2022年8月14日日曜日

「真の和解」(日曜日のお話の要約)

聖霊降臨後第10主日礼拝(緑)(2022年8月14日)
エレミヤ書23章25-28節(1221)ルカ福音書12章49-56節(133)


 本日の福音書には家族の対立が記されています。

 イエス様はご自分の教えを巡って一つの家族が2対3で分裂すると言われます。5人の家族がいたら、その半分しかご自分の教えを理解できない、とおっしゃっているようにも思えます。しかし、使徒言行録16章には「主イエスを信じなさい、そうすればあなたも家族も救われます」というパウロの言葉が記されています。相反するような御言葉に私たちは戸惑いを覚えます。


 しかし聖書の基本は「あなた」が「主イエスを信じること」です。そしてイエス様ご自身は、父なる神様をどこまでも信頼してご自分を委ね、その姿勢を私たちにも望まれました。神様が世界の中心におられ、全ての人々を愛しておられる。そしてこの世が終わる時には神の国に召されて神様と共に永遠に生きる。イエス様はこの教えを、命を捨てて伝えられ、天に帰られたあとは弟子たちがそれを受け継ぎました。


 イエス様はご自身の名の下に集まって祈る人々に、聖霊なる神を送ってくださり、信徒の群れが集まってキリスト教会が誕生します。キリスト教とは無縁であった日本にも500年ほど前にイエス様の愛が伝えられ、数々の教会が誕生しました。

 やがて教会には心病む人や、世の中との付き合いに疲れている人も集うようになりました。対人関係がうまく取れない人もいますので、みんないつもニコニコ愛想が良い、というわけにはいきません。しかし一人一人は、何とかして自分の関わる人々に神様の愛を知ってもらいたいと願っているのです。そのために自分の時間や能力を奉仕の業に献げますし、献金もできる限り捧げようとします。


 ところがこの世の価値観から見れば、そうしたクリスチャンの姿は時間もお金も得体の知れないものに吸い取られているように見えるようです。今マスコミは盛んに「旧・統一教会」のニュースを取り上げていますが、親しい人から見れば、統一教会もキリスト教会も同じに見えるでしょう。

 自分の家族が自分に理解できないものにはまり込んでいる時、なんとかして引き離そう、目を覚まさせよう、と思うのは、それが宗教であれなんであれ、よくあることです。そこで起きるのが家族の中での対立、というわけなのです。


 イエス様がここで言われる「地上に投ずる火」とは、聖霊なる神を意味している、という説があります。聖霊降臨祭に、イエス様の弟子たちの上に炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上に留まります。すると弟子たちは今まで曖昧だったイエス様のお言葉をしっかりと理解できる力を与えられ、信仰に生きる力がまし加えられます。

 ですから聖霊をいただいてイエス様と共に生涯を歩もうと決心したなら、家族から反対されても後戻りはできせん。今は自分の家族よりもイエス様を選び、祈りを重ね、いつかは家族と共に礼拝できる日を信じて、今目の前にある分裂を受け入れ、耐え忍ぶ覚悟をするのです。


 イエス様も家族が分裂したり対立したりする苦しみを知っておられました。ご自身も愛する家族から奇異の目で見られ、宣教の現場から連れ戻されそうになるほどの屈辱的な体験をなさっておられるからです。

 イエス様が先んじてこうした家族の間の悩みと苦しみを身に負ってくださっているからこそ、私たちもこの方を信じて、一度は分裂した家族もまた、平和を得るように主が導いてくださると信じることができるのです。


 ところで、イエス様をまだ信じられない人々にとって、理解できない聖書の教えの一つに「罪人」という言葉があります。「私たちは皆罪人である」という考え方は、善良な方や真面目に生きてきた方にはなかなか理解できないのです。

 イエス様と同じ時に十字架にかかった罪人は正真正銘の犯罪者でしたが、その反応はまるで違いました。一人はイエス様を罵りますが、もう一人は「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言います。するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園、天国にいる」と応えられたのです。


 イエス様は死の間際にも、神様から離れて生きてきた人を見つけ出して慈しみ、悔い改めに導きました。この出来事から、イエス様の言われる罪人とは「犯罪を犯した人」ではなく、神様に自分を委ねることを拒否した人物であることがよくわかります。世間から死刑を宣告された罪人であろうとも、悔い改めるものは分け隔てなく天国に受け入れてくださるのがイエス様です。ですからその逆もあるのです。どんなに清廉潔白に生きて来たからといって、神様を否定し、イエス様の差し伸べた手を振り払うなら、神様の待つ天国には入れないのです。


 全ての人間は、いずれ死を迎えます。死んだら終わりであるならば、誰もが好き勝手なことをして、罪に縛られた人生を送ることになります。そしていよいよ死んで初めて死後の世界があることを知り、自分が拒否し続けたように神様から拒否され、死後の世界で苦しみながら永遠に生きることになるでしょう。


 私は、そしてあなたは、命ある間に神様と和解することがどれほど大事であるか、それを一人でも多くの人に伝える事がどれだけ大事であるかを知る存在なのです。だからこそ、大切な人々には、手遅れにならないうちに神様の愛を知ってもらいたいと願い、祈り続けるのです。


 お盆を迎えて、日本的な死生観が巷に満ちる時期だからこそ、「あなたの罪は赦された、あなたは今日わたしと一緒に楽園、天国にいる」と言ってくださるイエス様と共にあって、恐れずに歩んで参りましょう。


教会墓の掃除に行った時見つけた「ねむの木」の花です
調べてみるといろいろな
花言葉がありました
「歓喜」「胸のときめき」
「創造力」
どれもなかなか素敵です
「中国ではネムノキが夫婦円満の象徴」とも記されていました


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