三聖霊降臨後第2主日礼拝(緑)(2022年6月19日)
イザヤ書65章1節(1167) ルカによる福音書8章26-39節(119)
本日読みました福音書には、悪霊に取りつかれた男が登場します。この出来事はマルコ福音書5章とマタイ福音書8章にも記されている有名な箇所です。
ガリラヤ湖の向こう岸のゲラサ人の地方は、ユダヤ人かにとって異国の宗教がはびこるいかがわしい場所でした。案の定イエス様一行が湖からゲラサに上陸した途端、悪霊に取りつかれている男が走り寄って来ます。素っ裸で全身傷だらけで泥に塗れ、おそらく髪も髭も伸び放題の、見るからに凶暴な男が突然やって来たのですから、弟子たちは内心震え上がったに違いありません。
その男は町の人々が何度鎖で縛っても足枷を嵌めても、男はこれを引きちぎってしまい、昼も夜も墓場で叫んだり、石で自分を打ち叩いたり、暴れる彼をどうにかできる人は誰もいませんでした。
しかし、イエス様はその男の中に巣食っている汚れた霊に向かって「そこから出て行くように」と命じられたのです。それは「神の子」として権威あるお言葉でした。悪霊は戦うことなしに、あっさりと降参してしまいます。
次に、イエス様は悪霊の名を尋ねます。すると悪霊は素直に「レギオン」と答えます。悪霊にとって自分の名前や正体を名乗るということは、完全にイエスに降参し、支配されたことを表しています。「レギオン」というのは、元々ローマの軍団を表す言葉で、おおよそ5,000人ほどで構成されていました。つまり5000もの悪霊が一人の男に取り憑いていたのです。イエス様はこの男性を哀れに思われ膨大な数の悪霊から一刻も早く解放してやりたいと思われたに違いありません。
悪霊達が、この男から追い出されるなら、せめてそこにいる豚の群れに乗り移らせてくれ、と願うとイエス様はお許しになりました。すると悪霊に取り憑かれた2,000頭ほどの豚の群れは正気を失い一斉に崖を下って湖になだれ込み、湖の中で次々と溺れ死んだのです。
豚を飼っていた人々は多大な損害を受けて気の毒だとか、死んでしまった豚が可哀想とか思われる方もいらっしゃるでしょう。ただユダヤ人にとっては豚は不浄の生き物で、決して食べないので養豚などはしません。この記録は元々マルコ福音書に記されたていたものですが、著者であるマルコは純粋なユダヤ教育を受けた人物ですから、豚を飼って生活している人々への強い偏見があったのでしょう。
この記事が書かれた頃は、ユダヤはローマの属国であり、多くのローマ兵が駐屯しており、ローマ人の為に食べさせるために、ユダヤ人以外の人々が中心となって、ゲラサ地方で豚の養豚事業が営まれていたと考えられます。心置きなく豚肉が食べられるこの場所はローマ人相手の飲食店や盛り場ができていたのかもしれません。豚を食べるローマ人への軽蔑が、こういった表現を生んだとも思われます。2000年前のユダヤはそういう文化を持つ国だったと考えていただければ良いかと思います。
さて、このお話は、男がたくさんの悪霊から解放されてめでたしめでたし、では終わりませんでした。目の前で2000頭もの豚が一気に溺れ死ぬのを見た人々は町や村に逃げ戻り、その話を聞いた人々が確認にやってきます。そしてあの男性が服を着て正気になって座っているのを見るのです。
湖に浮かぶおびただしい豚の死骸と、それと引き換えにまともになった男。あまりの衝撃に、悪霊つきの男がまともになったことへの感謝など、頭に浮かびもしなかったのです。これ以上イエス様一行がここにいたら何が起こるかわからない。そう思った町の人々は「ここから出ていってくれ」と言い始めます。
ここで騒ぎを起こすのは本意ではなかったイエス様と弟子たちは、再び船に乗り込み、そこから去ろうとしました。すると、悪霊に悩まされていた男は「イエス様についていきたい」と申し出ました。
彼は、悪霊の仕業とはいえ、恐れられ、疎まれる存在でした。正気に戻り自由を与えられたとしても、決して昔のような関係は取り戻せない。彼はそう思っていたのです。それならば、何もかも捨てて、自分を癒してくださったイエス様とともに旅に出たい。彼がそう願っても不思議ありませんでした。
しかし、イエス様は彼にただ、「自分の家に帰りなさい。そして、身内の人に、神があなたになさったことをことごとく話して聞かせなさい」と諭されたのです。彼にとってその場に残り、家族にイエス様を証することは、ある意味、旅から旅への生活を続けるよりも厳しいものでした。しかしイエス様はあえて彼にそれを望まれたのです。彼にしかできない宣教の方法があることをご存知だったのです。
彼はイエス様が言われるままにそこから立ち去りましたが、イエス様が自分に命じられたことを忠実に行いました。イエス様が自分にしてくださった奇跡の業を、身内から始めてその地方の人々に言い広め、皆驚きながら耳を傾けました。その中にはイエス様への信仰に目覚めた人もきっといたことでしょう。
イエス様の救いの出来事は、知識ではなく、体験であり、イエス様に従うものは、この体験を語ることにより、より多くの人々が神様の救いに入れられていくのです。神様のみざわととの愛を、今まで神様の救いなど聞いたことがない、信じたことがない、そんな多くの人に届けるために、彼は豊かに用いられたのです。
イエス様は今も私たちに同じように言われます。「自分の家に帰りなさい。そして身内の人に、主があなたを憐れみ、あなたにしてくださったことをことごとく知らせなさい」
私たちのこの地での役目は、私は救われた感謝を忘れず、まず自分のそばにいる人々に証しながら歩むことです。その心を忘れず、主イエスの救いと導きに預かり、この場所に主の宮を建てあげて参りましょう。
伊那市高遠町の「しんわの丘ローズガーデン」に行ってみました
「山の斜面に約10,446㎡の敷地を持ち、約270種、
3,000本余りの色とりどりのバラを見ることができます」とのこと
伊那市全体で「バラと音楽とアルプスの恵み」というテーマで
イベントをやっているそうです
この日、あちこち回る時間はありませんでしたが
遠くに中央アルプスの見えるこのバラ園だけで
季節の恵みを十分堪能することができました
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