復活節第4主日礼拝(白)(2022年5月8日)
使徒9章36-43節(231) ヨハネ福音書10章22-30節(187)
本日読みました福音書は「エルサレムで神殿奉献記念祭が行われた」という書き出しです。この神殿というのは、もちろんエルサレムの神殿のことです。
イエス様の誕生される160年ほど前、イスラエルはギリシャに支配されており、エルサレム神殿も蹂躙され、異教の神が祀られていました。これに反発したユダヤ人のマカバイは激しい独立戦争を経て、異教の神を追い出し、ギリシャ人によってけがされた神殿を奪回して清め、元の神殿の姿を取り戻しました。それが紀元前164年の12月のことです。
しかしイエス様の時代のイスラエルは再び他の国、ローマ帝国から支配されていました。ですからギリシヤから神殿を奪還した勇ましく信仰的な祭りを行うことはどこか嘘くさく、「宮清め」を記念すると言いながらも、空々しい記念日となっていたと考えられます。
この「宮清め」という言葉を聞いて、イエス様の行動を思い出される方もあるでしょう。ヨハネ福音書では2章に書かれています。宣教を始められて間もないイエス様が神殿で商売をしていた両替商や生贄の動物を追い出した出来事です。「私の父の家を商売の家としてはならない」というお言葉が印象的です。
イエス様が以前神殿で行った「宮清め」はかなり過激な行動で、神殿関係者の中にも覚えている人も多かったので、イエス様のお姿を見て、再び何かするのではないかとヒヤヒヤしていたことでしょう。
と言いますのも、イスラエルの国の政治的トップは神殿の祭司やファリサイ人たちで、宗教の指導者でもあったのですが、ここ数年は言動も思想も堕落しているように感じられ、今こそ真の意味で宮清めが必要ではないかと、内心思う人も多かったからです。
これまでイエス様は数々の奇跡を行い、目の見えない人の視力を回復させたりしておられました。それを知ったリーダーたちのある者は、イエスは悪霊の力を借りていると言い、またある者はそれには賛成せず、「イエスは神から遣わされたのではないか」と言いました。
イエス様を支持しようと考えていた人々は、イエス様に、かつてギリシャから神殿を取り戻した英雄マカバイを重ね合わせていたでしょう。一方ローマに依存している人々は、イエス様の存在が火種となって反乱が起きれば、圧倒的武力を誇るローマによってイスラエルが叩き潰されてしまうだろうと考えていました。イエス様を新しいリーダーとして担ごうとする人々と、危険視する人々。イエス様への評価は二つに分かれていたのです。
そこで人々はイエス様を取り囲み、「いつまで私たちに気を揉ませるのか。もしメシアならはっきりそう言いなさい」と詰め寄ったのです。彼らは救い主なら救い主と言ってくれ、自分を納得させてくれ、と求めているのですが、実はイエス様はこれまでもさまざまな奇跡やお話によってご自分の権威を示してこられました。すぐ前の箇所では、羊のたとえを語り、神様から委ねられた人々のことを「羊」にたとえ、「わたしは良い羊飼いである」と言われます。ですから人々に詰め寄られた時、イエス様は「わたしの羊はわたしの声を聞き分ける」とおっしゃったのです。
神様がイエス様に結びつくように定めた人々は、神様について高度な知識がなくても、イエス様のみ言葉を通して神様を知ることができ、神様との交わりを求めて集まってくる、という意味なのです。
イエス様を取り囲んだ人々の中には、本当に神様が呼んでおられる人もいたかもしれません。であれば、その人は最初は無礼で疑い深く、傲慢な態度をとっていても、やがてイエス様が神の御子であることに気づいて悔い改めるでしょう。その逆に、いくら謙虚に振る舞う人であっても、神様が呼んでおられないなら、結局はイエス様のお話を理解できず、離れていくことになります。
どんな態度でご自分に近寄ってこようとも、神様からご自分に与えられた人々のためならば、命を捨てる覚悟をしている、とイエス様は宣言されたのでした。私達の主はそういう方なのです。
本日の聖書箇所はそれほど長くはありませんが、イスラエルの血生臭い戦争の歴史が秘められています。他国に支配され続けたイスラエル民族がイエス様に過去の英雄の姿を重ね合わせ、リーダーとして担ぎ出そうとしたことは、私たちにもなんとなく理解できます。しかしこの後40年ほどして、イエス様を担いで革命を起こそうとした人も、イエス様を排除して安定を求めた人々も、共にローマに滅ぼされていきました。
当時のイスラエルのリーダーたちは、聖書という最高の神のメッセージを与えられていながら、真に「神と共に生きる」とはどういうことなのか、最後まで分かりませんでした。自分でも分からないだけでなく、自分が導くべき民衆に正解を与えることができなかったのです。その結果、ついに平和を作り出すことはできず、彼らの愛した神殿は完全に崩壊しました。
しかし、そうなる以前、イエス様を信じたことによって国を追われた人々、クリスチャンは逆に生き延びました。そして行き着いた町々で、神殿ではなく、聖書に記されたイエス様のみ言葉を大切に学び、実践するスタイルを作り上げました。ですからキリストの教えは今に至るまで滅びることはないのです。
私のまことの主はイエス様であることはどれだけ時代が変わろうと、永遠に変わらないのです。一人一人の近くにいる小さな隣人に、イエス様の思いを持って心を傾け、その人の救いを心から願い、自分のなすべきことに力を注ぎ、それを喜びとすることです。それが神と共に生きることであり、私たちにしかできない、イエス様が一番喜ばれることなのです。
本日は母の日です。
皆様どのようにお過しでしょうか。
昨日は久しぶりに土曜学校を行い
「母の日」のプレゼントを制作しました
イースターにできなかった
タマゴ探しゲームも行いました
感染症対策のため
小学生以上10名までの予約制だったので
2名お断りすることになってしまいました
次回は「来たい人はみんなOK」な
本来の教会学校に戻れるよう
ご加祈をお願いいたします
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