2021年8月9日月曜日

引きよせる神(日曜日のお話の要約)

聖霊降臨後第11主日礼拝(2021年8月8日)
列王記上19章4-8節 ヨハネによる福音書 6章35-40節

 信仰のありようを語るとき「猿型」とか「猫型」と表現することがあります。「猿型」というのは、仔猿が親猿のお腹の下にしがみついている様子を指しています。一方「猫型」というのは、親猫が仔猫の首根っこを咥えて移動する姿です。危険を察知した母猫は、仔猫の首をくわえて移動します。仔猫は鳴き声を出さず、背中を丸めておとなしくしています。


 キリスト教では、どちらかと言うと、二番目の「猫型」のありようが良いとされています。親猫が仔猫の首根っこを得ると仔猫はどこに連れて行かれるかなどきにするそぶりもなく、完全に信頼して決してジタバタしない。これがキリスト教における神様と私たちの関係の理想に例えられるのです。自分から必死で神様にしがみつこうとして苦労するのではなく、神様の導きに信頼が何より大切だ、という考え方です。

 ただ、人によっては「私たちの信仰は猫型が良いのですよ」と言いますと、ちょっと引っかかるものを感じるかもしれません。時に家族を犠牲にし、時に近所の人々や親戚や友人仲間との付き合いも犠牲にして信仰を貫いてきた。教会内で争いがあっても頑張って教会にしがみついて信仰生活を続けてきた。そんな自分の努力はどうなるのか。もっともな疑問かもしれません。


 この世界を作られた絶対的な存在である父なる神様が、その一人子であるイエス様を十字架にかけても惜しくないほどに私を愛して、救ってくださった。多くの人はこの真理を知って悔い改め、洗礼に導かれます。この思いを永遠に保ち続けることができるなら、私たちの信仰生活はとても幸せでしょう。

 しかし、私たちの日常には様々な誘惑がありますし、天変地異も起こります。また戦争、疫病の蔓延が人間社会を襲います。人生の日数が長かろうが短かろうが、なんの苦しみなく生きていける人はいません。誰もが波乱万丈な日々を過ごします。せっかく信仰に導かれても神様に委ね切るのは簡単なことではありません。 

 イエス様は、そんな人間の弱さをご存知でした。人間というものは「私には信仰がある」と言いながらも自分中心にしか生きられない存在だとわかっておられたのです。


 五千人以上の人々にパンを分け与えたことで、イエス様が王様になられたら自分たちはもはや飢えることはない、と思い込み、人々はなんとかイエス様を担ぎ出そうとして行動はどんどんエスカレートしました。

 イエス様は人々がそんな浅ましい思いを抱いてご自身に群がってきたことを知りつつも、「わたしは命のパンである」と言い、「わたしの元に来るものは決して飢えることがなく、また、わたしを信じる者は決して渇くことがない」と宣言なさったのです。これは神様からのはっきりとしたプロポーズと言える御言葉でした。イエス様は「私についてくるお前には決してひもじい思いはさせない」と言い切られたのです。


 ところで、ヨハネによる福音書を残したヨハネとは、イエス様の弟子として三年半を共にし、直接触れ合い、十字架の死と復活の目撃者でもある人物でした。そのヨハネが新約聖書の4つの福音書の中で一番最後に福音書を書いた頃には、エルサレムはローマに壊滅させられ、神殿は焼き払われていました。

 しかし、その悲惨な戦いが始まる以前に、イエス様を信じる者たちはユダヤ人たちに厳しく迫害されたことによって、エルサレムから逃げ出します。そして逃亡先の地中海沿いの各地でイエス様の教えを少しずつ広め始めます。やがてその集まりは教会となり、イエス様を信じる人々がどんどん増えていきました。エルサレムで迫害されたからこそ今がある。人々はそのように神様の配剤に感謝したのです。 

 ですから、ヨハネはイエス様に群がった多くの人々がその後どうなったのかよく知っていたのです。むしろその時を振り返りながら書き記した、と言えるでしょう。ヨハネは改めて過去を振り返るとき、イエス様のもとに集まる人々は、神様がイエス様に与えてくださった人々であり、イエス様の元に集まった一人一人は、神ご自身が引き寄せてくださった者たちなのだと確信するに至ったのです。

 

 この「引きよせられていく」という言葉は、綱で引っ張るという意味があり、舟とか車といった大きくて重い物を力一杯ひっぱる時に用いられる言葉です。人一人がひっぱったところで、うんともすんとも動かなかったものが、神様の力で動き出すというイメージを思い浮かべてみてください。

 その強い力は、決して暴力的ではなく、するすると自分の足もそちらに歩いていくような心地さえしながら、神様に引き寄せられていくのです。


 初めに「私たちの信仰は猫型が良いのですよ」と申し上げました。この酷暑、さらにコロナ禍にあっても、こうして努力して教会に来ているのに、親猫に首根っこを噛まれてただ無力に持ち上げられている子猫のようになれ」と言われてもよくわからない、と思われるかもしれません。しかし皆さんは今、神様の見えざる手によって引き寄せられていることを忘れないでいただきたいのです。


 聖書に無数に記されている証し人の生き方を心に刻みながら、今置かれた困難な状況の中でも丁寧に信仰生活を続けて参りましょう。イエス様が、神が私たちを引き寄せてくださり、この場で出会わせてださったことに感謝を覚えつつ、信仰の歩みを進めてて参りましょう。




牧師館ではプランターで何種類か夏野菜を育てています

わずかな量ですが採りたてを食べるのは楽しいものです

また、オクラやナスは花も美しく

観賞用の草花にも負けていません





1 件のコメント:

  1. オクラの花はこんな感じなんだ⁉️ 初めて見たよ!!!

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