアはイエス様に抱きつくことはしなかったけれど、イエス様が、そして神様がいつまでも自分のそばにいて、見守ってくださることがわかったのです。マリアは繰り返し繰り返し「ありがとうイエス様」と心の中で思っていたことでしょう。


 みなさんがこれから「両手いっぱいの愛」を歌うとき、イースターのこんな物語を思い出してください。そして「あなたのために死んでも構わない、それくらいあなたのことが大好きだよ」とおっしゃったイエス様のことをいつまでも忘れないでくださいね。


イエス様のご復活おめでとうございます!

皆様の教会はどのように過ごされたでしょうか

飯田教会は今日も音楽で盛り上がりました

前奏後奏と特別賛美はリーベクワイヤのみなさんの

ハンドベル演奏で彩られました

特別賛美その2(?)はルーテルキッズバンド

「両手いっぱいの愛」と「十字架わが力」を

元気に歌ってくれました




礼拝には今日が一歳のお誕生日のAちゃんから
おんとし95歳の牧師夫人のお母さんまで
年度最終日だったせいか
少ない出席人数ではありましたが
みんなで楽しく過ごすことができました


今まで気づかなかったのですが
礼拝堂正面の壁に窓枠の影が写っていました
十字架がもう一つあるような
不思議な光景でした



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