2023年7月15日土曜日

「種を蒔く人」(日曜日のお話の要約)

聖霊降臨後第7主日礼拝(2023年7月9日)
イザヤ55章10-13節(1152) ローマ書8章1-11節(283)
マタイによる福音書13章1-9、18-23節(24)


 本日の福音書では、大勢の群衆がイエス様のお話を聞こうとやってきます。そこでイエス様は舟に乗って腰を下ろされ、たとえを用いてお話を始めます。いくつか譬え話が語られますが中でも本日の「種を蒔く人」はよく知られたお話でしょう。


 当時のイスラエルは、穀物の種を丁寧に一粒一粒植えることはしないで、土地にばら撒いて育てたそうですから、種が道端や、石だらけのところや、荊の中に落ちたりすることは日常的な風景だったのかもしれません。


 もちろんこれは譬えですから、聞く人の立場やレベルによって、聞こえてくるメッセージが違ってきます。ぼんやり聞いている人は本気で農業の話だと思ったかもしれませんというのも、律法学者たちが一般の人に喩えを用いて聖書を教える時は、もう少し具体的な内容で語ることが常だったからです。


 しかしイエス様はこの時、譬え話を話し終えるとそれ以上解釈をしようとはなさいませんでした。そこで弟子たちはイエス様に「なぜ、あの人たちにはたとえを用いてお話になるのですか」と問いかけたのです。つまり、わかりやすく解説してやらないのはなぜですか?と質問したのです。


 イエス様はそんな弟子たちに「あなた方には天の国の秘密を悟ることが許されているが、あの人たちには許されていない」と言われます。これを聞いた弟子たちは、自分達がイエス様から特別扱いを受けているような気がして、なんとなく嬉しかったのではないでしょうか。


 弟子たちは、イエス様と共に旅から旅への生活を続け、その中で繰り返しイエス様のお話を聞きました。イエス様は彼らが聴き慣れているはずの旧約聖書の救いの出来事を、遠い昔の出来事ではなく、イキイキと語ってくださり、目の前でまさに起こっている出来事として解釈もしてくださいました。


 弟子達は次第に、神様の存在をリアルに感じられるようになり、今まで捉え損ねてきた聖書を知りたいという気持ちが増し加わっていき、もっとイエス様のお言葉の意味をちゃんと知りたいと思うようになったのです。


 この日、イエス様の慈愛に満ちた眼差しを受け「あなたたちはちゃんと見ている、ちゃんと聞いている」と言っていただき、説明を聞いた彼らは、自分達がよい土地に落ちた種であると確認して、ほっとしたことでしょう。自分は御言葉を聞いて悟れている方だなあ」と思ったかもしれません。


 ただ、ここでイエス様が言われている「悟る」とは「なるほどと合点がいく」ことを表す言葉ですから「なんとなく分かった気がする」では、まだまだ不十分でした。しかし、彼らが聖霊の導きによって本当に悟る日が来て、次の世代の心に御言葉の種を蒔く人へと成長することを、イエス様は知っておられたのです。


 ところで、この頃、イエス様はまだご自分が十字架にかけられることを予告してはおられませんでしたが、すでに「自分の十字架を負って私に従いなさい」と言われるほどに十字架のことは意識されていました。


 しかし弟子達は、今、イエス様がなさっていることのように、貧しい人を助け、虐げられている人を救っていれば、神様が喜ばれ、イエス様を王様にしてくださって、世の中はどんどん良くなっていくだろう、と思っていたのです。


 ですが地上では、いくら神の子と言ってもイエス様お一人でなさることには限界がありました。弟子たちはすっかり気が大きくなっていましたが、イエス様がいなくなったら、出来なくなることは、イエス様ご自身が一番分かっておられました。


 結果として、イエス様と祭司やファリサイ人たちとの確執はどんどん強くなり、ついには彼らによって罪をでっち上げられて捉えられ、群衆の前で裁判にかけられるのです。その時イエス様に救っていただいた人々は誰一人動こうとはしませんでした。大群衆の「十字架につけろ」という声に圧倒され沈黙してしまったのです。


 一番弟子のペテロでさえ自分の正体がばれないようについていくのが精一杯で、いざ見とがめられ問い詰められると、「イエスなど知らない」と言い出すほど情けない姿を晒します。


 弟子たちはイエス様の御受難を前に、自分の弱さを嫌というほど知りました。自分の力だけではこの先どうやって生きていくかさえわからないのだと悟りました。女性の弟子たちの報告で空になった墓を確認はしたものの、結局再び部屋に閉じこもり一歩も出られないままでした。


 しかし、そこへ復活したイエス様が戻って来てくださったのです。そしてご自分が十字架で一度死に、復活したことで神様のご計画は全て実現したのだと弟子達にお話しなさったのです。弟子たちがイエス様の譬え話を本当に理解できるようになったのはそれから後のことでした。


 イエス様が天に帰られた後、弟子たちは聖霊の力を与えられ「御言葉を聞いて悟る人は、あるものは百倍、あるものは六十倍、三十倍の実を結ぶ」というイエス様の教えの通り、心の中に豊かに実を実らせ、新たに種を蒔き、み言葉を信じる人々を百倍、六十倍、三十倍と増やしていったのです。


 私たちはイエス様から任せられた「種を蒔く人」なのですから、上手くいこうが、いくまいが全ては神様の御手の中にあり、イエス様は全てをご存じです。私たちが御言葉を受け入れて人生を変えられたように、あなたの撒くタネを待っている人は必ずいます。イエス様によって「種を蒔く人」とされたことに誇りを持ちつつ歩んでまいりましょう。


今年も隣の空き地でブッドレアが咲き始めました
幼稚園の子どもたちを喜ばせたくて
「蝶の来る木」として植えたのです
ただこの空き地も園舎建設のための
ボーリング調査(?)が終わり
間も無く更地になりますから
ブッドレアともお別れです
少し残念ではありますが新しい展開も楽しみです



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